第2話 ドール
凶弾は少女の胸を貫通し、ぽっかりと黒い穴を空ける。だが、そこから血が流れ出すことはなく、アグノラは手を伸ばして憲兵の手から銃を奪い取った。
「ひぃいいっ!?止めろっ!来るなあああああ!!」
なおも暴れる男の腕を少女の小さな手が掴む。華奢と形容してもおかしくない体格であるにもかかわらず、男は岩に抑え込まれたかのように動けなくなる。
恐慌状態に陥った彼がこれ以上暴走しないように、それでいて決して傷つけないように細心の注意を払いながら、アグノラは男を優しく抱きしめた。
「大丈夫です。貴方の敵はここにはいません。だから、落ち着いて」
柔らかな胸に押し当てられた耳に心臓の鼓動は聞こえない。その代わりとでも言うように、
その音は、不思議と子守唄のような安心感を男に与えた。混乱していた男は、徐々に正気を取り戻していき、両目からボロボロと涙を零し始めた。
「お、俺、目の前で仲間が死んだのに、何もできなかった。怖くて、死んだのが俺じゃなくてよかったとすら……」
「それが普通です。仇は私たちが討ちました。貴方は後で彼らを弔ってあげてください」
男の頭を撫でながら、アグノラは穏やかに語りかける。やがて平静を取り戻した男は、年端もいかない少女に抱きしめられている現状を理解し、気恥かしげに身体を離す。
そこで少女の胸に銃痕があるのが目に止まり、再び顔から血の気が引いた。
「あ、あんた、その傷。俺が……」
「心配ありません。この程度の傷、大したダメージにもなりません」
それは半分男に罪悪感を抱かせないために言ったことだったが、もう半分は本音だった。少女は自分の胸に目を落とすが、血の一滴も流れないその身体を見ても表情を変えない。
そして、感情のこもらない声で言った。
「私は
◆◆◆
結局、憲兵隊で生き残ったのは一人だけだった。アグノラが男と共に貨物車両に向かうと、3体のドールはすでに集まっていた。
彼女たちの横には、巨大な十本足のカニかクモのような機械が鎮座していた。見た目的には機甲鎧のような蒸気兵器のようだが、人が乗り込むような場所は見当たらない。そして、その折りたたまれた脚の上に、拘束具に身を包まれた少年が座っていた。
彼と目が合ったアグノラは、カチンと身体が固まった。
「おっ、戻ったか。生き残りがいたとは、運がいいな」
「はっ!ブルーウィング憲兵隊所属。メルヴィン・シンプソン一等兵であります!」
隣に立つ憲兵の張りのある挨拶ではっとなり、平然とした表情を取り繕う。普段から表情が乏しいアグノラの変化を見咎める者はいなかった。
四体のドールを前に、メルヴィンは少し緊張している様子だった。ドールと憲兵隊は指揮系統が異なるが、ドールはどこの都市の
「あたしは小隊長のディクシー。こっちにいるのがレナとハンナ。あんたの隣にいるのがアグノラだ。敬語はいらねぇ。生き残った者同士仲良くしようぜ、メルヴィン」
気さくな笑みを向けて握手を求めるディクシー。学生のようなノリに戸惑いながらも、メルヴィンはそれに応じる。
ドールが人間に抱く感情はさまざまだが、ほとんどのドールは、自分は人間より優れた存在だと見下している。ディクシーやアグノラのように対等に扱う者は稀だ。
「どうせ役に立たないのですから、死んでいた方がマシでしたわね」
そして、人間差別主義者の筆頭であるレナは、メルヴィンに対する侮蔑の感情を隠しもしない。先の戦闘で無力を証明されてしまったこともあり、憲兵の青年は言い返すこともできずに黙りこむ。そんな彼を庇うように、アグノラがレナの前に立つ。
「命の価値に上も下もありません。死んでいた方がマシなどとは言わないでください」
「あら、虫がいくら死んだところで大して気にする必要はないのではなくて?むしろ、目障りな連中がいなくなって、こっちも仕事がやりやすくなりましたわ」
「貴方のくだらない考えで、彼らの命を軽んじるのは止めてください」
ピリピリと刺々しい空気が二人の間に流れる。小隊の中でもアグノラとレナは特に折り合いが悪く、喧嘩になるのはこれが初めてではない。そんな二人を見て、ディクシーはまた始まったと呆れ、弱気なハンナはおろおろと右往左往するばかりだ。
「おい、能無しども」
そんな一触即発の雰囲気の中、空気を読まない罵声を浴びせる者がいた。
アグノラとレナが同時に鋭い視線を向けるが、声の主の堂々たる様子は変わらない。彼は拘束具でまともに身動きが取れないにも関わらず、上から目線で彼女たちを鼻で笑う。
「足りない脳みそで議論を交わしても時間の無駄だ。おまえらのような脳筋どもは、考えるより先に身体を動かせ。やることはいくらでもあることがわからんのか、阿呆が」
皮肉めいた笑みを浮かべて毒づく少年の頭を、ディクシーが小突いた。
「いだっ!? 何をする、貴様! このクライド様の頭脳は、おまえらを百人掛け合わせてもお釣りが出るほど価値あるもなんだぞ!」
「いや、言ってることは割とまともなんだけどムカつく」
「だからと言ってすぐに手を出すな! 脳と筋肉が直結してるのか、貴様は!」
涙目になって見上げる少年をじっと見た後、ディクシーは少年を指差して問いかける。
「で、こいつ誰だ?」
「わからずに殴ったんですの!? 連れてきたのはディクシーさんでしょうが!」
「いや、貨物車両覗いたら、こいつが乗っててさ。密航者か何かかなぁと」
「……密航者なら、拘束具を着ているのは変でしょう」
「そういう趣味なんじゃねえの?」
「勝手に人を変態趣味にするな、暴力女!」
やいのやいのと緊張感のないやり取りをしているドールたちを見て、メルヴィンが呆れた顔になる。先刻まで緊張していたのがバカらしくなってきた。
「……積み荷のことは聞いてないのか?」
「聞いてないな。あたしたちが受けた任務は、
「……彼の名はクライド・フィッシュバーン。ロドニー・フィッシュバーン氏の御子息だ」
その名を聞いたドールたちの間に驚きが走り、クライドへと視線が集まった。突然注目が集まった少年は、傲岸不遜に胸を張ってみせる。
ただ一人、ディクシーだけは小首を傾げた。
「ロドニーって、誰だ?」
「……ディクシー、ドールの知性を疑われるので、少し黙っていてもらえませんか?」
「ろ、ロドニー・フィッシュバーン博士はグレーウィング所属の研究者で、ドールの生みの親と、呼ばれているほど高名な方、です」
ハンナが小声で補足すると、一拍遅れてディクシーも目を見開く。
「えっ!?じゃあ、こいつの父ちゃんが、あたしたちを作ったってことか!?」
「えぇ、一介の研究者どころか、英雄と呼んでいい方です。もう亡くなられているので、直接面識のあるドールは少ないでしょうが、基礎教育で習ったでしょうに……」
「あたしは生きるのに役立たない知識は覚えない主義なんだよ。で、そんな偉い奴の息子が、何だってこんな雁字搦めにされて貨物車に放り込まれてたんだ?親がそれだけ実績あるなら、こいつは
「そこまでは俺も知らないが、何か犯罪に手を染めたらしい」
それでも、英雄の息子が犯罪者として扱われるのはよほどのことだ。みなが疑問の目で見つめるが、クライドはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべるだけで何も言わない。
「……まぁ、そのあたりのことはあたしたちの干渉するところじゃない。で、こっちのバカでかいカニは何だ?」
「次世代陸戦蒸気兵器メタルクラブの試作型だ」
ディクシーが車内に鎮座する巨大なカニを指差すと、少年の目が途端に輝く。
「核は僕が設計したクロック同期型。演算にはロンゴミニアドⅣ型宝玉を三種七個使用。動力はトゥールビヨン式自動巻きをベースに改良を施し、エネルギー補充なしメンテなしで約一ヶ月の連続駆動実験に成功。ここまでの効率化はどんなウィングでも――」
「よし、黙れ」
突然語りだしたクライドの後頭部を叩く。頭部が大きく揺れて床にぶつかり、少年は白目を剥いて気絶した。
「このオタクぶりは、間違いなく
第三次蒸気革命以後、イギリスの貧富差は極端に広がり、富裕層と貧困層の間で戦争レベルの諍いが頻発するようになった。イギリスの都市は富裕層が暮らす『シティ』と貧困層が暮らす『エンド』に分かれ、治安の大幅悪化により、都市間の交易が難しくなった。
そのため、『シティ』同士は長らく交流がなく、都市ごと独自の蒸気文明を発達させていったのだが、技術力の成長により都市間の行き来が徐々に再開されていった。
より安定した交易の為、各都市の『シティ』は同盟を結んでそれぞれが得意とする分野の技術力を持ち寄り、一つの巨大な組織を作り上げた。
それが『
その性質上、
それゆえ、クライドのような
少女は頭を振って考えるのを放棄する。考えても仕方のないことは考えない。ディクシーは小隊のリーダー。仲間を生還させ、任務を遂行することだけに考えを絞る。
「こいつが何者だろうが関係ねぇ。あたしたちは任務を遂行する。ここからはちっと危ない道中になるが、覚悟しろよ、おまえら」
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