6-4




「今日はありがとう。親父のあんな顔は久し振りに見たよ」


 自宅に向かう車中、公平が呟いた。


「あ、いえ。こちらこそ……楽しかったです。お父さん面白い人ですね。私、お父さんがいないから凄く新鮮でした」


「え?」


 突然の告白に、驚いているようだ。


「あれ? 先生から聞いてないですか? 私の家、母子家庭なんですよ。理由は分からないですけど、小さい頃に離婚して。だからお父さんの誕生日を祝うっていうのが初めてで、私もお父さんがいたらこんな感じかなぁって思ってました」


「そうなんだ……。全然知らなかったよ」


「あ、でも今は全く気にしてないですよ。お母さんが頑張ってここまで育ててくれたし、二人には何か事情があったんだと思いますから。まぁ、小さい頃はどうして私にはお父さんいないの? って言ってたみたいですけど……今は慣れました」


 母子家庭ということで、他人から気を遣われるこの空気には慣れていた。その度にこうやって明るく振る舞う事が最善だと身に染み付いていた。

 ここまでやれば、大抵は他の話題に切り替わるのだが、母親を亡くしている公平は違っていた。


「辛かったよね。僕は中学の時だったから、沢山の人に色々聞かれて、その都度落ち込んで……先生にも迷惑掛けて……事故の件で親父とちょっと険悪な関係になってね、一時期先生の家に厄介になってたんだ」


 同情される事はあっても共感されることは稀だったため、どのように反応していいのか困惑した。


「だから今日みたいに皆で何かをするっていう事が凄く楽しくて……夏休みの間は図書室で勉強もするけど良かったらまた一緒にご飯食べたりできないかな?」


 公平からの誘いは胸踊るものだった。しかし期間が限られているためその約束が自分にとって、とても切なく心苦しいものに思えたが、充悟の言葉を思いだし、意を決し大きく息を吸い込んだ。


「私、先輩が大好きです」


 公平は今まで見てきたどの顔よりも驚いていた。


「先輩が買い物に行ってる間にお父さんに言われたんです。これからも先輩と一緒に居てくれないか? って。そんな風に言ってもらえて凄く嬉しかったです。でも……夏休みが終わったら、先輩は私の隣から居なくなるって考えたら、何も言えなかったんです」


 僅かな期間の思い出が頭の中を駆け巡る。頬を伝う情動は一筋の光を反射する。


「私も、先輩とずっと一緒に居たいです。でも折角、勉強教えてもらって短大にも行けそうだし、そうしたら先輩とは離ればなれになっちゃうし……もうどうしたらいいか分からなくて……」


 瞬間的な感情の爆発で、息苦しく言葉が出て来なくなる。それでも何とか息を吐き言葉を捻り出す。


「……先輩……遠くに行かないで」


 消え入る声は公平に届いたのだろうか。先程から黙り込んでいた口がようやく開かれる。


「ありがとう。ごめんね、真記ちゃん」


 初めて名前で呼ばれたが、その続きは聞きたくない言葉と思い目線を足元に落とす。

 依然涙は流れ続け、握った手の甲に水滴を作る。


「ちょっと待ってね」


 続けられた言葉は意外なものだった。

 後部座席を探る公平の顔が近くにあり、泣き顔を見られないように視線を外に移すと、半日前に梁松と落ち合った場所へ既に到着していた。


「えっと……ここかな」


 その声に思わず振り返ると、公平が探っていたのは1冊の地図だった。その中の一頁ページを開き指差す。


「ここが高校。それで……今いる場所がここ。そして……」


 頁がめくられ、市内の地図が出てくる。


「ここが、△△短大、真記ちゃんが目指してる所だね。そして……」


 公平の指が市内の中心地へ進み、一点で止まる。


「ここが、僕が春から所属する地方検察庁」


「……え?」


 公平は更に一冊の情報誌を取り出す。以前も見ていた不動産の冊子だった。その中で折り目が付けられた頁を開く。


「ここを借りようかなと思ってるんだ。ちょうど短大の近くだね」

 

「でも……引越するって……」


「するよ。向こうから、こっちにね」


 涙か溢れる。

 先程のとは異質の感情と一緒に。

 子供のように、わんわん泣いた。

 悲しさではない、喜びの感情を涙で表現するしかなかった。

 泣いている間、公平に頭を撫でられていた。子供をあやすように、心地好いリズムで。このまま泣き止むのが惜しいくらいだった……。


 

「……先生はこっちに帰って来るって知ってたんですか?」

 

 涙は収まったが、腫れた瞼が少し重く感じる。鼻を啜りながら問い掛ける。


「知ってる筈だよ。親父には話してるから、きっと伝わってると思うよ……あの二人仲いいから」


 確かにそんな感じがする……二人を思い出していると、不意にガラスをノックする音が聞こえた。

 音のする方に顔を向けると、十八年間見続けた顔がそこにあった。


「--お母さん?!」


「え!」

 

 公平が慌てて窓を開ける。


「こんばんはー。あら、いい男じゃない。彼氏? 夏休みだからって羽目外し過ぎないようにしなさいよー」


「ちょ……お母さん止めて! もう! 何してるのよこんな所で!」


「真記ちゃんが遅くなるって言うからご飯買いに来たのよ。それよりも……ちゃんと紹介しなさいよ」


「こんな場所からすいません。今、真記さんに勉強教えてます、松笠です。今日は遅くまで付き合わせて申し訳ありません」


「あなたが……真記から良く伺ってます。こんな子ですけど、これからも良くしてやってくださいね」


 窓の外へ向け公平が自己紹介をする。母親が余計な事を言わないか心配したが、杞憂に終わった。


「じゃ、私は先に帰るから。若い内は話たい事が一杯あるでしょ? あまり遅くなるようだったら家の前まで送ってもらいなさいよ。それじゃあね」



「お母ちゃん……って感じだね」


 自転車に跨がり嵐のように去って行く母親の背を見ながら公平がポツリと漏らした。


「昔からあんななんです……無駄にハイテンションと言うか、ガサツと言うか……ごめんなさい」


「いやいや、立派なお母さんだと思うよ。一人で真記ちゃんをここまで育ててくれたんだから」


 母親を褒められると何故か全身が痒くなったが、今までの重い空気は母親の登場で完全に払拭されていた。



「それで……さっきの続きだけど……」


 公平が照れくさそうに自分の頬を触りながら話し出す。


「僕はこっちに帰って来るけど……これからも、夏休みが終わっても、一緒に居てくれるかな?」


 忘れていた……。

 数十分前に、勢いで告白していた言葉が何度もリピートされる。

 耳が赤くなって行くのが自分でも分かる。鳥肌も出てきた。何よりも、勘違いで突っ走り思いの丈をぶつけてしまった事が、どうしようもなく恥ずかしかった。

 それでも公平は真っ直ぐ目を見て、問い掛けている。ちゃんと答えなければ……。









「はい……よろしくお願いします」

 



 更に耳が赤くなる……今はその感覚すら心地好いものになっていた。









 

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