8-6
2019年7月27日
事件から十日以上が経過していた。
被疑者が出頭したこともあり、事務作業は滞りなく進み来月には裁判の目処が立った。
担当の件では上司から反対されたものの、検事正からの通達でなんとか受持つことが出来た。恐らく親父と梁松さんが手を回してくれたのだろう。
しかし……何処から情報漏れたのだろうか? メディアでは連日のように今回の事件が取り上げられている。
勿論、携帯電話にも幾度となくマスコミからの取材要請があったが、電源を切ったため今はもうない。自宅へも暫く帰っていないため、どうなっているかも分からない……。実家にまで押し掛けていなければいいが、元警察官の家屋にまでは入れないだろう……。
あの日、警察署から戻り地検へ向かった後、今回の被疑者を知らされた。
青天の
数日後送られてきた調書に目を通し、暗い感情は更に黒さを増すばかりだった。
「何故、花蘇芳を……」
2019年8月
初公判当日の朝。
硬い床にも慣れた。名前を呼ばれないことにも慣れた。そもそも、名前を変えていたんだから違和感なんて無かった。
私はいつから偽っていたんだろう。
私はいつからこんな顔をしていたんだろう。鏡に映る偽物の自分を見つめる。
恐らく最期になるかもしれない朝をいつものように過ごす。
さぁ……時間だ。
「公平さん……約束覚えてくれているかな……?」
弁護側、検察側の入廷後に裁判官が入廷する。一際厳粛な面持ちの初老の男が中央に着席すると、辺りは静まり返った。
「審理を開廷します。被告人、氏名・年齢・職業・住所をお願いします」
「……加賀池真記、32歳、幼稚園教諭です。住所は○○県××郡です」
顔と名前を変えた。それ時からだろうか……。こうなる事が決まっていたかのように言葉が流れ出た。
「では次に、検察側より起訴状の読み上げをお願いします」
項垂れたまま目だけで公平を確認する。大分疲れているのだろう、少し痩せたように思える。
訴状が読み上げられる中、事件当日を思い出す……。自分が行った事だが、少し気分が悪くなる。
「被告人、訴状の内容に間違いありませんか?」
「……はい。間違いありません」
自分の声だけが響く。
まるで公平と過ごした家での最後の様に。
「それでは、検察側より冒頭陳述を行ってください」
「はい」
過去と違う事と言えば、今日の公平はしっかりと受け応えをするという事だろうか。
「勤務先である幼稚園、多くの園児がいるなか何故、被害者を選んだのか……。
調書では被告人が赴任してきた当初、最初に声を掛けた園児であり印象が強かったとあります。また、殺害までの経緯についても昼食の後、姿が見えなくなった被害者を園付近で保護した後、そのまま自分の車に乗せ殺害現場の山間部まで向かっています。犯行後は管轄の警察署に出頭していますが、未来ある子供一人の命を奪った犯行は卑劣極まりなく
公平の声は荒く大きい。同棲していた頃、数える程度ではあったが喧嘩もした。その時よりももっと……怒っているようだ。
でも……その怒りは誰の為だろうか?
「凶器である刃物も、犯行の4日前に購入しており、使用されてはおりませんが荷造り用のビニールテープ、ガムテープなど、被害者の自由を奪うものを同時に購入している。犯行は計画されていたものではなかったのでしょうか! 出頭、自首により減刑を--」
「検察官……感情的にならずに……審理中は冷静にお願いします」
そうか……押収された物はそういう解釈をされているのか。使おうと思っていた場所に着く前に花蘇芳と話さなければ、公平が言うように陳述通りの使用法になっていたかもしれない。
公平は額に大粒の汗を浮かばせている。
「取り乱しました……申し訳ありません……。続けます。調書内の実況見聞です。山間部に向かう途中で目覚めた被害者と話しながら山道を歩き犯行現場に向かいます。ここで被害者が母親はどこにいるのかと騒ぎ始めたとあります。県道から離れた場所ではありますが、騒がれると困ると考えた被告人は……脅迫のため所持していた刃物で腹部を……一度刺します……。
腹部を刺す際に声を抑えるため、口を
調書作成中に、月下の事を隠すために吐いた嘘だったが、本当の事を言えるはずも無かった。あの場で月下の事を話せば、警察が動いただろう。それだけではあの男が素直に捕まる筈がない。もっとそれらしい理由を調べる時間がなければいけなかった。
赤黒く残った左手の「おまじない」の痕だけが真実だった。
「……それでは証拠調べ手続きを行います。弁護人どうぞ」
「検察側から提出された、凶器・移動記録・商品購入の履歴・被害者の歯形・被告人の左手拇趾球部の裂傷痕。いずれも同意しております」
「それでは5点を証拠として記録をお願いします」
裁判官が書記官へ促す。
「では次に、被告人への質問があれば行ってください……冷静にお願いします」
公平がゆっくりと顔をあげ、こちらを見る。その顔を見ることは出来ない。
公平の目には自分がどのように写っているのだろう。息子を殺した憎き相手だろうか? それとも高校時代の恩師に似た女だろうか?
それとも……。
「……なぜ? 息子だったのか……あなたと私は園での面識もありました。会話こそ少なかったですが、良い関係を築けていると思っていました……。
息子には、人に優しく……人だけではなく全ての命は平等だと伝えていたつもりです。教諭という立場であったあなたも、園の教育方針でそのように考えて、伝えて、教えていたんではないですか?
だとしたら、今回はあまりにも不平等ではないですか。
……現在の司法のありかたでは、あなたが極刑になることは限りなく難しい。
なぜ平等な命を奪い、奪われた我々と同じように生きているのか。
私は納得いかない。出来る筈もない。
……赦されるのであれば私はあなたを今すぐにでも……殺してしまいたい」
……良かった。
約束を覚えていてくれた……。
もう十年以上前の約束を……。
裁判官が何度も槌を叩きつける。
そんな中でも、公平の声しか聞こえなかった。
「静粛に! 審理中です! 検察、心中は察しますが、発言には気をつけるように!」
肩を落とし、席へつく公平を目で追う。
公平の気持ちは確認出来た。
後は私が……。
暫く時間が経過し、徐々に落ち着きをみせる所内。
「それでは審決にうつりますが被告人、最後に何か言いたいことはありますか?」
裁判官に促され、冒頭陳述では語られなかった部分を話す事にした。
出来るだけ、公平を逆撫でするように……。
「はい……。当日は花蘇芳ちゃんの誕生日でした。何日も前から……「誕生日はお父さんと過ごすんだ」と……。とても楽しみにしている様子でした。
しかし……当日の朝、お迎えの際にとても落ち込んでいるみたいでしたので、声を掛けました」
公平の顔からみるみると血の気が引いていく。
やはり忘れていたのだろうか? そんなことはないと信じたいが……。
「お父さんが朝からいなかった。約束していたのに……と。
検事さん……普段から家にはあまりいらっしゃらないようで……誕生日には1日中、遊ぶ約束をされていたんですよね。
……当日は奥様もお出掛けの予定みたいでしたので花蘇芳ちゃん、とても悲しそうでした」
未だに牡丹の素行も知らないのだろうか? 公平はどこかを見つめ呆然としている。
花蘇芳の気持ちを代弁すれば、響くだろうか……?
「待たされる。というのがどれ程辛いか考えられたことはありますか? 子供には1日がとても長いんです。特に楽しみにしていることなら夜もなかなか眠れず、ずっとその日が来ることを待っているんです。
花蘇芳ちゃんは一年の間、我慢していたんです……そしてその楽しみを奪われた。理由も告げられず」
花蘇芳の気持ちに気付けたのだろうか。公平がこちらを見ている。
約束を思い出してくれただろうか。
「私は……検事さんに気付いて欲しかったんです。花蘇芳ちゃんや奥様と、向き合って欲しかったんです……彼が今、何を思っているのか、奥様が今の検事さんをどう思っているのかを知ってほしかった……あなたの家族がどれだけ歪であるかを分かって欲しかった。最後に花蘇芳ちゃんと目を見て話したことがいつか覚えていますか? 些細な約束をしてませんでしたか? 思い出すこともできませんか?」
見つめ合う公平の目には憎しみが宿る……。もう少し……。
「……でも良かったじゃないですか。来年は無理ですけど
最期の誕生日には会うことができ--」
目の前に公平がいる。
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