終章 

reborn

 


 生活感の感じられない一軒家。

 

 手が入れられていない庭や郵便物、取材記者の名刺などが散乱し、家主が随分と長い時間留守にしていることを物語る。

 

 鍵を使い扉を開くと玄関は慌てて飛び出したであろう状態を保ったままだった。

 靴を脱ぎ部屋に入ると猫の糞尿の臭いだろうか? 刺激臭が鼻を突く。


 「うっ……酷いな……」


 換気のため窓を開ける。締め切られたカーテンが揺れる。


 季節は秋。

 外にいれば陽射しはまだ身を焦がす程だが、部屋を抜ける風は心地よく、時折埃を巻き上げている。



 「よし……もうちょっと待ってろよ」


 男が脇に抱えたキャリーケースに向かい話し掛ける。


 納戸から掃除機を取り出し慣れない手つきで片付けていく。



「……こんなものか。よしもういいぞ。久し振りの我が家はどうだ?」


 部屋の掃除を終えた男がキャリーケースを開くと中から恐る恐る、一匹の老いた黒猫が出てくる。猫を抱き上げ、男は窓際に腰掛け皺の寄った封筒を取り出した。




 「お久し振りです。お父さん」


 この歳になった自分を「お父さん」と呼ぶ人間は限られているが、差出人と消印の無い手紙でも、文面から伝わっていた。



 「突然のお手紙申し訳ありません。これからお話することは信じ難いことでしょうが、全て事実です。

 そして、このような形でしかご報告出来なかったことをお許しください」


 自分が知っている頃と同じ人物が書いたとは思えないほど、しっかりとした文面がそこにあった。



 「まず、花蘇芳くんは公平さんの子供ではありません。牡丹さんと不倫関係にある、「月下薫」という男との間に出来た子供です」


 息子の妻には他に男がいた。更に孫と思っていた子は、妻を自分達から引き裂いた男の子供だった。

 膝の上で喉を鳴らしている老猫以外の家族を失ってしまった男は、心までもどこかに置いてきたようだった。


 「私はその月下に多額の借金があります。公平さんの元から逃げ出した後、一度実家へ戻り気持ちを落ち着けていました。その後、もう一度公平さんと話をしようと思い自宅に戻ったのですが、そこで公平さんと牡丹さんが一緒にいるところを見てしまい再度逃げ出してしまいました。その後、行くあてもなく雨に濡れた私に声を掛けてきた男に暴力を振るわれ、顔に骨折と火傷を負わされてしまいました。暫くの入院の後その男から逃げるように県外へ去りました。

 県外では、顔の火傷の事もあり、明るい場所で働く事が出来ず、一時期は風俗で働いていました。その時に月下と知り合い、隠していた顔の傷の事を告げると整形手術を勧められ、費用も借金という形ですが、工面してもらえるようになりました。

 顔が変わり別人の様になれた事で、仕事もそれまでとは違い、昼間に働けるようになりました。少しずつではありますが、返済も順調に行っていたのですが、一年前に急な返済の増額を月下から求められ断ると「顔に傷を付けた男に引き渡す」と脅されました。それでも払える物が無かった私は借金免除の条件として、子供1人を月下の元に連れて行く要求を飲むしかありませんでした。

 牡丹さんには私の事は伝えていなかったようですが、計画自体は知らされていたようです。

 花蘇芳くんの事は公平さんのSNSを通じて知っていました。ただ、誘拐するように指示された子供が花蘇芳くんだと知ったのは、今年の4月。赴任するために県外から帰ってきて月下から写真を見せられた時でした。

 公平さんの子供だと分かり、誘拐する事は出来ないと再度断りました。しかし、月下の脅しに負けてしまい、もう一度首を縦に振ることになってしまいました。

 それからは月下の指示があるまで、幼稚園の仕事をしていました。その間、何度も牡丹さんともお会いしましたが、いつもどちらかへお出掛けされているようだったので、一度だけ園に休みをもらい、後をつけた事があります。そこで月下と牡丹さんの関係を知り、後日に幼稚園の書類で花蘇芳君が、戸籍上は月下と牡丹さんの子供で養子縁組もされていないということを知りました。

 ……その時私は思いました。牡丹さんは私が望む人をどちらも手にしているのに、なぜ裏切るような事をしているのだろか、私はどちらも失い二度と手にすることは出来ないのに……。

 別の誰かなら良かった。どうして公平さんなのかとも。

 疑問は怒りへ、怒りは憎しみへと変わってしまいました。

 そんな折、月下から計画実行の連絡がありました。

 4日後……7月16日、花蘇芳くんの誕生日です。私はこの日、月下と牡丹さんを説得してみようと思っています。

 あんなに幸せそうに笑っている公平さんを落ち込ませたくありません。

 私に出来る精一杯の恩返しだと思ってもらえれば幸いです。


 ……もし、私に何かあった時は、この手紙に同封した写真と書類を公平さんと警察に渡してください。

 公平さんには、また辛い思いをさせてしまうかもしれませんが……私はあの二人を許す事が出来そうにありません。

 最後に…またみんなで、ご飯を食べたかったです。

私、結構料理上手になったんですよ? お父さん、公平さん、先生に食べて欲しかったなぁ……。


 あの日、逃げ出さなければもっと違っていたんでしょうか。

 公平さんと知り会わなければこんなに苦しまなかったんでしょうか。

 


 公平さんに…「私だよ」って一度で良いから、伝えたかったなぁ……」


 

 恐らく真記は最悪の状況を想定し、この手紙を自分に託したのだろう。話し合いが通じる相手ではないという事も理解していたのだろう。

 その為に、事前に刃物やガムテープ等を購入し対策を講じたのだろう。

 文面からは花蘇芳に対する殺意などは一切感じる事が出来ない。しかし、途中で何らかの判断を下し事件に至った。真実を知る人間が誰もいなくなってしまった今では憶測すら難しいが、全てが遅すぎた。

 牡丹と月下の密会写真、戸籍謄本が同封された手紙が自宅のポストに投函されていることに気付いたのは公平から連絡を受け、家を出る直前だった。

 もっと早く気付いていれば、事件を回避することが出来たかもしれない。

 


 真記に聞きたい事は山ほどあった。


 息子といた時間は幸せだったのか。


 なぜもっと早く頼ってくれなかったのか。

 

 他に方法はなかったのか。


 いくつも浮かぶ疑問に答えが出る事は無く、日が傾いた窓際で男は独り呟いていた。


 「真記ちゃんは公平に逢えたのかな。これだけ思っていたんだから……死んでも逢えないってのは酷すぎるよな……。天国でも地獄でも、思う人に逢えりゃきっと幸せだよな。なぁ……リボン?」



 膝の上で黒猫が短く鳴く。

 男の話を肯定するように。


 

 「お互い、先は短い身だ。これからもよろしくな。出来れば一緒に逝って、先にいる3人と逢えればいいな。お前は真記ちゃんに会ったこと無いよな? 綺麗な子だぞ。阿左美にそっくりでよ……」


 猫の背を撫で男が呟く。


「もし……阿佐美が事故に遭わなければ……あるいは公平が弁当を忘れなければ……」

 邪な思いに心を奪われそうになる。

 リボンに指を噛まれハッとして、首を横に振る。


「駄目だ……そんなこと思っちゃいけねぇな。不幸が重なっただけだ……。公平は俺の自慢の息子だったんだ……」


 






 日は沈み長く静かな夜が、老いた身体を月明かりが優しく包んでいる。

 庭にはどこから来たのか、鬼灯ほおずきの実が赤々としている。

 まるで自分の居場所を誇示するように。





     -- リボン reborn 了 --

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リボン  ヒゲプロ @HigeProduction

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