5-2
「もしもし! 真記は無事なんですか?」
梁松の声より先に口を開いていた。焦る公平とは反対に梁松は、いつものように喋りだした。
「久し振り。その様子だとお父さんから聞いてるみたいね。少し前に、織田さんのお母さんから連絡あってね」
そこで一度言い淀む。
「織田さん、あなたには言わないでくれって言ってたみたい……。もうあなたに会わせる顔がないって言ってたらしいわ」
真記がなぜそれほど思い詰めていたのか。それは、居なくなった理由を知る者にしか分からないだろう。
「あなた達の間に何があったか詮索するつもりは無いわ。ただの痴話喧嘩じゃないはずとも思ってる……。言いたく無ければ言わなくてもいい。それでも一度ちゃんと話し合うべきだと織田さんには伝えたわ。」
「真記と話したんですか!? 様子はどうでしたか? 何か気になる事とかは?」
「私が知る限りの織田さんだったわ。少なくとも高校
の頃からあまり変わっているようには思わなかった。ただやっぱり少し元気無さそうではあったけど……。松笠くん、もう一度連絡取ってみたらどうかしら? 私からも話した後だから、何か心に変化があったかもしれないし」
真記が無事だと分かり、恩師から励まされ少しずつ冷静さを取り戻してきた。
「真記から連絡があったのは、いつ頃だったんですか?」
「お母さんから連絡もらったのが5日前で、織田さんと直接話したのは2日前よ。松笠君に連絡が遅れたのは……織田さんから口止めされていたから……」
「そうですか……。でも、真記が無事なのが分かっただけでも良かったです。ありがとうございます。これからもう一度連絡してみます。近い内にそっちに帰るのでまた連絡します」
梁松と会話を終え、横にいる仔猫を抱き上げ抱き締める。
「良かった……。本当に良かった」
心からの安堵が溢れだす。仔猫が苦しそうに掠れた声をあげた。
「あ、ごめん。苦しかったね。部屋に帰ろうか」
部屋に戻るまで、電話に出てくれたら何を話そうか……そればかりを考えていた。
その考えはただ数秒の機械音声で打ち崩された。
梁松の留守番電話サービスの機械音声とは違う、別の機械音声により否定された。
「会わせる顔が無いんじゃない……。会いたくないんだ……」
どうしてこの三ヶ月の間に、その考えに至らなかったのか。
真記はずっと側に居てくれてると思っていた。離れていくなんて考えた事もなかった。
陽が全て落ち込んだ部屋にはデジタルの光だけが淡く灯っている。
腹を空かせた仔猫が指に、すり寄った感覚で光が無い部屋に気付く。
「あぁ……ごめん。お腹空いたよね」
立ち上がり部屋の明かりを点け、薬を取り出し牡丹からもらったフードに混ぜて仔猫の腹を満たさせた。
「お礼、しなきゃいけないよな……」
思ってはみたが今はとても誰かと話す気にはなれず、横たわり意識が沈む事を願っていた……。
2008年8月
立て込んでいた資料作成をなんとか終わらせ、夏期休暇をもらい実家へ帰省することが出来た。
あのあと何度か真記の携帯に掛けてみたが、変わらず無機質な音声が再生されるだけだった。
「ただいま」
玄関を開けると見慣れない靴が二足並んでいる。来客中だろうか? 荷物を置くために一度自分の部屋へ向かう。
居間に顔を出すと、懐かしい顔が並んでいた。
「おかえり。久し振りね。五年振りかしら? あなたは……」
「俺は十五年くらいになるんじゃないかな? なぁ公平くん。大きくなったなぁ」
父親の向かい側に梁松夫妻が座っていた。
「大変だったみたいだね。
「お久しぶりです。そうですね……正直まだ立ち直れませんね……連絡も取れないままですし」
梁松から連絡をもらった後、何度も連絡を取ろうとしたこと、着信を拒否されていること、ありのままを話した。
「そう……。ねぇ、松笠くん。あなた達に起きた事って彼女をそこまで頑なにさせる理由なの? 言いたく無ければ話さなくていいけど、ただの喧嘩にしてはちょっと行き過ぎじゃないかしら?」
梁松がそう思うのも無理は無いだろう。まるで自分にだけ敵意が向けられているような状態だ。理由を話せば何か変わるだろか……。そんな淡い思いから、気付くと真記が姿を消した理由を話していた。
「そんなことが……。それで松笠くんは何か言ってあげたの?」
力無く首を横に振る。
「何も言えませんでした……。掛けてあげなきゃいけない言葉は、いくつも頭に浮かんでいたんです。でも全てが慰めじみた言葉というか、薄っぺらい言葉にしか--」
「なんでよ……いいじゃない。慰めでも。薄っぺらい言葉でも。自分が弱って、落ち込んでる時に好きな相手から何も言われないより、幾分もましよ。思いは声にしなきゃ伝わらないわ。織田さんの事はその程度にしか考えて無かったの?」
梁松の夫が
「ごめんなさい。少し言い過ぎたわ。あなたも辛いのに……ただ、それはあなたが気付いてあげるべきだったわね。連絡が取れるように私もなんとかしてみるから、謝りなさい」
「……公平。お前のしたことは赦されるものじゃないかもしれん……ただ、気持ちは分かるつもりだ。勿論、李奈ちゃんが言ってる事が正しいとも思う。だけどな、いつかは前に進まなきゃならん」
充悟が静かに語りだす。その言葉に梁松が反論しようとするが
「お前まで、俺と同じ道を進まなくていいだろ……」
長く独り身でいる充悟のその言葉は反論を寄せ付けない重みがあった。
「それに……俺だって人の親だ。孫の顔だって見てみてぇ。真記ちゃんには悪いけどな……。李奈ちゃんも、俺の我が儘だと思ってくれて構わねぇ。ただな……横にいない人を想い続けるのは俺だけで充分だ。公平にこの思いをさせたくないっていう親心も分かってはくれねぇか」
その場の全員が黙り込む。梁松にも言い分はあった筈だが、年老いた父親の願いを捨て置く事は出来ずにいた。
そんな空気を察してか、充悟は一つ手を打った。
「李奈ちゃんは今後も真記ちゃんに連絡を取ってみて、公平に報告してくれないか? 公平は李奈ちゃんから連絡あれば、すぐに真記ちゃんに謝れ。許してもらえなくてもだ。分かったな?」
梁松と一緒に頷く。
「もし、どうすることも出来なくなったら……その時は、諦めろ。李奈ちゃんも分かってくれるよな?」
梁松は静かに頷く。
「よし。それじゃ飯だ。なんせ今日は俺の退職祝いだからな」
充悟がそう言うと、梁松は立ち上がり台所へ向かう。少し居心地が悪くなりそれに続く。
「……さっきはごめんね。お父さんの前でする話じゃなかったわね」
母親が死んで以来、仏壇の前で手を合わせ語りかける父親を梁松と何度も見てきた。「伝わらない想い」というものを目の当たりにしてきた故の謝罪だろう。
「ついあんな風に言っちゃったけど、母親代わりの身として言わせてもらうなら、お父さんと概ね同じ気持ちよ。忘れてはいけない事だけど同じ場所に留まる事はきっと……今より辛い事と思うわ」
先程の剣幕は無くなり、今は同居していた頃の優しい顔になっていた梁松に励まされ、自然と涙が流れた。
「はい……ありがとうございます」
父親と恩師に励まされ少しではあるが、救われた気がした。
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