第23話 衝突
アグノラが地下水路でラスティたちと遭遇する数刻前。ロンドンシティでは、この日最大の狂乱が巻き起こっていた。
シティを丸ごと取り囲む重厚な城壁。近代兵器で武装した市警軍に憲兵隊。そして、権威と科学力の象徴である不死鳥騎士団の存在。富を独占するシティに反感を抱く者たちが多いが、それらの存在が抑止力となり、組織的にシティに攻め入られることはなかった。
ゆえに、シティに住まう人々は、ここが安息の地だと誤解していた。一歩外に出れば、生きるか死ぬかの地獄を生きてきた猛獣たちがいることを忘れていた。シティとエンドを結ぶ門が破られ、武装した暴徒が雪崩れ込んできても、ただ逃げ惑うことしかできない。
シティのあちこちに火が放たれ、暴徒たちによる略奪が行われる。長きに渡り、ぬるま湯に身を浸してきた市民には、暴虐から身を守るすべなど持ち合わせていなかった。
「よう、こっちはどうだい?」
「あまりにもカモ過ぎて拍子抜けだよ。仲間内の奪い合いの方が怖いくらいだ。まぁ、平和ボケしたシティの連中なんざ、不死鳥騎士団がいなけりゃこんなもんか」
略奪の合間に一息ついていた男に、偶然出会った顔見知りが話しかけてきた。男は金目のものを押し込んだ鞄を掲げながら応じる。
彼らは『
だが、シティの門が破られたのに乗じて内部に入り、略奪を行う暴徒に加わった。今シティで破壊活動を行っている者たちは、彼らと似たような立場の者がほとんどだ。彼らには大義などなく、ただシティや普段の生活に対する鬱憤晴らしのために参加しているにすぎない。そのため、連携などまったくなく、ただ欲望のままに暴れる獣だった。
「あぁ、ちくしょう。宝の山過ぎて持ち切れねえ。こんなことなら車をかっぱらときゃよかったな。さっき見つけたが、ついぶっ壊しちまった」
「また見つけりゃいいだろ。なにせ、シティは腐るほど恵まれてるんだ。車を手に入れたら、女も何人か攫って行きたいな。シティの女はきっと高く売れる」
「あぁ、そりゃいいな。シティの女に手をつけるなんて初めてだぜ」
ここまで何人か女子どもは見たが、つい殺してしまった。
エンドは女子どもが相手であっても、油断すれば喰われるのはこちらという世界だ。だから、つい警戒し過ぎ、目についた端から殺してしまったが、シティの人間はまるで羊の群れだ。命乞いで鳴くことがあっても、抵抗らしい抵抗はほとんどないと今ならわかる。
「……おい、あれ見ろよ」
話し相手の男がせっついた方向に目を向ければ、喧騒で包まれる街道を一人の少女が歩いているのが目に入った。整った顔立ちに、シックだが上等だとわかる服装。エンドでは決してお目にかかれないような美少女だ。
男たちは互いに目を合わせると、頷きあってから少女へと近づいていく。
「よぉ、嬢ちゃん。こんなところに一人でどうしたんだい?」
「危ないねぇ。こんな時に外を出歩くなんてよぉ。まぁ、部屋に閉じこもっててもどうせ襲われるだろうが、外で裸に剥かれるよりは恥ずかしくないだろう?」
下卑た笑顔で近づく彼らに、少女は被っていた帽子を上げて、花のような笑顔を返す。想像以上の器量の良さに、男たちは自分たちが最初にこの少女を見つけた幸運を喜んだ。
だが、彼らは忘れていた。掠奪者として優位に立っていたからこそ、エンドの
西瓜を砕くような破砕音とともに、男の顔に赤い液体が降りかかる。突然のことにポカンとした顔になった男が、自分の顔に手をやると血塗れの脳漿がこびりついていた。
男の隣に立っていたもう一人の男がゆっくりと倒れる。倒れた男は顎から上が消失しており、手足がびくびくと痙攣していた。
「あらあら~、これはお掃除が大変そうね~」
そんな死体を前にしても、少女は穏やかな表情を変えなかった。鍔広の黒い帽子に、魔女を思わせるゴシックドレス。手には片端が放射状になっている箒のような形状の金属棒を握っている。箒は握り手に引き金があり、それが蒸機兵器なのがすぐにわかった。
「ひっ、あっ……」
男はようやく自らの愚かさに気付き、よろめきながら後ずさる。
シティが恐れられるのは、頑丈な城壁があるからでも、最新兵器に身を包んだ兵隊がいるからでもない。シティの悪魔と呼ばれる不死の少女たちがいるかだと思い出す。
生憎と、実際に遭遇した者には会ったことない。なぜなら、遭遇した者たちはみな死んでいるからだ。だが、男はすぐにこの少女がそうだと確信する。
恥も外聞もなく、男は少女に背を向けて逃げ出した。彼に小蠅程度の価値しか見出していなかった少女は、わざわざ追おうとはしない。しかし、そんなことを知らない男は、背後に死神の鎌が迫っている気分で必死に走る。
そうして、十字路に差し掛かったところで――横から来た黒い球体に引き潰される。
直径五メートルほどの巨大球体は十字路を直角に曲がると、魔女姿の少女の隣でピタリと止まった。少女の方は特に驚いた様子もなく、遠くから聞こえる砲声に耳を傾ける。
「ん~、ちょっとまずいわね~。この数はさすがに捌ききれないかも~」
『ラスティ様たちは別のお仕事に回られていますしね。ご主人様たち全員に満足いただけるサービスを提供できる自信がございません』
危機的状況にもかかわらず間延びした声の少女に対し、黒い球体から人工的な声が返ってくる。いつの間にか、彼女たちの周りには他に、ゴシックドレスの少女が6名集まってきていた。彼女たちは口を挟むでもなく、己がリーダーたちの判断を待つ。
黒い球体からカタカタと機械音が鳴り始める。内蔵されている蒸機通信になんらかの連絡があったらしく、説明口調の声が内容を告げる。
『本部より入電。不死鳥騎士団施設の防衛を最優先。その命を賭けて敵を撃破し、兵器としての役目を全うせよとのことです』
「あらあら~、作戦詳細を私たちに丸投げしているところに焦りを感じるわね~」
それだけ、不死鳥騎士団としても予想外の事態だということだ。
命令が下りた以上、逃げるという選択肢は存在しないが、ドールたちはもともとそんなつもりはない。彼女たちにも誇りや愛着というものがあり、自分たちが守っている街を蹂躙されていることに対して怒りを抱いていた。
不死鳥騎士団とドールたちで心情的差異はあれど、この時ばかりは『敵を殲滅する』という一点を共通目標として、不思議と足並みが揃ったことになる。
「上から見た感じでは、統率が執れているのは五百人くらいね~。戦車とか蒸機蜻蛉がいっぱいいて、すごく強そう~。他の人たちは、騒ぎに乗じて遊びに来ただけみたい~」
『贔屓はしたくありませんが、その五百名を優先的にお出迎えいたしましょう。他のご主人様たちに対しては、市警軍や憲兵隊のみなさまにがんばっていただくのがよろしいかと。ただの武装市民への応対だけでしたら、彼らで十分でしょう』
「そうね~。じゃあ、空を飛んでる蒸機蜻蛉百騎はうちが引き受けるわ~」
『では、私たちは戦車を含む陸上部隊四百をお出迎えいたします。……贅沢は言いませんが、少々数に偏りがある気がするのは気のせいでしょうか?』
「だって、戦車砲を真正面から受け止められる防衛手なんて、あなたしかいないじゃない~。それにこっちは百騎は百騎でも……」
魔女服の少女は、空に浮かぶ飛行物体群を見上げる。ドールの優れた視力が、飛行物体群の中に一体だけ、蒸機蜻蛉とは異なる存在を見つけ出す。
「ちょっと厄介なのがいるもの~」
数百メートルの距離を隔てて、魔女服のドールと燕尾服のドールが睨みあった。
燕尾服のドール――『
「……ハートからの連絡通り、ラスティ小隊はいないみたいさぁ」
今回の戦闘に関して、『
「だけどまぁ、ラスティ小隊がいないなら、どうにかなるさぁ」
下界で金属同士がぶつかり合う派手な音が響き渡る。
見下ろせば、戦車部隊とドールの一隊が接敵していた。数十トンはあるであろう巨大な多脚戦車が空を舞い、建物へとめり込む。反撃の為に放たれた砲弾は、黒い球体の表面にことごとく弾かれた。
黒い球体は突進し、戦車の一台を引き潰すと、その勢いのまま形状を変えていく。
球体の中から現れたのは無数の歯車・鉄板・配管。それらが生き物のように蠢き、再構築されて、巨大な人型の機神へと姿を変える。
女性的なフォルムに、メイド服風ゴシックドレスを思わせる黒い装甲。機神が振るった拳に殴り飛ばされた戦車は、その重量を思わせない勢いで吹き飛んでいく。
『お還りなさいませ、ご主人様』
地上で激闘が交わされる一方、空でも激しい空中戦が繰り広げられていた。空中を自在に飛び回る蒸機蜻蛉たちが、それを遥かに上回る速度で飛翔する流星に撃墜されていく。
流星に向かって、スワローが飛んだ。二筋となった流星は高速で並走しながら、互いに睨みあう。
「おひさしぶりね~、スワローちゃん」
箒を思わせる棒状の蒸機兵器に腰掛ける、魔女風ゴシックドレスのドール。放射状に分かれた先から蒸気を発しながら、箒はロケットのように空を走る。
「ひひひひ、せっかくの派手な祭りなんだし、楽しもうさぁ!!」
二体のドールは錐揉みするがごとく、何度も交差する。地上でも空中でも、シティとエンドの大激戦が繰り広げられていた。
だがしかし、彼女たちはスワローの狙いがただの時間稼ぎだとは気付かない。これほどの大騒動を起こしておきながら、その目的がただの陽動などとは思いもしない。
この街の命運を握る戦いは、地上でもなく空中でもなく、地下で起きていた。
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