5-4
数日後
テーブル上には色鮮やかで華やかな料理が並んでいた。……もっとも、予定当日の仕事が終わらず半分以上は牡丹が作ったものだったが……。
「申し訳ない! こんなはずじゃなかったんだけど……」
「もういいわよ……聞き飽きたわ。それよりもお箸と取り皿を準備してもらえる?」
手際よく調理された料理の数々がテーブルを埋めつくしていく。さながらフルコースを一度に提供された様になっている。
「それじゃいただきましょうか」
牡丹が席に着き手を合わせる。それに倣い一緒に手を合わせる。
「……それで? 名前は決まったの? まさか名前まで忘れてたなんて言わないわよね?」
料理を小皿に取り分けながら牡丹が訊ねる。
「忘れてた訳じゃないよ……本当は昼過ぎには終わって、料理してるはずだったんだ。それが急に資料整理を頼まれて……。でも名前はちゃんと考えたから」
--満を持して発表する。
が、牡丹は怪訝そうな顔をしながら口を開いた。
「猫の名前よ? もっと名前らしいものはなかったの? とりあえず由来でも聞こうかしら。あなたがどんな思いでそんな名前を付けようと思ったのか」
必死に考えた名前は不評のようだ。自分では良いものを付けることが出来たと思っていたので少し落ち込む。
「女の子らしい名前だと思うし、三文字って呼びやすいと思わない? それに……牡丹さんと僕を、こうやって結びつけてくれたのは、こいつだし、あの場所にいなかったらきっと、こうやって一緒に食事するなんて事は無かっただろうから。そんな意味を込めて、ぴったりだと思うんだけど、ダメかな?」
仔猫から視線を移し牡丹を見やる。
「なにそれ? プロポーズのつもり?」
牡丹が好意的に薄く笑う。
牡丹の意図が分からず、自分の言った言葉を
意味する事に気付き、慌てて訂正しようとするが牡丹の言葉に遮られる。
「彼女に捨てられました。寂しくて仔猫を拾おうとしたら、たまたまそこに居合わせた女に親切にされました。何度か会って自宅で食事する仲になりました。じゃあ付き合いましょうか。とはならないわよね。そこまで私も安くないわ」
今までの談笑が嘘の様に、一気に空気が張り詰め出す中、牡丹が深呼吸をして続ける。
「……一年よ。一年待ってあげる。連絡も取れず、あなたが彼女の事を完全に整理する事が出来たら、一年後に同じこと言ってくれるなら、私とお付き合いして欲しい……。でも私も生活するために仕事探さないといけないし。お互い傷を舐めあってる程、暇じゃないでしょ。だから一年間、しっかり考えて……」
牡丹は真剣な眼差しを向けた。その目にはうっすらと涙を湛えていた。
そんな表情を見て言い訳など出来る訳もなく、ただ首を縦に振ることしか出来なかった。
2009年8月
梁松からの連絡は無く、約束の一年を迎えた。
一年間、真記の事を思わない日は無かった。それでも時間は嫌でも思い出を風化させ、父親と牡丹の言葉が日を追う毎に、重く深く突き刺さる。
「縛られず、前に進む……か」
一年経ち仔猫の頃の面影を薄くした黒猫を抱き上げる。
猫は短く肯定する様に鳴く。雨に濡れ震えていた頃からは想像もつかないような、澄んだ鳴き声になっていた。
(♪♪♪)
牡丹の名前が画面に浮かぶ。数回の呼び出し音の間に深呼吸をし、通話ボタンを押す。
「もしもし……約束の一年経ったけれど、どうかしら? 気持ちに整理はついた?」
牡丹の話し口調は相変わらずだが、声色から少しの緊張感が伝わる。
「正直……この一年で、彼女の事を考えなかった日はないと思う。ただ、今までとは違って思い出になっていくような感覚だった。牡丹さんが言ってた、縛られてたら前に進めなくなるって言葉……前日に親父からも似たようなこと言われてたんだ。
牡丹さんが、忙しくても側に居て励まし続けてくれた事はとても感謝してる。けど、これからも彼女の事はきっと忘れる事は出来ないと思う……それでも牡丹さんが許してくれるなら、側にいさせて欲しいと思ってる……」
「……そうよね。あんな別れ方で諦めがつくはずないわよね」
牡丹の声は今まで聞いたどの声より低く暗いものだった。
やはり納得はしてくれないだろう。他の女性を思っている男と付き合うなんて、牡丹のプライドが許さない筈だ。牡丹程の魅力的な女性であれば、自分が今まで相手にしてもらっていた方が不思議なくらいだ。
「70点ね」
一転して、いつも通りの声に戻る。
「え?」
自分でも可笑しなくらい素っ頓狂な声が出る。
「なによ? 可笑しな声出して。言ったでしょ? あなたがちゃんと彼女との事を整理出来たら付き合うって。整理した上で前に進む気持ちになってる様だし、彼女の事はすっぱり忘れました。だったら、今後あなたと付き合うつもりはなかったけど。
思いに区切りを付けて、私との関係を続ける気があるんでしょ? 私もあなたみたいな真っ直ぐな人放っておく訳にもいかないし。でも、こう言う話は直接会って聞きたかったわ。家も離れてる訳じゃないんだから。……だから70点よ。これからもよろしくね」
少しずつ牡丹なりの優しさというものが分かり始めていたこの一年間。
言葉尻等で冷たい人と思われる事もあったらしいが、自分には無い価値観や考え方を教えてもらい色んな表情を見せてくれていた。
人生経験というのか、年の功というやつか分からないが、尊敬出来る相手だと改めて痛感した。
この人を悲しませる事がないよう、自分を奮い起たせていた。
「あ、それから。言うタイミング無かったから今言うけど……私、年下よ」
「え?」
--リボン be 了--
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