6-2


 昼食を終えて、図書室に戻って来た二人。梁松は午後から家庭の用事があるらしく食後に別れた。


「先生って昔からあんな感じなんですか?」


 参考書の問題を解きながら公平に問い掛ける。


「そうだね……ちょっと強引なとこあるけど、結果的に間違った判断はしない人だと思うよ。あ、そこ代名詞が抜けてる」


 問い掛けに答えながらも、添削を行う公平の顔を見る。


「……先輩、お母さんを亡くされてるんですよね? 先生から聞いて……先生には言うなって言われてたんですけど……」


 公平の顔が少し曇った気がしたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。


「あはははは。あの人は本当に……家に来れば分かる事だから構わないけどね……僕が中学の頃に事故でね。僕の弁当を届けた帰りにトラックに巻き込まれたらしくて。当時は悔やんでも悔やみ切れなかったよ」


 公平は心配させまいと、笑顔で語っているが握ったて掌はギシギシと音を立てそうな程に固く閉じられている。


「でも今は、母親の分までしっかり生きようと思えるし、今も母親が生きてれば先生と知り合うことも無かっただろうね。こうやって織田さんに勉強を教える事も……」


 自分でも馬鹿な事を聞いてしまったと思い、ペンが止まり俯いていた。

 公平はそんな真記をかばうように続けた。


「その頃は夢とかなりたい職業なんてなくてね。母親が最期にくれたきっかけだと思ってるよ。それに比べて、織田さんは偉いよね。昔からなりたい職業があって、夢があるし。勉強も初日でこれだけ解けるようになって……凄いなぁ、僕にできるかなぁ」


「そんな私なんて……なりたいって言っても、最初はただの憧れだったし、模試はB判定だったし……」


 俯いていた顔を上げながら謙遜する。


「でも先輩が教えてくれて、少し分かるようになりました。次の模試は必ずA判定もらえるように頑張りますから……また教えてください」

 

「うん。やっと笑顔に戻ったね。明日からも一緒に頑張ろうね」

 

 気付くと閉館時間前になっていた。二人で散乱した勉強道具を片付け、図書室を後にする。

 駐輪場に向かう中、公平が口を開く。


「毎日図書室に来て大丈夫なの? 高校最後の夏休みなのに、デートとかしなくていいの?」


 言われた意味が分からず大きな目を何度も瞬きさせる。


「あ……えっと……織田さん可愛いから、長い時間拘束して彼氏が可哀想だなぁと思って」


「あ……あぁ! いやいや! 全くいないですから! そういうのに全然縁がなくて……」

 

 やっと理解が出来た。同時に公平に誘われた訳で無いことも理解し自分の勘違いに恥ずかしくなった。


「……先輩こそいいんですか? お仕事始まったら彼女さんと出掛けたり出来なくなるんじゃないですか? 今の内にいっぱい遊んだ方が……」


「そうだねぇ……」


 肯定を含む物言いに落ち込みそうになる……。これだけ魅力的な男性だ。彼女がいてもおかしくはない。以前梁松が言っていたのは何かの間違いなのだろう。


「忙しくなるだろうねぇ……でも織田さんと一緒で、僕も縁がなくてね。それに、彼女が出来ると先生がうるさくて……しばらくそんな人がいないんだよね」

 

 公平はやや自嘲気味に笑っている。

 そんな公平を見てつい笑みが溢れてしまう。


「そうなんですか? じゃあ一緒ですね」


 夏の盛りにしては少し早い黄昏が真記の顔を紅く染める。


「それじゃまた明日」


「はい。また明日」







 数日後

 いつものように図書室で勉強に励む真記。飲み込みの早い真記に、教える事が無くなった公平は賃貸住宅の雑誌を読みふけっていた。


「引越するんですか?」


 一通り問題を解き終え、ノートの添削を頼みながら訊ねる。


「さすがに今のワンルームじゃ手狭てぜまだからね。もう少し広い部屋に引越たいんだけど……家賃って高いよね」


 雑誌をかたわらに置き、ノートに視線を向ける。答えのページを開きながら採点をしている公平の目が徐々に開かれていく。


「織田さん……凄いよ。間違い二つだけだよ。これならA判定も問題ないよ」


 開かれた目のまま公平に見つめられる。


「苦手だった所もちゃんと出来てるし。こんな短期間で良く頑張ったね。これなら僕が教える事も無いかな」


 自宅に帰って復習を怠らなかったからだろう。公平に褒めてもらいたい一心で、今まで以上に費やした結果が実を結んでいた。それば同時に、二人で同じ空間に居られるこの時間が失われる事を意味していたが……。


「実は……数学もちょっと自信無くて、明日から数学も教えてもらえませんか?」


 初めて公平に嘘を吐いた。

 どちらかと言うと数学は得意な方だ。ただこの時間が失われる事が何よりも辛かった。


「数学か……僕は文系だから得意って訳じゃないんだけど……よし。復習も兼ねて一緒に勉強させてもらおうかな」


「やった! ありがとうございます」

 

 引き続き継続される特別授業に喜んだのも束の間、傍らに置かれた住宅情報誌が目に入り、確実に訪れる別れを物語っていた。


 昼時になり梁松も合流し、いつもの定食屋へ向かう。

 食事中に梁松が一枚の封筒を取りだし公平に渡した。


「松笠君は当日、お父さんと朝から温泉に行ってもらいます」


 食事を頬張りながら梁松が言い放つ。訳が分からない二人は目を合わせる。


「サプライズパーティーの話よ。二人で日帰りの温泉に行ってる間に、私達が部屋の飾り付けと料理をやっておくわ」


 二人で頷き話の続きを待つ。


「朝から織田さんを拾って松笠君の家に向かうから、その前にお父さんを連れ出して。私達夫婦からのプレゼントって言えば素直に行ってくれるでしょ。織田さんは飾り付けをお願い出来るかしら?」


「はい。大丈夫ですけど……」


 家主がいない家に勝手に入り込んで良いものか悩んでいた。


「心配しなくて大丈夫だよ。織田さんの事は親父にも話してるから。会ってみたいって言ってたから喜ぶと思うよ」


 一先ひとまず不安要素は消えたが、どのような伝え方をされているのか……新しい不安が芽生えた。







 

 充悟の誕生日当日。


 梁松との約束の時間前、準備を整えていると公平からメールが届いた。


「今日はよろしくね。親父には織田さんが来ることは内緒にしろって先生が言ってたから、きっとびっくりすると思うよ。二人には悪いけど、今から温泉に行ってくるから後はお願いするね」


 せめて一言伝えていて欲しかったが……梁松の事だ、何か考えがあってのことだろう。

 準備は任せて欲しいとの旨を返信したところで、梁松から電話が掛かってきた。


「おはよう。そろそろ到着するけど用意出来てる?」


「おはようございます。大丈夫です。それじゃ私も家出ますね」


 自宅まで迎えに来ると言う梁松に少し気が引けて、近くのコンビニを集合場所に指定したが、あまりの暑さに足を踏み出した直後から後悔していた。


 集合場所に到着すると一際大きな車から手を振る梁松を見つける。

 梁松の容姿からは想像も突かない程の大きさだ。


「おはようございます。車……大きいですね。どうやって乗るんですか?」


 ドアを開けたものの乗り込み方が分からず座席越しに話し掛ける。


「おはよう。主人の車でね。機材積み込むならこっちにしろって言うから……そこの手摺てすり握って、足を掛けたら乗れるけど、スカート気を付けてね」


 言われた通り、片手は手摺を掴みもう片方の手で裾を押さえ、足を掛け乗り込む。

 

「さっき先輩からメールあったんですけど、私が行く事は内緒にしろって言ってるみたいですね。大丈夫ですか? 驚かれないですか?」


「あ、聞いちゃった? 気を悪くしたなら謝るわ。でもきっと大丈夫よ。驚くとは思うけど……まぁ着けば分かるから」


 やはり何かあるようだがそれ以降は何を聞いても、はぐらかされていた。


 車に乗り込んで数分後、目的地である公平の実家に到着する。

 大豪邸と言う訳ではなく、古き良き日本家屋のおもむきのあるたたずまいの邸宅は、自分の家から程近く自転車でも来ることが出来る距離だった。


「結構近いんですね。もっと遠くに住んでるイメージでした」


「そうね。この距離ならいつでも来られるわね。良かったじゃない。正直どうなの? 松笠君の事」


 唐突な質問に言葉を失う。勉強を見てくれている事なのか、それとも……。


「まぁ私がとやかく言う事でもないわね。さ、準備始めましょうか」


 沈黙した事で何か思い違いをしていなければいいが……。そんな事を考えながら後部座席から機材や飾り付けの道具を取り出す。


「お邪魔します……」

 

 家に入ると広い玄関が二人を迎える。手入れが行き届いて自分の家とは違う様相に驚く。


「広い玄関ですね……ウチとは大違いですよ。靴も出てないし」


「確かに、初めて来た時は私もこの広さには驚いたわ。それにしても松笠君、結構頑張ったみたいね。普段はもっと……酷いわよ。お父さんはマメな人じゃないから」


 梁松は少し笑いながら機材を置いて靴を脱ぐ。


「さ、早速始める前に……織田さんを呼んだ理由を説明しようかしら。こっちに来て」


 梁松が奥の和室からこちらを呼んでいる。靴を脱ぎそろそろと和室へ向かう。

 そこは仏間らしく、仏壇以外は何も無い部屋だった。黒塗りの仏壇の前で梁松が正座で待っていた。

 その横に座ろうと歩を進め仏壇を前にした際、中の遺影と目が合った。













 

 

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