7-4


 友人宅に着いた頃には既に夕刻を過ぎていた。洋服などの荷物、途中で買い込んだ夕飯の材料などを各々が両手に持ち、家に入る。


「ちょっとごめん、電話してくる」


 梁松に連絡するため再度玄関から外に出る。

 発信ボタンを押し数回の呼び出しの後に、震えた懐かしい声が聞こえる。


「織田さん……良かった。心配してたのよ……。松笠君から出て行ったって連絡もらってずっと……。元気なの?」


「先生……ごめんなさい。迷惑掛けちゃって、もう大丈夫ですから、心配しないでください」


 今にも泣き出してしまいそうな梁松を少しでも安心させる事が出来るように、精一杯の声を絞り出す。

 今まで何処にいたのか、なぜ急に飛び出したのか、色々と聞かれたが母親に庇っていてもらった部分もあるため、全てに答えることは出来なかったが、現況の報告だけは正直に話した。


「そう……あなた達の間に何があったか詮索するつもりは無いわ。でも、ただの痴話喧嘩じゃないわよね? 言いたく無ければ言わなくてもいいけど、それでも一度ちゃんと二人で話し合うべきと思うわ。松笠君にも私から伝えておきましょうか?」


「いえ、近いうちに一度公平さんと話す為に戻ろうと思ってるので、出来ればまだ内緒にしててくれませんか? ちゃんと自分の言葉で伝えたい事もあるので」


「……そうよね。もう二人とも大人だもんね。いつまでも私が口出ししてたら松笠君に怒られちゃうわね」


「そんなこと無いですよ。先生はいつまでも私達の先生ですから……本当にありがとうございます」


「それじゃ……良い報告を期待してるから。身体に気を付けるのよ」




 通話を終えた後、暫くその場から動く事が出来なかった。


「大丈夫……。きっと分かってくれる。また以前みたいに楽しく暮らせるはず……」


 譫言うわごとの様に呟いていた。

 明日にでも一度、家に帰ってみよう。きっと今も朝帰りをしているはずだ……帰る時間を見計らって驚かせてみよう。きっとびっくりして話もスムーズに出来るかもしれない。

 そんなことを考えながら友人の部屋に戻った。



 


 二日後未明。

 三ヶ月振りに帰宅しようと友人宅を発つ。明けきらない空は、重く厚い雲に覆われている。少し急ぎ足で自宅へ向かう。


 勝手に飛び出し、連絡もせず三ヶ月も経っている。悪いのは自分だと分かっているが、対面した際の公平の顔を想像すると、少しの笑いが込み上げてくる。


 自宅へ向かう最後の角を曲がる。


 電柱四本分先に人影を見つける。


 間違いない。公平だ。

 いつの間にか降りだした雨が頬を叩く。


 はやる気持ちとは裏腹に突然恐怖心が沸いてきた。この三ヶ月で嫌われていたらどうしよう。始めこそ毎日のように電話が掛かってきていたが、最近では思い出したような時に掛かってくる頻度になっていた。


 その恐怖心は行動になり、気付けば電柱の陰に隠れていた。ゆっくり顔を覗かせると公平が二つ先まで近付いて来ている。

 息を殺して更に陰に入り込む。



 ……アスファルトを優しく叩く雨の音だけが聞こえる。

 そのまま真っ直ぐ歩けば既に横を通りすぎている時間は充分に経っていた。


 恐る恐る再度顔を出す。

 公平は先程の場所で電柱に向かい屈んでいる。体調が悪いのだろうか、心配になり身を出そうとした矢先、灰色の景色に鮮烈な色が目に飛び込んでくる。



「あ……」


 真っ赤な傘を差した女。


 公平を雨から守るように傘を伸ばす。


 遠目からでもはっきりと分かる目鼻立ち、美しく妖しさを纏うその女から目が離せなかった。


「誰だろう……あの人」


 雨に背中を濡らしながら公平を守るその姿に、親しさを感じる。

 状況を飲み込めず、女を見つめていると視界に公平の顔が入ってくる。

 女と何か話しているようだが、雨の音で上手く聞き取ることが出来ない。耳を傾けようやく聞こえた会話に愕然とした。


「……この時間……一緒に来て……大丈夫……気にしないで……」


 


 雨が頬を強く叩く。

 

 電柱の陰から二人に背を向け壁伝いに歩く。


 雨は頬を伝い胸元を濡らしていく。


 あの角まで耐えられるだろうか……子供のように泣き喚けば公平は気付いてくれるだろうか。



 あの日、子供のように泣き喚いていれば公平の後ろから傘を差していたのは自分だったのだろうか。

 あの日、何も伝えなければ公平の隣に今でもいられたのだろうか。

 あの日、飛び出さなければこの涙は流れなかったのだろうか。


 あの日……あの日……あの日……。


 

 押し寄せる悔恨、数十分前の安易で馬鹿な考えを持っていた自分を殺したくなる。

 

 三ヶ月間、自分の事ばかりを考えていた。それに比べ、公平は出会った頃から自分の事を最優先に考えていてくれた。きっとあの日も飛び出しさえしなければ、公平は優しくいつものように励ましてくれていただろう。

 それを否定して逃げ出したのは自分だった。

 

 

 

「どうしよう……帰る所なくなっちゃった……もう帰れなくなっちゃった……」


 自宅から離れた場所で雨の中座り込む。全身が冷え、自分の肩を抱く。


 

「おい、あんた。大丈夫か? 風邪引くぞ。家はどこだ?」


 声のする方に顔を上げる。

 一台の車が目の前に停まっている。中から男が自分に向かって声を掛けているが言葉として認識出来ずにいた。

 



「帰る所がなくなちゃった……」







 

 

 


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