8-3


 2019年7月16日


「おはようございます。カズオちゃん、おはよう」


 送迎バスの待ち合わせ場所では、花蘇芳が牡丹に手を引かれている。その様子は明らかに元気が無く、心配になるほどだった。


「カズオちゃん、どうされたんですか? 風邪でも引かれましたか?」


「いえ……今日は主人と出掛ける約束をしていたみたいなんですけど……仕事で朝からいなくて。それで落ち込んでいるんです。病気ではないですから心配しないでください」


 公平の仕事は未だに変わっていないのか……。自分も経験していたため、花蘇芳に少しばかり同情してしまう。


「カズオちゃん、今日は先生といっぱい遊ぼうか」


 出来るだけ笑顔で明るく話掛ける。それでも花蘇芳は牡丹の陰から出ようとしない。


「ほら、花蘇芳。皆待ってるわよ。早く行きなさい」


 牡丹が無理に手を引き、前に出す。


「あ……もし、あれでしたら今日はお休みされますか?」


 そうすればあの男にも言い訳がつく。出来るなら今日は外に出て欲しくなかった。


「私も今日は少し予定があるので……」


 そう言う牡丹の横にはスーツケースが置かれている。

 スーツケースを使用する程の、予定とは何なのか。おそらくあの男の指示でどこかへ逃げ、身を隠すつもりなのだろう。まさか目の前で話している相手が息子を誘拐するとも思ってもいないのだろうが……。

 しかし、完全に逃げ道を塞がれてしまった。どうしても今日実行しなければいけないようだ……。


「そうですか……ではお連れしますが、連絡をするかもしれませんので、携帯電話の電源は切らないようにお願いしますね」


 そう伝えると、花蘇芳をバスに乗せ幼稚園へ向かう。周りの友人に挨拶をされても下を向くままの花蘇芳を前にし車内の園児に声を掛ける。


「みんな、今日はカズオちゃんの四歳のお誕生日です! せーの……おめでとう!」


 園児達は声を揃え、称賛を贈る。その声に花蘇芳も少し笑顔を取り戻す。





 同日、午後13時


「加賀池先生!」


 職員室に駆けつけた主任に尋常ではない声で呼ばれる。

 何事かと思い作業を中断し、振り返ると目の前に主任の顔があった。


「カズオくんが見当たらないの!」


 顔面から一気に血の気が失せる。ほんの僅かな時間で汗が噴き出す。


「そんな……昼食の時は確かに……私探してきます!」


「お願いします! ご両親への連絡は暫く様子をみますので」


 主任の判断は、園の事を考えるなら当然だろう。信頼して預けてもらっている以上、園児が失踪したとなれば信用問題に繋がる。園の存続にも関わってくるだろう。

 しかし、まずい……。ただでさえ今日は大人しくしていて欲しいのに、このままでは花蘇芳に注目が集まってしまう……。


 ロッカーから荷物を取り、急いで車を発進させる。姿を見なくなって30分も経っていない……子供の足ならそんなに遠くまでは行けないはず。


 園の周辺を隈無く探すが人影一つも見当たらない……炎天下の中、長時間歩けるとも思わないが……。

 林の木陰など避暑地になりそうな場所も車を停め、名前を呼びながら捜索する。



 ……まさか自分以外に花蘇芳を狙っている人物がいるのではないだろうか? あの男なら考えかねない。

 煮え切らない自分の態度に腹を立て、他にも実行犯を用意したのかもしれない。

 一抹の不安を胸に、公平の自宅へ向かう。

 



 




「ねぇ……加賀池さんの噂知ってる? 月下つきしたさんの次男と懇意にしてるって……友達が見たらしいのよ」


「次男って……交通事故起こした方……? 20年位前よね……こっちにいるの?」


「そう……加賀池さんの住んでる家もあのグループが管理してるアパートでしょ? 最近よく来てるらしいのよ。決まって同じ部屋に入っていくんだって。それから、加賀池さんにこの仕事を紹介したのも……」


「先生方! そろそろ時間ですよ?」


 主任に嗜められ、そそくさと散っていく。


「加賀池さん……大丈夫かしら……」




 公平の自宅へ向かう車中。通園バスのルートを辿る。花蘇芳は依然見つからない。子供の足でここまで来ることが出来るだろうか? 引き戻し他の道を探そうと角を曲がった時に、この3ヵ月の間見続けた姿を発見する。


「カズオちゃん!」


 窓を開け、呼び止める。暑さにやられているのか反応は薄い。

 車を停め駆け寄る。後ろから抱きしめると酷く身体が熱い。熱中症になりかけているのだろう。抱き上げ車に乗せる。


「カズオちゃん、もうちょっと我慢してね! すぐ助けてあげるから!」


 近くのコンビニへ向かい、飲み物と冷却シートを購入する。

 身体を冷やし、水分補給をしたことで少し意識が戻ってきた様子だ。


 話が出来ることを確認し、まだ幼い子供に分かるように問い掛ける。


「カズオちゃん……どうして一人で出て行ったの?」


 俯く花蘇芳が弱々しく応える。


「……お父さんと約束してたから。遊んでくれるって言ったから……」


 公平の仕事を考えると、今日中に帰ってくる事は難しいだろう。それでも花蘇芳は信じて待っていた。一人自宅への帰路を辿る判断をする程に。



「カズオちゃん……お父さんに会いたい?」





 

 悪魔のような考えが脳裏に浮かんだ……。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る