第5話 粘菌

 歯車同士が噛み合う規則正しい金属音を目覚ましに、クライドはゆっくり目を開けた。

 拘束具は外され、衣服はすべて脱がされて毛布がかけられていた。寝起きで頭が回っていなかった彼は慌てて身体を起こし、近くの計器に頭をぶつけて悶絶する。


「起きましたか。クライド様、具合はいかがですか?」


 傍ではゴシックドレスの少女が、分解した蒸機剣の部品を並べながら声を掛けてきた。彼女の隣には、クライドと同じように裸に毛布のマルヴィンが横たわり、クライドのほうへと目を向けている。

 クライドは返事をせずに周囲を見回す。広い場所だが、大型の歯車がところ狭しと並んでおり、手狭に感じる。壁際の鉄棒にはクライドが着ていた囚人服と、マルヴィンが着ていた憲兵服が並べて干されていた。

 歯車の間を走る鉄管から聞こえてくる水音。水圧や水量などを現したメーターを見て、クライドはここが川沿いにある水車施設の一つだと察する。

 目が覚めてくると、徐々に記憶が思い起こされてきた。トラックで崖下の河川へと落ち、水の中でもがいたのを覚えている。あの時は死んだと思ったが、誰かに腕を引っ張られ、そのあたりで意識を失ったと記憶している。


「多少の打ち身はあるが、問題ない。そっちはどうなんだ?」

「私も問題ありませんが、マルヴィンが重傷です」

「……これくらいの怪我、大したことない」


 そう言って包帯が巻かれた腕を持ち上げようとしたが、その瞬間、マルヴィンの顔が苦痛で歪む。どうやら腕と肋骨の何本かを折ったようだ。


「……僕が聞くようなことじゃないのかもしれないが、これからどうするつもりだ?怪我人はいるが、足はなく、見たところ、その蒸機剣も壊れているだろう?」


 アグノラの足元に並べられている部品を見て、クライドは一目でそう断じた。黙り込む彼女に、初耳だったマルヴィンが問いかける。


「蒸機剣が壊れてるって本当なのか?」

「……はい。落下の衝撃でいくつかの部品が破損してしまったようです。道具さえあれば応急処置はできると思いますが――」

「止めておけ。『エンド』でドール用蒸機剣のパーツが手に入るわけがないだろう。規格に合わない部品で無理に応急処置をしても、暴発の可能性が高まるだけだ。大体、修理できたとしても、ドール用の高圧蒸気弾だって手に入らないだろう」


 クライドの分析は正鵠を射ていて、反論の余地もない。

 アグノラの蒸機剣はドール用に調整された特注品。予備の剣や修理用パーツは用意していたが、すべて河の下に沈んでしまった。ドールとしての高い身体能力は健在だが、武器を失ってしまったのは大きな戦力ダウンだ。


「まぁ、武器に関しては、通常規格のものでどうにかするしかないだろうが、そもそもの問題はそこじゃない。先刻も言ったが、これからどうするつもりだ?」

「…………」


 アグノラは黙って考え込む。

 彼の言いたいことはわかっている。本来の任務がクライドの護送である以上、アグノラの目的地はロンドン支部グレーウィングであることに変わりはない。問題は誰を連れていき、どうやって向かうかだ。

 ズキリと頭が痛んだが、アグノラはそれを無視した。

 追手がかかるかどうかはわからない。いや、かかると考えた方がいいだろう。クライドとマルヴィンの二人を連れていくのがもちろん理想だが、実質的な戦闘員がアグノラしかいない以上、人数が増えれば増えるほど生還の可能性は低くなる。


「俺は置いて行ってくれ。あんたたちの後から、ゆっくり『シティ』に向かうさ」


 足手纏いであることを自覚しているマルヴィンが率先して提案したが、アグノラは首を振って否定する。

 追手が狙うとしたら、自分かクライドだろうが、怪我人が一人で『シティ』に到達できるほど『エンド』は甘くない。『エンド』の住民は『シティ』の住民を目の敵にしているため、バレたら一瞬で私刑リンチに会う。

 そして、それはクライドも同じこと。どちらかを置いていくという選択肢はアグノラにはなかった。


「あー、どうせ服が乾くまで身動きが取れないんだし、とりあえず食事にしないか?」


 考え込み始めたアグノラを見かねて、マルヴィンが声を掛ける。

 ほとんどの荷物は失ってしまったが、携帯食料や応急キットなどが揃ったサバイバルキット一式だけは持ち出せていた。

 マルヴィンは片手で荷物を漁って携帯食料を取り出すと、包みをそれぞれに配る。アグノラはそれを黙って受け取ったが、クライドは嫌な顔をしてそれを拒否した。


「食わんと力が出ないぞ」

「やかましい。僕はおまえたちと違って舌が肥えてるんだ。そんなくそまずいものを食べるくらいなら、飢え死んだ方がマシだ」

「これはこれでうまいぞ。調味料で思い切り味付けすれば」

「それがまずいと言うんだ!」


 携帯食料といっても、中身は『シティ』の住民に配給されているものと大差ない。

 この国の人間は料理の味には拘らない。それは『シティ』の住民であっても例外ではなく、クライドのような人間の方が稀だ。


「うん、相変わらずまずいな。……ところで、さっきから言うべきか否か悩んでたんだが」


 もそもそと携帯食料を噛みしめながら、マルヴィンはアグノラの方をちらちらと見つつ小声で言った。


「その、アグノラは服を乾かさなくていいのか?」


 暫し、三名の間で沈黙が流れた。その後、アグノラとクライドは顔を寄せ合って、ヒソヒソ声で話を始める。


「おい、このドスケベ憲兵、略してドスケンペイ。無知を装って脱がしにかかったぞ」

「最低ですね。そういえばこの人、出会い頭に私の胸を狙ってきていましたね」

「うわ、何それ怖い。誰か憲兵呼んで。……あっ、こいつ憲兵だったわ」

「おいこら、聞こえてるぞ!というか、聞こえるように言ってるだろ!?あぁ、もう、こういうことになりそうだったから、言いたくなかったんだよ!」


 顔を真っ赤にさせるマルヴィンをからかうように、少年はいつものニヤニヤとした意地の悪い笑みを浮かべて、指を一本立てる。


「きひひひひ、無知な貴様に、クライド様が特別に講義してやろう。まず、第一にドールは風邪を引かん。極低温や極高温でもない限り、体温による変化が、生ける屍であるドールの活動に影響を与えることはない」


 続いて、二本目の指を立てる。


「第二にドールが着ているドレスは服じゃない。粘菌ギアと呼ばれる細菌であり、肉体的には死んでいるはずのドールが活動できるのは、この粘菌のおかげだ。実際に触って感触を確かめれば、糸をより合わせたものではないとわかるだろう?」

「……本当だ。継ぎ目もない」


 アグノラが差し出した腕の袖口を触り、マルヴィンは不思議そうな顔になる。


「粘菌は衣服だけではなく、骨や筋肉に変化することができる。ドールの肉体が破損した場合、粘菌が破損個所を補うわけだ。ドールにとってのドレスは、衣服であり、鎧であり、身体の一部であり、生命線であるのだ」

「……まるで魔法だな。どうやって傷を塞いだのかは気になっていたが、そういうしくみだったのか。意識して触ると少し粘り気があり、布じゃないとはっきりわかるな」

「うむ。そして、ドールの自我を司り、粘菌を操る装置こそが……なんだって?」


 マルヴィンの言葉に、はっとしたクライドがアグノラへと近づく。少女はいつも通り表情を変えずに、小鳥のように首を傾げた。


「クライド様、どうかなさいましたか?」

「どうかなさいましたか、じゃない!おまえ、どこか怪我をしているのか!?」

「いえ、レナとの戦いで少々傷を負いましたが、それ以外は――」


 話の途中で、少女の足元に丸いものが転がり、床の部品にぶつかって止まる。

 ――それは、アグノラの目玉だった。

 虚空の眼窩でそれを見つめ、アグノラは残ったもう片方の目をぱちくりさせる。そして、そのままゆっくり倒れそうになったところを、クライドに抱き留められた。

 彼女の瞳からは光が消えており、その姿はまさに糸の切れた人形のようだった。


「あ、アグノラ!?お、おい、おまえが何かしたのか!?」

「無能は黙ってろ」


 鋭く言い放ったクライドは、真剣な表情でアグノラの身体に耳を当てる。何度かそれを繰り返したところで、左乳房下あたりから弱々しい時計音Tick... Tack...が響くのを探り当てた。クライドはおもむろに衣服を掴み取ると、力任せに引きちぎる。


「お、おい、おまえ何をやっているんだ!?」

「黙ってろと言ったのだ!アグノラを死なせたいのか!?」


 少年の焦燥を滲ませた声に気圧され、マルヴィンは身動きがとれなくなった。

 少年に剥ぎ取った衣服は、服としての形状を失いかけており、黒い粘り気があるだけの液体と化していた。少年の手からこぼれた液体が、床に黒い染みを作る。

 クライドは床に並べてある蒸機剣の部品を手に取り、少女の左乳房下に刃を入れる。皮膚と肉を斬り割き、ぽっかりと開いた穴に、少年は慎重な手つきで手を差し込んだ。

 ゆっくりと引き抜かれた手の平の中には、黒い液体に濡れた時計状の機械が握られている。無数の歯車や宝石で象られたそれは、機能美と芸術性を兼ね備えた美しさがあった。しかし、今、その時計にはわずかに傷が入り、破損していた。


「な、なんだ、それは?」

「ドールの自我を司り、粘菌を操る時計クロックという機械だ。半不死であるドールであっても、これが壊されれば死ぬ。服が溶けているのは時計が壊れる前兆だ。……問答している時間はない。マルヴィン、僕の言うとおりに動け」


 ギロリと、少年とは思えない眼光を放ちながら言う。


「でないと、アグノラは死ぬぞ」

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