第8話 空賊

 暗くなった手元がガス灯の明かりで照らされる。蒸機剣の改造に熱中していたクライドは、そこで初めて日が落ちていることに気がついた。

 どこかからガス灯を持ってきてくれたのはアグノラ。銃器の整備はとうに終えていたようで、象撃ち銃を背中に、二丁拳銃を腰に下げている。マルヴィンの姿は消えていた。


「もうこんな時間か。マルヴィンはどこに行った?」

「冷えてきたので、客室に入りました。クライドさまもそろそろ船内に入らないと、お身体に触りますよ」

「少し待て」


 まだ温かい季節とはいえ、風の強い夜の甲板は冷える。だが、クライドは気に留める様子もなく、蒸機剣の螺子を絞めていく。すべての螺子を絞め終わると、蒸機剣を空撃ちしてその出来栄えに頷く。


「満足しましたか?」

「こんなありあわせで満足な出来になるはずがないだろう。設備も部品もない状況では、完璧な修復など無理な話だ。……形にはなったが、まだまだ微調整が必要だな」


 そもそも熱量収縮率が……とぶつぶつ言いだしたクライドを無理やり立たせ、アグノラは彼の手を引いて船室に向かう。放っておくと、風邪をひくことも構わずに機械いじりを再開しかねない雰囲気だった。

 ロンドンまであと数時間といったところだが、甲板にはアグノラたち以外の人影は見えなかった。船内で酒を飲んでいるか、賭けごとにでも興じているのだろう。明かりの洩れる部屋から笑い声が聞こえてくる。

 ふと強い風が吹き、灰がかった雲の合間から月が顔を出す。風で暴れる髪とスカートを押さえつけたアグノラの足が止まる。


「…………」


 二人の間になんとなく沈黙が流れ、示し合わせたように同時に月へと目を向けた。普段から口数が多い方ではないが、クライドと二人きりの状況に奇妙な居心地の悪さを感じる。

 クライドはどう思っているのかと表情を横目で見るが、月に向けた顔は楽しんでいるようにも悲しんでいるようにも見えて判然としない。ただ、月に照らし出された彼の横顔を見て、アグノラは歯車こころが乱れたように感じる。

 そのまま彼が月に吸い込まれて消えてしまいそうな錯覚を覚え、アグノラはクライドと繋いでいた手にギュッと力を込める。少年はそれを優しく握り返した。


「あの――」

「羽音だ」


 何か言いかけたアグノラの声を制し、少年が鋭い声を発する。眉間に皺が寄っており、視線は月から船の後方へと移っている。

 一瞬、何のことだろうと思ってしまったが、アグノラはすぐにハッとした表情になって、ずた袋の中から機関銃を取り出し、蒸気弾を薬室へと送りこむ。直後、爆音とともに船体が大きく揺れ、回転翼の一つから火が噴き出したのが見えた。

 バランスを崩して倒れそうになるクライドを支え、アグノラは炎に照らし出されたいくつもの飛行体を瞳に映す。

 蒸機蜻蛉フライマキナと呼ばれる短距離飛行用蒸気機械。長時間の飛行はできないが、そのぶん小型で小回りが利き、ホバリングも可能。空賊が好んで使う蒸気機械だ。

 空賊襲撃を告げる騒がしい警報が、船全体に聞こえるように響き渡る。警告灯が回って甲板を照らし出す中、蒸機蜻蛉から幾人かが飛び降りて飛空艇に飛び移ってくる姿が目に入る。次第に、船のそこかしこから銃声が響き始めた。


「船室に戻っていてください。空賊に出会っても決して抵抗せず、大人しく付き従うように。彼らは基本的に無抵抗の人間を殺そうとはしません」


 そう言い残して、アグノラは特に多くの銃声が聞こえる場所へと向かう。クライドはアグノラの指示に従って、流れ弾に注意しながら船室へと向かう。

 幸いなことに、アグノラたちの三等客室周辺に賊の姿は見えなかった。金持ちが多い一等客室が優先的に狙われているのかもしれない。だが、扉を押し開けようとしたところ、何かに引っかかった感触があって途中で止まる。


「?」


 疑問に思って隙間から頭だけを出して中を伺うと、床にマルヴィンが倒れているのが目に入った。どうやら、彼に引っかかって扉が開かなかったらしい。


「マルヴィン? なにがあった?」


 体を横向きにして室内に滑り込み、クライドは床に倒れているマルヴィンの容態を見る。見たところ大きなけがはないが気絶しており、手の近くには拳銃が転がっている。

 その時、背後から細長い刃が伸びてきて、クライドの肩の上に置かれた。


「…………」


 少年は蒸機剣と整備用工具を床に置き、手を上げてからゆっくりと振り向いた。そこには緑髪でゴシックドレスを身に纏った、見覚えのある少女が立っていた。


「……アグノラの仲間で、レナと言ったか」

「『元』仲間ですわ。お久しぶりです、クライドさま」


 どこか芝居がかった仕草で、大袈裟にお辞儀をするレナ。礼儀正しく振舞いながらも、その瞳にはどこか馬鹿にしたような感情が伺える。


「悪いが、アグノラは今留守だ。後日出直してきてくれ」

「あら、女性と二人きりで話している時に、他の女性の話をするのは野暮と言うものですことよ? クライドさまは女の扱いをわかっていませんね」


 レナはクライドの腕を後ろ手に捻り上げると、顎で歩けと指示する。抵抗する術を持たないクライドは、おとなしくそれに従った。


「……よくこの場所が分かったな」

「アグノラさんは自覚が薄いですが、彼女は人目を引きますもの。『エンド』の情報屋にコネさえあれば、それらしい人物の目撃情報は容易に手に入ります。大雑把な位置情報さえ分かれば、飛空艇を利用しようとしていることくらい想像がつきますわ」

「それで先回りして、空賊が襲ってくるか、僕が一人になる機会を見計らっていたわけか。思った以上に頭が回る上、慎重じゃないか」

「力押しは美しくありません。もっとも確実な方法を取るのは当然のこと。……それに、貴方とは少しお話がしたいと思っていましたからね」

「ほう?」


 顔だけ後ろに向けると、睨むように見つめてくるレナと目があった。それはクライドを敵視しているようだったが、ただ虚勢を張っているだけのようにも見えた。


貴方は何者なんですの?・・・・・・・・・・・

「知っているだろう? 僕はロドニー・フィッシュバーンの息子で――」


 レナは捻り上げている腕に力を込めた。クライドは少し顔を歪めて言葉を止める。少女は怒気を孕んだ声で、クライドの耳にささやきかける。


「ふざけないでくださいませ。その程度のこと、私が調べていないとでも?」

「……どうして嘘だと思う?」

「ロドニー博士には子どもなんていませんわ。奥さんはいらっしゃったようですが、『エンド』のテロリストが引き起こした爆破事件により亡くなられています。あなたがロドニー博士の息子であるはずがないのですわ」


 今回の反逆に際し、レナは事前にクライドのことを詳細に調べ上げた。結局、彼の正体を掴むことはできなかったが、ロドニー・フィッシュバーンの血縁ではないということは間違いのない事実だ。そもそも親が優秀だからといって、子どもも優秀だとは限らない。その程度で時計男チクタクマンが彼に拘るはずがない。

 もはや『シティ』に返り咲くことのできない身ではあるが、正体不明のままで時計男チクタクマンにクライドを引き渡すのは危険だとレナの本能が警鐘を鳴らした。ゆえに、レナは多少の危険を冒してでも、彼の正体を探ることを優先する。


「……なるほど。本当に優秀だな、おまえは。単独で反逆を起こせるくらい思い切りがいい反面、臆病なほどに慎重。準備は怠らないが、機を見るに敏。敵に回したくない相手だ」

「高評価をどうもありがとうございます。でも、私が求めているのはそんな当たり前のことではありませんわ。時間稼ぎはおよしになってくださいます?」


 三等客室が並ぶ客室を抜け、甲板へと戻ってくる。甲板に備え付けてある緊急箱には非常用の落下傘が備蓄されており、それを使えば二人はここから脱出できる。

 争いはまだ続いているらしく、銃声と怒号が船尾のほうから響いてくる。まだ十分時間があると判断したレナは、緊急箱から取り出した落下傘をクライドに背負わせる。

 その時、顔を寄せたレナに、クライドが囁いた。


「――――」


 クライドの声は甲板の強風に巻かれて消える。ただ一人、彼のすぐそばにいたレナだけはそれを聞きとり、驚愕で目を見開いた。


「そんな……では、あなたは……この輸送任務は……」


 落下傘が手から落ちた。彼女は震える手でクライドの肩を掴むと訴えるように叫ぶ。


「なぜです!? それが真実なら、貴方は不死鳥騎士団フェニックスに戻るべきではない! 私と共に『エンド』に来た方が、あなたのためになるはずでしょう!?」

「レナ」


 クライドは子どもを諭すように、穏やかで落ち着いた声を掛ける。


「おまえらしくもないぞ。誰も信じず、自らだけを信じるのがおまえという人間じゃなかったのか。時計男チクタクマンを……『闇に蠢く者どもナイアーラトテップ』を信用するな。あれに頼って身を滅ぼすのは、おまえ自身になる」


 なぜ彼が時計男のことを知っているのか……そのことはもう疑問に思わなかった。

 彼は時間稼ぎの為にこのようなことを言っているのではなく、自分のことを心から心配してくれているのだとレナは理解してしまう。己の中でガチリと時計クロックが歪む音を聞きながら、レナは歯噛みして蒸機細剣に手を掛ける。


「もう手遅れですわ。なにもかもが」


 剣を抜きながら振り返ったレナは、甲板の先に立つ人影に声をかける。


「そうでしょう、アグノラさん?」


 炎上する機関を背に、銃を持ったゴシックドレスの死天使アグノラがそこにいた。

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