第7話 飛空艇

 ブライトンからロンドンへと至る主要な交通機関は3つ。ブライトン駅とヴィクトリア駅を繋ぐサザン鉄道、ブライトン駅とロンドン・ブリッジ駅を繋ぐテムズリンク鉄道、そして、蒸機馬車を利用した車道だ。

 アグノラたちは最初テムズリンク鉄道を利用してクライドと積み荷を護送する計画だったが、テロリストによって線路を破壊されたことで運行休止。残るはサザン鉄道に乗りこむか、蒸機馬車か蒸気自動車で車道を行くしかない。

 前回の例があるので鉄道は避けたいが、蒸機馬車は移動に時間がかかるし、蒸気自動車は入手が難しい。ゆえに、アグノラたちは協議の上で4つ目の選択肢を取った。


「ガトウィック空港?」


 さまざまな人種でごった返す空港の案内掲示板を見ながら、労働者服の少年が問う。彼の隣には、このような雑多な場に似つかわしくない可憐な容姿の少女が立つ。


「最近になって敷設された空港で、『シティ』行き・『エンド』行き両方の飛空艇が集まる大空港です。ここからならロンドンシティへの直通便があります」


 黒いゴシックドレスに身を包み、『エンド』にはふさわしくないお嬢様然とした様子の彼女の手には、その格好と不釣り合いな大きなずた袋が握られている。外見だけなら少女が主人で、少年が召使いだが、そのちぐはぐさが通りがかる人々の目を引いた。

 その少女――アグノラは、クライドにぴったりと張り付くように寄り沿い、会話しながらも周囲を警戒していた。


「ガトウィックは『シティ』の外だろう?空港なんて、よく経営できているな」

「『エンド』には『エンド』の有力者がいます。『シティ』側から飛空艇と多額の場所代を提供する見返りとして、この土地を借りているのです。料金はかかりますが、『エンド』の人が利用することも多いですよ」

「『エンド』の有力者、か。早い話がギャングだろう?」

「えぇ。『エンド』で上に立つには、暴力が必須ですから。ですが、だからこそ、そんな組織がバックについているこの空港は安全だとも言えます」


 そう説明しながら、アグノラは水蒸気ホログラムで映し出される立体掲示板を見やる。水蒸気に明かりを投射することで、三百六十度から情報を確認できる映写装置だ。この掲示板には、飛空艇に関する様々な情報が表示されている。


「もっとも、安全なのは空港内だけですが」

「なるほど。初めから空路を使わないわけだ」


 そこには『ガトウィック―グラスゴー間航路、空賊警報発令中』や『エディンバラ行き飛空艇、予測生還率80%』など、物騒な情報が羅列している。飛空艇利用者たちは、それらを齧りつくようにして見ながら、どの船に乗るかを吟味していた。

 はるか遠方に物資を運ぶことができる飛空艇は、『シティ』の人間にとっても、『エンド』の人間にとっても、商売のタネになる。だが、飛空艇に積める荷の量には限りがあるため、必然的に少量で高額な品を運ぶ手段として使われる。

 そして、そういった商売が発展してくると、自然発生的に、飛空艇を狙う空賊行為も盛んになった。

 空港はギャングの目が光っているため、あからさまな暴力行為に出る者はいないが、一度空に飛び立ってしまえば、そこは暴力が支配する『エンド』の領域。飛空艇の発達により都市間の行き来は容易になったが、まだまだ安全とは言い難い。


「それでも、ガトウィックからロンドンまでは飛空艇で半日の距離なので、空賊に襲われる可能性は低いでしょう。情報掲示板にもおよそ25%と書かれています」

「……0ではないんだな」

「当たり前です。無事辿り着けた人でも、目的地に着いた頃には荷物が半分になっていたというジョークがあるほどです」

「どういうことだ?」

「空賊を撃退するのに使った弾薬で荷物の半分を失い、空港でスリに遭って荷物の半分を失い、他人の荷物を盗んで荷物の半分を取り返すそうです」

「ハハハハ、ロクでもないところだなぁ、おい!」


 軽口を叩きあっていると、人ごみの中から片腕を吊った男が近づいてくるのが見えた。三人目の同行者であるマルヴィンだ。彼は腰に拳銃の入ったホルスターを吊るし、手には三人分のチケットを持っている。


「飛空艇に乗るのは初めてだが、こんなバカげた乗り物は他にないな。たった三人分の旅費で、所持金が底をついちまった」

ロンドン支部グレーウィングに着けば、経費で落ちますよ。普段なら体験できない経験だと思って空の旅を楽しみましょう」

「それもそうだな。……七番ゲートだ。三十分後に出発だから向かおう」


 三人は連れ立って、乗船の為にゲートへと向かう。

 飛空艇は飛行船と飛行機を足して二で割ったような構造の飛行物だ。ずんぐりとした卵型の船体に翼と回転翼がついており、胴体からは蒸気の煙がもうもうと上がっている。二百メートル超の巨体でありながら、飛行船と比べて気嚢部分は小さく、積載量も多い。

 まさに空に浮かぶ船。機能性重視で配管が剥き出しになっているが、その威容は圧巻としか言いようのないものであった。

 三等客室をとったアグノラたちは、客室には入らず、デッキに備え付けてある固定式テーブルに着座する。ロンドンシティまでは半日程度の旅程であるため、空の明るいうちは外で過ごしたほうがいいと思ったからだ。

 アグノラは、テーブルに着くなり、ずた袋から荷物を取り出して上に並べる。

 象撃ち銃が一丁。機関銃が二丁。大型の拳銃が二丁。蒸気式手榴弾を一ダース。大小のナイフを数振り。それぞれに対応する蒸気弾が百発以上。あとは整備用の油や工具。故障してしまったドール用蒸機剣も持ってきているが、それは袋に入れたままだ。

 少女は慣れた手つきで銃器を分解すると、一つ一つを入念に整備し始める。そんな彼女を見て、クライドが呆れた顔になる。


「戦争でも始めるつもりか、おまえは」

「これでも心許ないくらいですよ。マルヴィン、弾の選別お願いしていいですか?」

「わかった」


 マルヴィンは片腕でやりにくそうに弾薬箱を開け、蒸気弾を選り分け始める。クライドはできあがっていく二つの山の一つから一発の弾丸を取り出し、じっと見つめた。


「……なるほど。話には聞いていたが、これは酷い出来だな」

「『エンド』で製造される蒸気弾は、半数が不良品なので選別が必須です。不良品でなくても、『シティ』製の蒸気弾と比較すると出力は六・七割といったところでしょう。そのぶん、格安ではありますが」

「人間相手なら十分な威力だが、ドール相手では厳しいな」


 空賊に襲われる可能性が高い飛空艇では、女が武装することは珍しくない。とはいえ、アグノラ自身の美貌と、それに反する整備の手際の良さが乗客たちの目線を集めた。

 乗客はそう多くない。ガトウィックからロンドンに向かうなら、蒸機馬車を使った方が確実だからだろう。機械整備のガチャガチャとした音がデッキに木霊する。

 その時、出発のサイレンが鳴り響き、船体が揺れて机上の弾薬が転がった。マルヴィンは慌てて弾薬を回収したが、不良品の弾薬がいくつか床に落ちた。

 蒸気機関が唸りを上げるとともに、回転翼の勢いが増す。ふわりとした浮遊感を感じたと思った刹那、飛空艇が高度を上昇させ、景色が徐々に遠のいていく。


「無事、離陸できたな。『シティ』に着けば応援が呼べるし、道中で空賊が来たとしても、こちらにはアグノラがいる。ひとまずは安心だ」

「……だといいがな」


 アグノラの方を見やれば、飛空艇が動いていることに気付いていないかのように、無表情で黙々と銃器の整備を続けている。調整が終わった銃には、選別された蒸気弾をフル装填して、いつ襲われても対応できる準備を整える。

 普段の訓練がそうさせるのか、それとも女の勘がこのままでは終わらないと告げているのか、その様子には一切の余念がない。クライドは一つ溜息を吐くと、アグノラのずた袋に入っていた蒸機剣を取り出す。

 整備の手を止め、アグノラが問いたげな目でクライドを見る。少年は肩をすくめると、工具を取り出して蒸機剣をいじり始める。


「暇つぶしだよ。どのみち半日は時間を潰さなきゃいけないんだ。外の景色を眺めているより、機械いじりをしていた方が僕の性にあう」


 許可など求めず、勝手に分解し始める。故障して使い物にならなくなった剣なので別に構わないが、微細に解体していく様子を見て、設計図もメモもなしにそこまで分解して元に戻せるのかと少し不安になる。


「演算用宝玉の歯車が歪んで、いくつかダメになっているな。熱量伝播配管もずれていて、階差機関の計算と合わなくなってしまっている。効率性が30%下降、暴発可能性10%上昇といったところか。宝玉を取り換えたいが、手持ちにはないし――」


 訴えるような視線を向けるが、作業に集中しているクライドの手は止まらない。アグノラには理解不能な言葉をブツブツと呟きながら、テキパキと手を動かしている。

 傍らのマルヴィンは、肩をすくめてから蒸気弾の選別作業に戻る。触らぬ神に祟りなし。大人しくしている分には無視することに決めたようだ。

 アグノラは、クライドが機械いじりをしている様子をしばらく観察してみる。真剣な表情だけどどこか活き活きしていて、まるで砂場遊びに熱中する子どものようだ。

 ふと、心臓クロックが刻む針音が速まったような気がして、アグノラは自分の胸を抑える。自分の中に生まれた感情がうまく理解できず、彼女にしては珍しく戸惑いの表情を浮かべる。顔が熱くなる錯覚を感じ、両手で頬を覆う。

 幸いにして、男性二名はそれぞれの作業に集中していたため、アグノラの変化に気付いていなかった。アグノラは目を閉じ、深呼吸を繰り返す。生ける屍ドールである彼女には無駄な動作だが、徐々に精神の安寧を取り戻すことに成功する。


「(時計クロックが損傷したせいでしょう。私は少しおかしいようです)」


 自らにそう言い聞かせて、アグノラは銃器の整備を再開する。

 その際、無意識的にクライドのほうを何度も盗み見たが、それは護送対象の少年を確認するためだと自らに言い聞かせた。

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