8-7



 狂おしい程に愛した男が、今は目の前にいる。

 復讐の念に顔を歪め、狂乱しながら私を抱き締めるように肌が触れ合う。


 瞬間、腹の一部に熱を感じる。熱は複数箇所に数を増やし腹部全体が熱い。

 熱は次第に痛みへと変わる。


 花蘇芳はこんな痛みを我慢していたのか……。


 それでも心から愛した男に命を奪われるという事はこれ程にも救われ、満たされるものだろうか。

 暫くこのまま、お互いの体温を感じ合っていたかったが、数人の男達に腕や体を掴まれ、公平が自分から引き剥がされて行く……。


「地獄でも殺し続けてやる!」


 行かないで……遠くへ行かないで……。

 あの日、逃げ出したのは私だけど……今度はずっと一緒にいるから……。


「ありがとう……ごめんね……。キクちゃん」


 意識は遠退き視界の隅が白く霞む。

 中央には公平へ伸ばす手と……錯乱し頸を切り裂く公平の姿が映る。


 勢いよく飛び散る鮮血と腹部から垂れ流される赤黒い血液が、遠く離れた二人を結ぶように混じり合う。







 同日

 ○○県山間部の月下家、別邸付近で無線による会話が行われる。


「配置完了しました。いつでも行けます」


「……了解。各班確保用意。私情に巻き込んですまないが、世話になった人の仇だ。絶対逃がすなよ」


 様々な格好をした老若男女が一件の家を取り囲んでいる。


 合図と共に一組の捜査員が、インターホンを鳴らす。

 数秒後、扉が開き一人の捜査員が扉に足を挟み室内へ踏み入る。


月下薫つきしたかおるだな。児童誘拐及び、殺人の教唆で令状が出ている。同行を願おうか」


 令状を突き付けられた月下の顔はみるみると、憤怒の様相に変化していく。

 真記への暴言を吐き散らしながら、裏山に面した窓へ逃げ走る。捜査員も追従するが、勿論窓側にも別班が配置している為、無線での連絡が行われる。


 別班が月下を確保している間に周辺を監視する班から無線が入る。


「女性が一人、玄関に向かっています。恐らく検事の奥様だと思われます」


 室内で待機する班が息を潜める。

 インターホンが押され室内に呼び出し音が響く。不在の家主に腹を立てているのか、短い間隔で何度も呼び出し音が鳴る。


 牡丹の令状は無い。しかし、今回の件の参考人としては充分過ぎる程の情報を有しているだろう……。


「班長……任意で牡丹を引っ張れるか?」


「……了解」

 

 何度目かの呼び出し音の後、捜査員が静かに扉を開く。


「遅いわよ! こんなとこ誰かに--」


 扉を開いた顔がいつもと違う人物だった事に驚きを隠せないのだろう。開口したまま牡丹の目が泳ぐ。


「松笠牡丹さんですね? 今回の息子さんの件でお話を伺えませんか? 任意ですので強制はできませんが」


 牡丹を取り囲む人数に全てを察したのか、牡丹はすんなりと同行を受け入れた。



「……両名の確保完了しました」


 梁松は了解の旨を通達し、無線を切る。すぐさま充悟へ連絡を取る。



「充悟さん、無事終わったよ」


「そうか……すまなかったな。手間掛けさせて」


「何言ってんですか。今からですよ、大変なのは。相手は月下グループの次男坊ですよ? 妨害が入らないとも限らないですよ……。まぁでも任せてください。しっかりとやりますから。これで阿左美さんも報われるでしょう……」


「あぁ……そうだな。後は公平が立ち直ってくれれば--」

 

 漸く過去の因縁から解放され、亡き妻の姿を思い出そうとした瞬間、テレビから流れる音声に耳を疑った。


「--速報です。先ほど児童誘拐、殺人の罪で起訴されていた加賀池真記被告が、被害者の父親で検事の松笠公平さんに、裁判中腹部を刺され意識不明の重体。松笠検事もその後、手にした刃物で自らの頸部を切り付け、意識不明の重体となっています。繰り返しお伝えします……」


 愛する家族を全て失った男はただその場で崩れ落ち、茫然とするしか出来なかった。


「充悟さん!? どうしたんですか! 充悟さん!」

 

 受話器の向こう側で梁松が叫ぶ。





 いつの日かの黒猫も今では老い、走り回る事もなく一日の大半を寝て過ごすようになっていたが、失意の底にある充悟に寄り添い、喉を鳴らす。

 

 

 夏の盛り、濡れた猫の鼻の冷たさが老いた男に現実を突き付ける。

 




     -- リボン when 了 --





 

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