6-5


 2005年12月


 約3ヵ月振りに帰省のため公平が帰ってくる。

 今回の帰省中に新居の契約などを済ませるらしい。冬休み前の放課後、いつものように梁松に職員室で近況報告を行っていた。


「模試の結果出たでしょ? どうだったの? 彼氏との夏休みの特訓成果は出てたの?」


 充悟の誕生日パーティーの次の日、公平と付き合うという報告をした途端、こんなからかい方をするようになった梁松に初めの内は照れていたが、3ヵ月も経てば流石に慣れていた。

 模試の結果用紙をバッグから取り出し、顔の前で広げて見せる。


「A判定でした! ちゃんと成果でましたよ」


 得意気な顔を用紙の脇から覗かせる。梁松も細い目を見開き喜んでくれているようだ。

 

「年末には、公平さん帰ってくるみたいだから、ちゃんとお礼しなきゃ。願書の提出も済んだし、後は本番だけですけど先生もこの結果は、まだ内緒にしててくださいね。」


「あら……? 公平さんって呼んでるの? いいわねぇ……青春ねぇ……」


 梁松は頬杖を突き、窓の外へ視線を移す。その顔が黄昏に染められ、輪郭を色濃く映し出す。

 その横顔に見蕩みとれていると、急にこちらを向いた。


「キクちゃんにしましょ」


 頭の上に疑問符が浮かんだのが梁松には見えたのだろう。そのままの勢いでまくし立てる。


「松笠君の呼び方よ。前は私が冗談で言ってたけど織田さんはもう彼女でしょ? 二人だけの呼び方って素敵じゃない?」


「……そうですけど……怒られませんかね? 先生が言ってた時、ちょっと呆れてたみたいだし……」


 夏休みの計画を立てた日の事を思い出していた。あの顔は……完全に呆れている顔だったが……


「キクちゃん……可愛いですよね。今度聞いてみます」

 

 二人で笑い合い、受験前の緊張を少し緩和する事が出来た。




 12月31日


 年末、今年も残すところ数時間となっていた。

 大晦日は公平の実家で過ごすことになっていたが、帰省ラッシュの渋滞に嵌まってしまったらしく、公平からメールが届いていた。


「ごめん……ちょっと遅くなりそうだから、先に行っててくれるかな。親父と先生がいる筈だから」


 自宅まで迎えに来てもらう約束だったが……事情が事情なだけに責めることは出来なかった。

 先に向かう旨の返信をして公平の実家へ向かうようにする。


「あら? 出掛けるの?」


 玄関で母親に呼び止められた。


「うん。公平さん渋滞に嵌まったみたいで、先に向こうにお邪魔してくる」


「そう。気を付けてね。向こうの御両親に宜しく伝えてね」


 公平の家も片親だが……梁松が母親みたいなものだと思い適当に頷いておく事にした。


「それじゃ、行ってきます。そのまま初詣に行くから、帰りるのは明日になるから」


母親は、全て分かっているから……と言う様な表情で何度も頷いている。


自転車に跨がり、年末の慌ただしさも既に落ち着きを見せる緩やかな時間の中を進んで行く。


 20分後、いつかの邸宅の前に到着する。やはり何度見ても立派な家だ……。ここに来ると自分が場違いな人間ではないかと、いつも感じてしまう。

 それでもいつものように、玄関のインターホンを鳴らすといつもの声が聞こえてくる。


「はーい。いらっしゃい。すぐ開けるわね」


 ……何故、梁松はいつもいるのだろうか?そんな疑問が今更だが頭をよぎるが、大した意味は無いのだろう。

 玄関のドアが開き、見知った顔に迎え入れられる。


「大変だったわね。寒かったでしょ? 早く入んなさい」


 公平から連絡があったらしく、渋滞に嵌まっていることも分かっていたようだ。


「年末は混むって分かってるんだから、もう少し早めに帰ればいいのに……可愛い彼女が可哀想だわ。充悟さんが居間にいるから先に行ってて。お茶淹れてくるから」


 お茶なら自分で淹れようと思ったが、外の寒さが残る指先と居間から流れてくる暖かな空気に負け、甘えることにした。

 襖を開けるとそこには既に赤鬼がいた。


「おう、真記ちゃん。久し振りだな。寒かっただろ? 入れ入れ」


 炬燵こたつの上に数種類のツマミと酒が用意されていた。その前に座る赤鬼は、上機嫌に炬燵の布団を上下に揺らしている。

 

「お邪魔します」


 充悟と反対側、襖を背にして炬燵に入り込む。

 --末端から体の芯へ熱が伝わり始め、少し気を抜けば数分で眠ってしまいそうだ。


「公平君どのくらい掛かるって? はい、お茶」

 

 梁松がお茶を盆に乗せ居間へ戻って来た。お茶を受け取りながら、もう少し掛かる事を伝えると充悟が眉をひそめている。


「アイツは本当に……すまないな。こんな可愛い彼女を待たせるなんて」

 

 酔っているのだろうか? 後半はブツブツと呟いていて聞き取ることが出来なかった。


「本当にありがとうな。老いぼれの頼み事を聞いてくれて」


 充悟は盃を傾けている。

 感謝するのはこちらの方だ。あの日の充悟の言葉が無ければ、今ここに自分は居なかっただろう。公平と付き合い始めた以降も良くしてもらっている。既に感謝してもしきれないくらいだ。


 その後は公平の幼少期の話などを、充悟と梁松から聞かされ国民的年末歌番組が始まる時間になっていた。




「ただいまー」


 変換された音ではなく、3ヵ月振りに聞こえる生の声に心が弾む。

 気付けば誰よりも先に玄関へ向かっていた。


「お帰りなさい……」


「うん……ただいま」


 外は年末らしく、みぞれ混じりの雨が静かに揺れている。

 まるで、雪が二人の熱を帯びて溶け出したかのように。




 


 2006年2月1日


 市内へ向かうバスの中、再度持ち物を確認していた。時計、筆記用具、受験票、そして公平から貰った御守り。

 携帯電話を取り出し、メールを確認する。


「明日が本番だね。A判定も取れてたからいつも通りにやれば大丈夫。頑張って! 試験終わったら迎えに行くね。今日は美味しいものでも食べに行こう」


 公平は年明けすぐに賃貸契約を結び、既に市内へと引越ていた。短大の近くという事もあり、試験終了後に食事の約束をしていた。

 しかし、どんなに模試で良い結果を残していても緊張するものだ。

 御守りを握り締め、試験会場へと向かって行った。





「お疲れ様」


 短大近くのコンビニで公平と落ち合う。車に乗ると暖かいお茶を手渡された。


「どうだった?」


「バッチリでした。全部解けて時間も余ったから何度も見直して。公平さんのお陰です」


「じゃあ来週の結果発表は見なくてもいい感じ?」

 

 公平はいつも以上に、にこにことしている。


「や……それはやっぱり、見に行かないと。受験の醍醐味じゃないですか」


 合格の自信はある。しかし、強がってはみたものの少しの不安はあるため、郵送を待つよりも早く結果が知りたかった。


「何か食べたいのはある? 何でもいいよ。半年頑張ったご褒美に」


「……公平さんの家に行ってみたいです。何か適当に買ってでいいので」


 朝から張り詰めていた糸が試験終了と同時に切れ、お腹は空いているが、公平がどの様な部屋で生活をするのか見てみたいというのが本音だった。

 

「本当にそれでいいの? じゃあ、合格するまで何か考えておいてよ。食べ物じゃなくても、何でもいいから」


「ふふっ……分かりました。何か考えておきますね」


 公平には不合格という結果は無いらしい。自分の不安感が些細な事のように感じ、思わず笑ってしまった。

 

 家の近くだというスーパーで、幾つかの惣菜を購入し、公平の自宅へ到着する。

 立派なマンションで、エントランスには管理人が在中しているようだ。


 エレベーターで向かう最中に、大体の間取りを聞いていた。


「4部屋もあるんですか? 独り暮らしで?」


 自分の実家の部屋は6畳程度の狭いものだったが、特に不満を感じたことが無かった。

 部屋数が増えればそれだけ手間も掛かると思うのだが……。

 部屋の前に到着し、ドアが開かれる。

 廊下の奥から光が差し込み通路を明るく照らしている。


「お邪魔します……」




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