第3話 ロドニー博士

◆◆◆


 蒸気機関車は線路が完全に破壊されており、先頭車両は脱線していた。運転を担当していた車掌も殺されており、アグノラたちは列車を捨てざるを得なかった。

 元より蒸気機関車に頼りきりの護送計画は立てていない。貨物車両には蒸気トラックが二台積載されており、それを使用しての護送に切り替える。

 一台目にはレナとハンナが搭乗し、荷台にはメタルクラブ。二台目はメルヴィンが操縦し、助手席にディクシー。そして、その荷台には――


「ちょっと待て、スカポンタン。なんで、このクライド様が荷台なんだ!?」


 拘束具を着けられたまま床に転がされているクライドを、アグノラが長い足を組んで木箱に座り、無表情で見下ろしていた。

 蒸気トラックは列車より小回りが利くが、必要に駆られない限り乗りたがるものはいない。というのも、蒸気機関の振動がダイレクトに伝わり、荒波に揉まれる小舟並みに揺れるからだ。

 その上、荷台なので揺れはさらに大きく、身動きが取れないクライドはごろごろと転がったり、跳ねた衝撃で床に叩きつけられたりする。


「おいこら、貴様。僕のことを甘く見ているな!?こんな仕打ちをしたら、後で酷い目に会うぞ!?具体的に言うと、吐く!すでに喉元あたりまで……うぷっ」


 アグノラはサッと立ち上がると、クライドを抱えて口元にエチケット袋を押し付ける。

 ……暫しの時間が流れた後、アグノラは袋の口を閉じて、クライドの口元をハンカチで拭ってやった。


「安心してください。予備はまだまだあります」

「がんばる、方向性が、違う、わ。ばか、もの……」


 まだ走りだして一時間ほどなのに、クライドはすでにぐったりとしていた。訓練を積んだ者であっても蒸気トラックは辛いので、彼が特別乗り物に弱いわけではない。クライドが脱水症状にならないように、アグノラが水を飲ませてやる。


「……こういう時だけ、おまえのようなドールの身体が羨ましくなる」


 アグノラに膝枕をしてもらいながらも、クライドの頬はげっそりとしていた。男なら例外なくドギマギしてしまいそうな麗しい美少女であったが、そんな状況を楽しむ余裕がないほど気分が悪そうだ。


「私たちドールは、ロドニー先生が作り出した最高傑作であり、次代を担う新しい人類です。クライド様なら、望めば私たちと同じ体を得られるでしょう」


 彼の気を落ち着かせようと、クライドの乱れた黒髪を撫でながら淡々と話す。そこで初めて、アグノラに対する興味が少年の瞳に宿る。


「……驚いたな。そんな世迷言を言う奴が、まだこの世にいるとは思いもしなかった」

「世迷言ではありません。蒸気文明の発達により、大地も大海も大気も汚染され、人類の寿命は半分に減りました。しかし、今さら蒸気文明を捨てるわけにもいかず、人間自体を環境に適応させる必要がありました」


 彼女にしては珍しく、感情の籠った声で力説する。その目はどこか遠くを見つめており、離れ離れの家族を懐かしむ少女のようであった。


「それこそがドール。博士は汚染による緩やかな滅亡から人類を救うために私たちを作り出し、私たちの一人ひとりに本気の愛情を注いでくれました。私はそれを誇りに思います」

「……次世代を担う新人類なんてのは、親父の初期構想に過ぎん。結局は兵器転用され、『シティ』に巣食う金の亡者を守る傭兵として使われているだけだ。だが、そうか――」


 スカイブルーの瞳が、アグノラを哀れむように、それでいてどこか嬉しそうに見つめる。


「おまえは親父のことを覚えているのか」


 確信に満ちた声だった。アグノラは耐え忍ぶように目を細めたが、やがて決心したようにゆっくりと頷く。


「ディクシーたちだって、ロドニー先生と会ったことがあるはずなんです。親のいない私たちを育ててくれた、父親代わりの人でしたから」

「だが、覚えていない、だろ?」


 アグノラは再度頷く。

 クライドはアグノラの胸を見つめた。それは男としての目ではなく、研究者としてのそれだ。彼女の胸は銃弾で貫かれたはずだが、傷口は塞がっており、衣服すら元に戻っている。ただ、修復された部分は多少色が変わっており、よく見れば気づくことができた。


「過酷な環境で生きていけるように、ドールの身体能力は強く設計されている。その上、半不死でもある無敵の兵隊だ。そんな奴らが親父と共に『不死鳥騎士団フェニックス』に弓を引けば大変なことになる。だから、連中はおまえたちから親父の記憶を消した」

「……はい。あの人は、私たちが剣を取ることすら快く思わないほど優しい人だったのに」

「ふん、連中は臆病なのさ」


 皮肉めいた笑みを浮かべながら、苦々しい声を出す。


「自分たちに都合のいい記憶だけをドールに残し、少しでも反逆思考を匂わせたら即記憶消去だ。親父に大きな過ちがあるとすれば、ドールの構造を、思い出すら部品扱いできてしまうような仕様にしてしまったことだろうな」


 記憶を操作できることは、ドールを兵士として扱うにはちょうどよかった。

 肉体構造が人間と大きく異なるドールは、その運用においてどんな心理的外傷が発生するかわからない。そのための予防策としてロドニー博士が残した機能だったが、皮肉なことにそれが原因で、彼女たちは博士の思想から離れてしまうことになったのだ。


「しかし、今までよく隠し通すことができたな?親父の記憶は、最優先で全ドールから消去されたと聞いたが」

「運がよかった、としか。もともと感情の起伏は小さい方なので、記憶が残っていることを隠して振る舞うのはそれほど苦ではありませんでした」

「なるほど。……まぁ、その記憶消去が原因で親父の研究を引き継げなくなり、ドール研究が長らく停滞することになったんだがな! ざまぁみろ!」


 クライドはキヒヒヒヒと特徴的な笑い声をあげたが、すぐに気持ち悪くなり、アグノラが差し出した新しいエチケット袋に戻した。


「……そういえば、まだきちんと名前を聞いてなかった。聞かせてくれないか?」


 顔面を蒼白にさせ、息も絶え絶えの状態だったが、クライドはそう問いかける。彼の顔に、今は亡き博士の面影を見て、アグノラはふっと微笑んだ。


「アグノラです」

「クライド・フィッシュバーンだ。天使に会えるとは縁起がいい。記憶を消されるかもしれないが、旅の間くらいは覚えておいてくれ」

「……忘れませんよ。絶対に」

 感情の籠らない表情で、それでいて瞳に熱い決心を秘めてそう誓う。


 その時、車体ががくんと大きく揺れて、クライドの身体が宙に浮いた。突然、急ブレーキが踏まれたことにより、慣性の法則で投げ出されたのだ。

 彼が荷台の壁にぶつかる前に、アグノラが猫のようなしなやかさで動き、彼の身体を抱きとめてクッションとなる。

 車は激しく揺れたものの、何かにぶつかることもなく停止した。アグノラは蒸機剣を抜き放ちながら、運転席に向かって声を上げた。


「ディクシー、何事です!」

「レナたちの車が突然横転した!アグノラは積み荷を守ってろ!」


 返事を待たずに、ディクシーは運転席にメルヴィンを残して トラックを飛び降り、前方で木にぶつかって炎上している蒸気トラックに駆け寄る。

 如何に頑丈な肉体を持つドールであったとしても、炎に包まれれば無事では済まない。ディクシーの顔には、強気な彼女には合わない焦りがあった。


「レナ!ハンナ!無事か!?」

「うっ、ディクシー、さん……」


 横転した車の運転席から、緑髪の少女が這い出てくる。ディクシーは彼女に駆け寄ると、抱き上げて炎から遠ざけながら問いかける。


「大丈夫か、レナ!?何があった!?ハンナは!?」

「狙撃、ですわ。運転していたレナさんが撃たれて……彼女はまだ車内に」

「わかった。おまえはアグノラのところに行ってろ!」


 事故に遭ったのだから、レナのダメージも少なくないだろうが、ドールならすぐに回復する。それより、車内に取り残されたハンナを救出することが先だと判断する。

 炎上する蒸気機関から高温の水蒸気が溢れ、白煙が運転席を満たしていた。人間ならば大火傷する状態だが、ディクシーは躊躇うことなく煙の中に入っていく。ひびの入った窓ガラスを素手で叩き割り、煙で視界ゼロの中を手探りでハンナを探した。

 指先が少女の柔肌に触れる。呻き声からそれがハンナだと確信し、ディクシーは運転席から彼女を引きずり出し、肩に担いで脱出する。触れた肌に、ドロリとした感触が走った。


「(ドレスが溶けてきてる。クロックをやられたのか……)」


 少し視界が晴れた場所でハンナを下ろし、彼女の容態を見る。ハンナは太ももの上側に抉られたような傷跡があった。胸を貫かれても活動に支障のないドールからすれば軽傷のはずだが、傷口から壊れた時計のような無機物が覗いていた。


「(……だめだ。助からない)」


 それを見て、ディクシーは泣きそうな顔になりながら、ハンナの治療を諦めた。偶然か故意かはわからないが、ここクロックを壊されたらドールの活動は止まる。

 彼女を覆うゴシックドレスはもう形を成さなくなっており、いつ意識を失ってもおかしくない。そんな中、ディクシーを視認したハンナが掠れるような声を上げる。


「ディ、クシ……」

「なんだ?何が言いたい?」


 せめて、仲間の最期の言葉を聞き取ろうと、ディクシーが耳を寄せる。


「レ、ナが、うし、ろ――」


 聞き終えるより速く、電光石火の動きでディクシーは背後に蒸機槍を振るう。だが、その穂先は当たることなく、代わりに彼女の脇腹に刃が突き刺さった。


「あなたの心臓クロックは、確かここでしたわよね?」


 急所を貫かれ、力の抜けたディクシーの手から槍が落ちる。彼女の瞳が最期に写したのは、いつものように優雅な笑みを浮かべるレナの姿だった。

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