第4話 時計男

「ディクシー!」


 クライドをメルヴィンに託し、車外に飛びだしたアグノラが見たのは、仲間が仲間を殺す異常な光景だった。

 アグノラは蒸機剣の目盛りを『Shot』に合わせ、引き金を引く。蒸気弾が生み出す運動エネルギーを受けて、鋼の弾丸が射出されてレナに迫る。だが、明らかに牽制のそれはあっさりと避けられてしまう。

 戸惑うアグノラに、レナがドレスを翻しながら肉薄する。現状を把握する前に戦闘を強いられたアグノラは蒸機剣を構えて引き金に指をかける。同時にレナも蒸機細剣の引き金を引き、蒸気の白煙と共に双方の蒸機武器の配管が形状を変えた。

 アグノラの蒸機剣が横に広がり、少女の体を隠す盾を展開させた。銃弾すら跳ね返す堅固な盾が前面を守ったが、アグノラは背後・・から迫る刃に貫かれ、体勢を崩す。


「ねぇ、アグノラさん。なぜ貴方を最後に残したか、おわかり?」


 蒸機細剣を構えたレナは、昼の天気のことでも話しているかのような穏やかな口調で、悪魔のような微笑をアグノラに向けた。


「貴方が一番弱いからよ」


 鋭い突きと共に、『Distortion』に目盛りを合わせられた蒸機細剣の引き金が絞られる。

 咄嗟に蒸機剣を構えて防ごうとするが、蒸気の排出と共にレナの蒸機細剣の刀身は長く伸び、大きく歪曲して、真正面からアグノラの背中を抉った。

 レナの操る蒸機細剣は、白兵戦に特化した武器だ。アグノラの蒸機剣と違って大きな破壊力も汎用性もないが、刀身を自由に伸ばし、自在に曲げ、敵の急所を正確に貫く。扱いは非常に難しいが、習熟すれば予測不可能の連撃を可能とする。

 卓越した身体能力を持つアグノラであっても、急所を突かれることを防ぐのが手いっぱいだった。半不死の身体を持つドールでなければ、すでに決着はついている。

 だが、そんな武器の相性など瑣末な問題だった。相手がレナであるという事実に、アグノラの剣先は揺らぐ。

 そんな彼女を、レナは嘲笑した。


「予想通り、動きが鈍いですわね。思い切りのいいディクシーさんや、窮地で冷徹さを発揮するハンナさんとは違う。優しい優しい貴方は、裏切り者とはいえ、仲間相手に本気で剣を振れないでしょう?喧嘩はしても、私たちのことを姉妹のように思っているものね」


 防戦一方のアグノラに対し、虫の足を引きちぎるようにじわじわと、豪雨のように激しい刺突を繰り返していく。


「そんな貴方のことが、大嫌いだったわ」


 輝く刃が、乳房下の肋骨の合間を縫って、アグノラの身体を貫いた。途端、アグノラの表情が苦しげに歪み、彼女を包むコルセットとゴシックドレスがざわめいた。


心臓クロックをかすったようですわね」


 蒸気弾を消費しつくした蒸機細剣の弾倉に、高速装填器スピードローダーで素早く弾丸を補充しながら、レナは死刑宣告を放つ。


「位置は把握しました。そろそろ終幕フィナーレですわ」

「……レナ、なんでディクシーたちを殺したのですか!?私たちは、今まで苦楽を共にしてきた仲間でしょう!?」

「なぜ殺したかなど、邪魔だったからという以外に理由はないですわ」


 悲鳴のような声で叫ぶアグノラに、レナは侮蔑にも似た冷たい瞳で応える。


「人間を護る為に戦う?……アグノラさん、貴方の戦う理由はくだらない。私たちドールは、旧人類より優れた存在。彼らが私たちに奉仕するのが正しい立場であり、私たちが奴隷のごとき立場に甘んじることが間違っているのです」


 奇しくも、それは先刻アグノラとクライドが交わした話題だった。まったく理解できない信念ではないだけに、アグノラは反論できない。


「私は『不死鳥騎士団フェニックス』を――『シティ』を見限り、クライド氏を手土産に『エンド』に寝返る決心をしました。知っていますか?少しでも多くの戦力を欲している『エンド』では、寝返ったドールを英雄のごとく扱ってくれるそうですのよ?」

「でも、ディクシーたちを殺す必要は……」

「だから、あなたは甘いと言っているのですわ。確かに、不意を突けば、殺さずにクライド氏だけを誘拐することもできたでしょう。でも、そんな面倒なことをするより、ディクシーさんたちを殺した方がはるかに簡単で確実でしょう?」


 レナはディクシーたちを甘く見ていない。敵に回せば、どこまでも追いかけてくる優秀な猟犬であることを理解している。だから、クライド誘拐をより確実に為すために、殺害という手段をとったのだ。


「アグノラさん、貴方の考えは非合理的すぎる。結果が出せなければ、意味がない。――そして、アグノラさん。貴方を仲間に引き入れるつもりもありませんわ。貴方のような甘ったるい考えの人は、仲間にしても後々足を引っ張るとわかっていますもの」


 蒸機細剣を構えなおすレナは、話は終わりというように、剣先に殺気を込める。その構えからは、次の一撃で決めるという気迫が感じられた。

 対するアグノラも剣を構えなおすが、未だに彼女には迷いがあった。無表情を努めながらも瞳は揺れている。二人の戦いの結果は、結末を見るまでもなく明らかだった。


 その時、収束式ガス灯の光が二人を包み、轟音を上げて巨大な鋼の塊が突っ込んだ。

 運転席から事の成り行きを見ていたメルヴィンが、蒸気トラックをレナに向かって発進させたのだ。憲兵の青年は決死の形相を浮かべながら、アクセルペダルを踏み込む。

 蒸気駆動の重苦しい咆哮を上げながら向かってくる鋼鉄の怪物を、レナは紙一重でかわす。反対に、アグノラは真横を通り過ぎようとする車の荷台に飛びついた。

 そのままレナを振り切ろうとするトラックに向けて、レナは蒸機細剣の引き金を引いた。蒸気が噴出する音とともに伸びた剣先が、後部車輪を貫く。

 制御を失ってスリップした車は、そのまま車道を大きく外れ、道脇にあった崖下へと転落した。すぐさま追い縋ったレナが崖から下を覗くと、転がり落ちた蒸気トラックが、下方にある谷川へと沈んでいく様子が見えた。

 レナはそれを見て舌打ちする。

 この程度の高さから落ちても、頑丈なドールが死ぬことはない。だが、アグノラが生き残ること自体は大した問題ではない。邪魔しないのなら、放っておいても構わない存在だ。

 しかし、クライドに死なれるのはとても困る。『シティ』と比べて、圧倒的に技術力で劣る『エンド』からすれば、研究者階級ウィングの人間は喉から手が出るほど欲しい存在だ。彼を確保できたか否かは、『エンド』に寝返るレナの評価に大きく影響する。


「やぁ、大金星じゃないか!さすがは、新人類であるドールだね。君たちの優れた能力には、いつも舌を巻くよ」


 突然背後からかけられた声に、レナは振り向きざまに細剣を構える。

 そこにはいつの間にか、紳士服に身を包んだ禿頭眼鏡の男が立っていた。今の今までその存在に気付かなかったことに、レナは警戒心を上げる。


「……『時計男チクタクマン』」

「そう!君の頼れる友人『時計男チクタクマン』さ!あぁ、驚かせてしまったかな?見目麗しい女性を驚かせるのは、私の趣味のようなものでね」

「相変わらず悪趣味ですのね」


 知り合いであるとわかっても、レナは細剣を下げなかった。『時計男チクタクマン』と呼ばれるこの男こそが、レナと『エンド』の橋渡しを提案してくれた張本人であったが、どこか不気味で底が見えず、本能的に信用することができない。

 警戒も露わなレナに対し、『時計男チクタクマン』は気にする様子もなく、笑みを浮かべている。と、その背後から車の灯が近づいてきて、ぞくぞくと人が降りてきた。

 人種も服装も様々な彼らは、明らかに『シティ』の人間ではない。だが、ドールであるレナを恐れる様子はなく、大破した車からメタルクラブを回収する作業を始める。


「約束通り、積み荷を引き渡しますわ。これで、私を迎え入れてくださるのでしょうね?」

「あぁ、もちろん!ドールの死体サンプル2つに、最新式の蒸気兵器。期待通りではなかったとはいえ、十分な戦果だ。列車の足止めで多少の被害は出たが、微々たるものだ。我々は君を歓迎し、順当な地位を約束しよう」


 遠回しに期待外れと評価され、プライドの高いレナはむっとした顔になる。第一目標であるクライドの確保に失敗したのは事実だが、過小評価されるのは我慢ならない。


研究者階級ウィングとはいえ、まだ子どもでしょう。親が有名人なだけの末端研究者にご執心なんて、あなたの組織はよほど人材不足なようですわね」

「いやいや、ただの子どもなんかじゃないさ。彼が手に入るなら、ドール百体を引きかえにしても構わない。それだけの価値がある存在だよ、彼は」


 その言葉にレナが目を見開く。クライドへの評価も意外だっただが、それ以上にそんな情報をこの男が握っていることの方が驚きだった。

 レナ自身、今回の計画の為にクライドのことを調べたが、情報を集めることはできなかった。だが、彼は『シティ』の人間でもないのに、クライドの詳細を把握していたのだ。


「……そう。それは残念でしたわね。貴重な存在だったようですけど、今となっては川底に沈む死体。貴方も未練がましい男ですわね」

「いやいや、彼はそう簡単には死なないよ。なにせ、守護天使がついているからね」


 天使という言葉を聞いて、レナの眉がぴくりと動く。その反応を確認した『時計男チクタクマン』はよりいっそう笑みを深めた。


「ある意味において、クライドくんの価値を正しく理解していたのは彼女だけだ。彼女は君が思っているよりずっと強い。彼女が傍にいる限り、クライドくんの命は安泰さ」


 男はクライドの生存を確信しているように言った。根拠のない言動のようにも聞こえるが、預言者の言葉であるかのように、不思議と否定する気にはなれない。


「すぐに追手を向けるとしよう。レナくんは私たちの基地でゆっくり休んで――」

「……必要ありません。私が行きますわ」


 黙って聞いていたレナは、『時計男チクタクマン』に背を向けて崖下を覗きこむ。


「私の価値を低く見積もられたままでは不服ですもの。アグノラさんを破壊し、クライドさんを連れ去ってから、改めて伺わせていただきますわ」


 そう言い残し、レナは躊躇うことなく、崖下に身を投じる。闇に消えた彼女を見送って、『時計男チクタクマン』はにこやかに笑ってお辞儀した。


「存分に踊り、殺し合いたまえ、命なき人形たち。我ら『闇に蠢く者どもナイアーラトテップ』は、君たちの円舞曲を深淵から観賞させていただこう」

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