6-3




「--あ」


 思わず声がでた。公平の母親だろう。雰囲気が似ている。しかしそれ以上に……。


「分かったかしら? お父さんがびっくりするって意味。織田さんにそっくりなのよ。私も初めて織田さんを見た時は驚いたもの」


 自分にこれ程似ている人がいるだろうか、と思うくらい似ている。


「前に、どうして松笠君が勉強を引き受けてくれたかって言ってたわよね? 多分、あなたに阿左美あさみさんを重ねていたんじゃないかしら?」


「あさみさん……ですか? 綺麗なお名前ですね。顔は確かに似てますけど、私には阿左美さんみたいな品は無いですから……」


「そうね、織田さんは可愛い感じだものね。さぁ、充悟さんをびっくりさせるわよ」

 

 梁松は腕を捲りながら茶化すように笑い、仏壇に一礼して作業に取り掛かる。 

 ならうように一礼し、梁松の後についていく。





 時刻は9:30

 松笠親子が帰宅するまで、6時間弱。梁松の指示で部屋に飾り付けを施していく。

 ビデオレター用のスクリーンを設置した頃に、キッチンから鼻をくすぐる良い匂いがしてきた。

 匂いに釣られ、キッチンへ足を運ぶと数々の料理が所狭しと並べられている。


「そっちは順調? そろそろお腹空いてきたんじゃない? お昼にしましょうか」


 時計を見ると既に良い時間となっていた。


「先生って料理も上手なんですね……全部美味しそう。私も料理勉強しないとなぁ」


 並べられた料理はどれを取っても空腹の胃袋を刺激する香りがする。


「家じゃ料理しないの? 胃袋を掴むのは常套手段だから、やっておいて損はないわよ。あと少し残ってるから一緒にやってみる?」


「はい。お願いします。自信は無いですけど……」


 軽めに昼食を済ませ、梁松と一緒にキッチンに立つ。その姿はまるで親子のようだった。






 


「ただいまー」


 玄関から声が聞こえる。馴染みのある声の後に一段と低い声が追いかけてくる。


「李奈ちゃん、来てるのか? 温泉ありがとな。久し振りだったから有難かったよ」


 二つの足音が居間の方へ近付いてくる。廊下と居間を分ける襖に二人分の影が映る。室内には少しの緊張が走る。

 

 「誕生日おめでとうございます!」


 梁松の声と同時にクラッカーの弾ける音が鳴り響く。紙吹雪が舞う中、襖を開いた充悟の視線は一点に釘付けになっている。


「……はは。こいつは……驚いた。公平が言ってたのはこの娘か」


 心底驚いたのだろう。充悟は手に持っていた荷物をどさりと落としたことにも気付かずにいる。

 屈強でいかつい顔の充悟に、まじまじと顔を覗き込まれ、少し困惑していた。


「親父、そんなに見つめたら失礼だよ。怖がってるじゃないか」


「おぉ……すまん。いやしかし……お嬢さん、名前は?」


 はっとした様子で、剃りあげた頭を掻きながら距離を取る。


「は、初めまして。織田真記です。先輩に夏休みの間、勉強を見てもらってます」


「……そうか。真記ちゃんか。良い名前だな。こりゃあ、いい誕生日プレゼントだ。ありがとよ」


 礼を言う充悟の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 

「それじゃ、主役も帰って来たし、始めましょう! 沢山作ったから全部食べてね! 織田さんが手伝ってくれたのもあるから、当ててみてね」


 梁松が声を上げながら運んで来る。テーブルはすぐに料理で埋め尽くされた。


「李奈ちゃん……作りすぎだよ。こんなに食える歳じゃないんだから」


「何言ってるんですか。まだ56歳でしょ? これからですよ。孫の顔も見てないんだから、元気でいてもらわないと」


 梁松の言葉につい俯いてしまった。





「充悟さん、主人から預かってきたビデオレターがあるんですけど見ませんか?」


 酒も入り、赤鬼のような充悟に梁松が酌をしながら聞いている。恐らく、赤鬼に拒否権はないのだろう。答えを聞かずに上映の準備に取り掛かっている。


「こんなもんまで用意して……断れる訳無いだろう……なぁ」


 赤鬼はこちらに照れた笑顔を向けてくる。その顔は照れた公平にそっくりだった。


「普通にテレビに繋いだって見ないでしょ。主人に持たされて重かったんですから、しっかり見て下さいよ」


 部屋の照明を一段落とし、再生が始まる。

 

「えー充悟さん、お誕生日おめでとうございます。まだ新人だった僕が……」


 始めは照れながら暴言を吐いていたが、次第に大人しくなり中盤を過ぎた辺りでは、瞳を潤ませていた。

 お祝いのメッセージも遂に最後の人となった。梁松に肘で小突かれスクリーンに映る人物が夫だと知らされる。


「充悟さん、誕生日おめでとうございます。いつも夫婦で世話になってます。今日も李奈が失礼なことしてるかも知れませんが、いつも通り許してやってください」


 前置きに自分の名前が出てきて、申し訳なさそうに舌を出す梁松は、きっといつもこんなことをやっているのだろう。

 充悟も慣れているようで、呆れ顔をしている。


「公平君もしっかり育ってくれたようで、二人目の父親として鼻が高いです。これから忙しくなるでしょうが、頑張ってください。あと……充悟さん寂しがり屋だから、嫁さん見つけて早いとこ孫の顔でも見せてやれよ。それじゃ」


 夫婦揃って同じ事を言わなくてもいいと思ったが……公平の顔を見ることが出来ず、やはり俯くしか出来なかった。


 部屋の灯りが点き、映像が停止する。


「ありがとう。今日は実にいい日だ。今までで一番の誕生日かもしれん。本当にありがとう」


 いつの間にか顔色が落ち着いた充悟が皆に礼を言う。その顔は幸せに満ちている。自分にも父親がいればこんな事をしてあげていたのだろうかと、少し考えていた。


「ん……? 公平、すまないがちょっと酒を買ってきてくれないか?」


 空き缶を振りながら息子に語る姿は良い父親に見えた。


「飲み過ぎじゃないか?」


 心配する公平を他所に話を続ける。


「たまにはいいじゃないか。こんな嬉しい日なんてそうそう無いんだから。真記ちゃんにもデザート買って来てやってくれよ。な、頼む」


 両手を合わせ頭の上に掲げ、頼みこんでいる。


「分かったよ……じゃあちょっと行ってくるから、ゆっくりしててね」


 公平がこちらに声を掛けて出て行く。



「さて……真記ちゃんこれから一つ話をするが、他言無用……勿論、公平にも言わないでおいてくれ。老いぼれからの頼みだ」


 空き缶を振ってお代わりを要求していた人とは別人のような雰囲気に、黙って頷いた。


「李奈ちゃんは知っているが……公平は俺の子供じゃないんだ。阿左美……妻の連れ子だったんだ」


 そう言いながら、仏壇に少し目を移した。突然の告白に思わず梁松を見るが、いつもの笑顔を見せている。

 

「とは言っても、あいつが一歳になる前の話だから、覚えてもいないだろうな。こんな話をするのは、一つお願いがあってな」


 充悟は一息つき、空缶を逆さに咥え一滴のアルコールを喉に流し話を続ける。


「真記ちゃんが良ければだが、これからもあいつの側に居てやってくれないだろうか? あいつは不器用なくらい真っ直ぐなやつだ。それは悪い事じゃないんだが、自分でかじを取れなくなることがあるんだ。誰かが方向を修正してやらないと、どっかで行き詰まってしまう筈だ。

 真記ちゃんに勉強教えるって決まった後から、何度も君の話を聞いていてな……その理由が今日、君の顔を見て分かったんだよ。口には出しはしないが、阿左美の事を思い出したんだろう。

 俺から言うのは変な話かも知れないが、一つ考えてはくれないだろうか?」


 そこまで言うと、座り直し頭を下げようとする。そんな充悟を必死で静止しながら梁松に助けを求める。


「充悟さん、これから先は二人の問題だから私達が口を出すのは少し考えものですよ。でも以前、二人が並んで歩いているのを見た時は、お似合いだな……と私は思ったわよ?」


 依然頭を下げようとする充悟の肩を引き寄せながら

梁松に言われる。

 公平に好意を抱いていない訳ではない。むしろそんな関係になれたらどれ程、嬉しいだろうか。

 しかし、自分一人の感情でどうにかなるものでもない……。この夏休みが終われば公平は戻って行くのだろう。遠く離れても関係を続ける事が出来るか分からない……。

 充悟からの願いには不安定なものが多すぎて返事が出来ずにいた。



--玄関のドアが開く音がして、居間に近づく足音に気付き三人は同じ場所を見つめる。



「ただいま……っと……何?」


「さ、片付けしましょうかね。織田さんもあまり遅くなるといけないし、松笠君が送ってくれるから」


 梁松は食器を片手にキッチンへ向かい、すれ違う公平の肩をポンと叩く。


「あぁ……すまないな。真記ちゃんの帰りをどうするか話していたら、丁度お前が帰って来たんでな。お願い出来るか?」


「勿論。お腹一杯になった?」

 

 買って来た酒を渡し、こちらに微笑みかける。

 問いかけに腹をさすりながらジェスチャーで答える。


「良かった。それじゃ、用意出来たら出ようか」


 テーブル上に散乱している皿を片付けようとしたが梁松に急かされたため、自分の持ち物をまとめ公平に声を掛ける。



「じゃあ、送ってくるから」


「お邪魔しました。料理も美味しかったし、今日も本当に楽しかったです」


 玄関まで見送りに来た二人に礼を言う。


「またいらっしゃい。いつでも歓迎するから」


 家主である充悟を差し置いて、梁松が喋り出す。理由は横に立つ家主が別れを悲しんで泣きっ面になっている為で充悟は横で頷いているばかりだ。



 二人に手を振り、車に乗り込む。

 

 夏の長い一日が終わろうとしていた。











 

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