七章 to
7-1
2008年4月
何も言葉が浮かばなかった。何を言われてもどこか他人事で、自分に言われていると思えなかった……。
異変を感じたのは四ヶ月程前。元々不規則だったものが、一切来なくなった。始めは妊娠かと思っていたが下腹部に若干の痛みがあり、少量の出血もあった。すぐ病院に行くべきだったが、卒業も近く心配を掛けてしまうと思い今頃になってしまった。
どんな顔するだろう、きっと優しい言葉を掛けてくれるんだろう。
「やだなぁ……嫌われたくないなぁ……」
家に近付くにつれ、現実感が増し涙が溢れた。
鍵を開け部屋に入り、テーブル脇のソファに腰掛け診断書を再度確認する。
「多嚢胞性卵巣症候群」
早期の発見であれば、投薬により治療が可能な症状たが……遅すぎたらしい。今から妊娠する可能性は限り無く低いと言われた。それどころか、癌などのリスクも
「ちゃんと言わないとダメだよね……折角卒業してこれからだったんだけどなぁ……」
夜が迫り晩春の陽がそそくさと影を伸ばし、辺りを照らすことをやめていく。
立ち上がる気力もなく、帰宅してどれほど経ったのだろうか、手が届く範囲ですら輪郭を見失わせる程の闇が部屋を包んでいる。
いい加減部屋に光を灯さなければ……そう思い立ち上がると、玄関から解錠する音が鳴り響く。
「あ……」
気持ちと言葉の整理をつけられないまま、いつもの優しい笑顔を迎え入れた。
「ただいま。真記も今帰ったの?」
「お帰りなさい。横になってたらいつの間にか寝ちゃってて……今日は早かったね」
「うん? 今日はほら……いつもの……大丈夫? 具合悪いんじゃない?」
そうだ……今日は一緒に食事をする日だった。慌てて支度に取り掛かる。
「あ……ごめん! すぐ作るね。ぼーっとしちゃってて……」
「--真記……? 何かあった?」
必死に取り繕ったつもりだった。しかし、その仮面は脆く崩れていた……。
冷蔵庫の扉に写る公平の顔はいつもより心配そうな顔をしている。
誤魔化すことはできない。ありのままを伝えることにした。
「私ね……もう赤ちゃん産めないんだって……。キクちゃんの子供、産めないって……」
公平の顔が見る間に体温を失っていく。
「今日病院に行って、検査してもらってた結果が出たんだ……これ」
診断書を渡すが、公平は手に持ったまま動く事が出来ずにいる。
何か言わなくちゃ、いつもみたいに大丈夫だよって言ってもらえるように……。
「あは……あはは……ごめんね。急に変なこと言って。あ……冷蔵庫の中、何も無いからちょっと買ってくるね。今日はキクちゃんの好きな物にしようね」
……沈黙が耐えられなかった。この場に居れば公平を更に困らせてしまう。
逃げるように、財布と携帯電話をポケットに突っ込み外へ飛び出した。
どれくらい歩いたのだろうか……家から随分と離れたようだが、ここが何処なのか分からない。
幸い幹線道路沿いのため、交通機関は運航しているようだ。
先程から何度も公平から着信が繰り返されているが、話をする気にはなれなかった。
「……どうしよう。勢いで出てきちゃったけど、行くところないや……」
更に鳴り始める携帯電話を確認すると、短大の同級生からだった。
反射的に通話ボタンに指を乗せる。
「もしもし……」
「あ、真記? やっと繋がった。今どこ?」
「どこだろう……分かんない」
「え? なにそれ? 家じゃないの? ケンカでもしたの?」
ケンカ……と言っていいのだろうか? 勝手に飛び出して来たのは自分だが説明する気にもなれず話を合わせる。
「今から、みんなでドライブ行くけど行かない? ちょうど真記の実家の方だから案内してもらいたくて」
実家……暫く帰っていなかった。母親に説明すれば少しの間は寝泊まりさせてもらえるだろうか?
行くあてもなく、一人でいる事が少し辛くなっていたため、誘いに乗ることにした。
「うん、いいよ。でも本当に場所分からなくて……コンビニで場所聞いてそこで待っててもいい?」
「分かったー。それじゃ場所が分かったら連絡してね」
電話を切り、付近を見渡す。
少し先に見慣れたコンビニの看板を見つけた。そこまで行けばとりあえず、誰かと一緒にいられる。
看板の光へ向かい歩きながら母親に話す内容を考えていた。正直に話すべきか……それとも友人に言ったようにケンカして少し距離を置きたくなったと言うべきか。
いくら考えても答えは纏まることはなかった。
コンビニに到着し場所を訪ねる。感覚的にはかなり遠くまで来ていたつもりだったが、実際には二駅程の距離だった。それでも土地勘の無い場所では遠く感じるのだろう。
友人に連絡し到着を待つ間、今後の事を思う。
暫く帰るのはよそう。今は会わせる顔がない。心配掛けて、勝手に飛び出してきっと怒ってるだろう。いずれ梁松や充悟にも連絡が行くはずだ。
気が重くなってきた……。今日の所はとりあえず、実家の世話になろう。一日位は何もかも聞かれず泊めてくれるだろう。
少し肌寒い夜。
いつもならそこにある左側の熱を、今日からは感じる事が出来ないと思うと尚更、孤独感が胸を埋め尽くしていった。
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