第6話 命の順位

 たくさんの時計クロックが並び、ロドニーの指揮整備に合わせるように、規則正しい合唱Tick Tack Tick Tackを奏でる。扉を乱暴に叩く雑音も、彼にとっては音楽の一部であるかのように、その指の運びに迷いはなく、芸術的ですらあった。

 私は彼のそんな姿が好きだった。機械いじりをしている時の彼は、真剣な表情だけどどこか活き活きしていて、そんな彼の横顔や背中を眺めるのが好きだった。

 彼は私たちドール一人ひとりを愛してくれた。私たちも彼のことを愛していた。彼が命じるならば、彼を守るために命を惜しむ者などいないと断言できるほどに。


「君たちには申し訳ないことをしたと思っている」


 だと言うのに、彼は最後の最後に私たちに謝った。


「環境に適応した次世代の人間を造る……そんなの研究費を捻りだすための方便だ。僕は僕の個人的な事情で君たちを作り出した。こんな結末を迎えてしまったのは、僕の傲慢さゆえさ。簡単な方法に流されてはダメだとわかっていたのにね」


 時計を整備する手を止め、ロドニーは扉の方へと目を向ける。

 補強された頑丈な扉だが、今は大きく歪んでおり、いつ破られてもおかしくない状況だ。扉の向こうから、ロドニーを捕らえるために集まった兵士たちの声が聞こえる。


「彼らは君たちのことを兵器としてしか見ていないけど、僕も君たちのことを一人の人間として見ていなかった。これはきっと、その報いなんだろう」


 整備を終えた最後の時計を置き、ロドニーはやり遂げた顔で笑う。


「だから、せめてもの罪滅ぼしとして、君たちから僕の記憶を消すことにした」


 時計の一つ一つに目を落としながら、ロドニーは机の引き出しを開ける。そこから蒸機拳銃を取り出すと、自らの頭へと押し当てた。


「もう僕に縛られることはない。君たちは君たちの幸せを見つけなさい。この世に生まれた者には、等しくその権利があるのだから」


 ロドニーはそう言って微笑むと、拳銃の引き金にゆっくり力を込めた。



◆◆◆



 命を刻む金属の心音Tick Tack Tick Tackが、アグノラの意識を揺さぶる。針が一刻一刻を刻むのに合わせるように少女は覚醒していった。

 薄く開けた瞳に、背を丸めて機械いじりをしている男の横顔が映った。


「お義父さん……?」


 時計クロックを修理していた少年は顔を上げた。ロドニーの面影はあるが、アグノラの知る彼より若いと気付く。少年は幼子をあやすようにアグノラの頭を撫でた。


「意識を取り戻したか。身体の具合の方はどうだ?」


 霧がかかった記憶が晴れていき、アグノラは自分の身に何が起きたかを思い出す。

 レナとの戦闘で傷ついた時計クロック。そのダメージが思った以上に深刻で、不覚にも意識を失ってしまったようだ。

 クライドはアグノラのものと思しき時計クロックを手に、手際良く部品を入れ替えていく。すでに粘菌ギアの制御は取り戻せており、ゴシックドレスや目玉の修復は完了していた。熱に侵されたような気だるさを感じるものの、活動に支障はない。


「ありがとうございます。万全とは言い難いですが、数度の戦闘なら問題ありません」

「ありあわせの道具では、これが限界だ。多少の記憶障害や身体不調が出るだろうが、『シティ』に戻るまでの辛抱だから我慢しろ。それと――」


 クライドは部屋の隅を顎で指す。


「感謝はマルヴィンにしてやれ。あいつが危険を冒して『エンド』の街で道具や部品を手に入れて来なければ、おまえは死んでいた」


 目を向ければ、薄汚れた姿のマルヴィンが毛布にくるまって眠っていた。

 クライドとマルヴィンは服装が変わっており、『エンド』の一般的な労働者服姿になっている。外出した際に修理道具のついでに手に入れたのだろう。


「……申し訳ありません。あなたたちを守るのは私の役目のはずなのに」

「いや、これは僕のミスだ。ドールは痛みに鈍感だから、己の不調に気づきにくい。研究者階級ウィングの僕が気付いていれば、もっと早くに対処できていたはずだ」


 大変不服そうにそう言う。囚人である彼がアグノラを修理する義理は本来ないのだが、彼女の不調に気付けなかったことに、研究者としてのプライドが傷ついたようだ。

 だが、そもそも設備が十分揃った状況であっても、時計の修理ができる腕前になるには十年以上の修練が必要になる。こんな状況で応急処置ができるだけでも天才的な行為だ。


「……なぜ、私を見捨てて逃げなかったのですか?あなたほどの人なら、私たちがいなくても『エンド』で生きていけるでしょうに」


 だからこそ、当然の疑問をクライドにぶつける。

 クライドとアグノラは味方同士というわけではない。囚人と、それを護送する役目の兵士であり、むしろ敵同士だ。アグノラの任務はクライドを不死鳥騎士団ロンドン支部グレーウィングに連れていくことだが、それに成功すれば、彼は罪を裁かれることになる。

 初めは、『エンド』で生きていく自信がないから、渋々ながらもアグノラたちに協力しているのだと思った。だが、これだけの技術力があるなら『エンド』でも引く手数多だろう。そんな中、監視役のドールが倒れたのだから、脱走しない理由がない。

 だが、彼は逃げることなく、アグノラを修復する道をとった。


「そう、だな……。強いて言うなら、簡単な方法に流されたくなかったからだ」


 クライドは修理の手を止め、少し考えてからそう言った。どこかで聞いたことがあるような気がするその言葉に、アグノラの胸がズキリと痛む。


「世の中ってのは、汚い手を使った方が結果を出しやすい。権力者に取り入ったり、他人を蹴落としたり……。そして、一度それをやってしまったら、汚い手を使うのが当たり前になって、それを捨てられなくなる」


 まだ少年であるにもかかわらず、彼はどこか達観した物言いだった。だが、その言葉の一つ一つがアグノラの胸に突き刺さり、ズキズキという幻痛を産む。


「僕には、女の子を見捨てて手に入れる自由が、正しいものだと思えなかった。近道だからといって、道を外れて足元の花を踏みにじりながら歩くのは間違っている」


 止めていた手を再開させ、クライドはアグノラの時計クロックに蓋をする。修理が完了した時計の動きを見て、彼は満足そうに頷いた。


「そして、それを間違っていないと思うような人間にはなりたくなかった。それだけだ」


 クライドはメスを取り出すと、アグノラの服ごと脇腹あたりを切り開き、そこに時計を宛がう。すると、粘菌ギアが蠢き、時計を飲む込むように体内に取り入れた。


「よし。同じ場所を狙われるとまずいから位置を変えたが、具合はどうだ?」

「……問題ありません。さすがはクライドさまです」


 立ち上がって軽く動き、身体の調子を見る。時計一個分の重心がずれたが、そのうち馴染んで来るはずだ。


「……その、一つ聞いてみいいでしょうか?」

「なんだ?」

「クライドさまの志は、大変立派だと思います。だから……それを否定したいわけではないのです。でも、もし、近道を避けた結果、目的地に辿り着けなかった場合はどうするのですか?あの時、近道をしておけばよかったと後悔しませんか?」

「辿り着けなかった場合、か」

「えぇ。例えば……道半ばで死んでしまった場合とか」

「惜しいと思うかもしれないが、後悔はしないだろうな」


 少女の質問に、クライドはあっさりと答えた。


「近道をしないという信念で歩いたのであれば、その時点で目標の一つは達成している。後悔のしようなどないだろう?」

「ですが、死ぬのですよ?人間はドールより死に近い場所にいるのに……」

「死にたくはないから、抗いはするさ。だが、死ぬことになっても後悔はない。それに、死にやすいかどうかは関係ない。人間もドールも、死の形が違うだけで同価値だ」


 最後の言葉は、叱責するような強い口調で言う。


「命より尊いものはないと言う奴もいるだろうが、僕はそうは思わない。それはただ、そういうものに出会ったことがないだけだ。そして、それは決して、命をないがしろにするという意味じゃない。命が一番じゃないというだけで、大切なものには代わりないからだ」


 アグノラはじっと聞き入っていた。彼の言葉は、不思議とすっと胸の中に入ってくる。


「大切なものが二つあったとして、片方を守るために、もう片方を簡単に切り捨てられるのか?そんなことができる奴がいるなら、俺はそいつの方がどうかしてると思う」

「では、一番大切なものを守るために、二番目を切り捨てることは悪いことだと?」

「いいや」


 少女の瞳をまっすぐ見つめ返し、少年はきっぱりと断言する。


「悪いのは、迷わないことだ」

「…………」


 アグノラは視線を落とし、スカートの上でぎゅっと両手を握りしめる。


「……ディクシーとハンナは大切な友人でした。もちろん、レナも。でも、クライドさまやマルヴィンにも死んでほしくなかった」


 今まで考えないようにしていた仲間の死と裏切り。だが、一心地ついたせいか、悲しみとも怒りとも言えない激情が胸の中で渦巻き始めた。


「私が、命の順位付けを間違えたから、彼女たちは死んだのでしょうか?」

「その場合、僕やマルヴィンが死んでいたかもな。残念ながら、迷った末に出した結論が正しいとは限らない。それでも、迷わないよりはマシだというだけだ」


 慰めの言葉は言わなかった。そんなことを言ったところで、ディクシーたちが生き返る訳ではなく、少女の心の傷が癒えるわけではないとわかっていたから。


「……クライドさま」

「なんだ?」

「少し、泣いてもいいですか?」


 クライドは無言でアグノラを抱き寄せる。無敵の兵と称される彼女は、まるで普通の少女であるかのように、少年の胸の中で嗚咽を上げた。

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