第9話 遊撃手

 先制――拳銃を抜き撃ちながら、アグノラはレナに向かって駆ける。

 走る銀光。レナの振るう蒸機細剣が弾丸を払い落とす。クライドに当たることを恐れた薄い弾幕など、ドールの動体視力と身体能力を持ってすればよけるまでもない。返す刃で細剣を突き出し、蒸気駆動の引き金を引く。

 撃鉄が蒸気弾を穿ち、蒸機細剣の剣鍔から蒸気が噴き出す。生まれた運動エネルギーが剣先に伝わり、弾丸に勝らぬとも劣らぬ速さで刀身が伸びた。大きく歪曲しながら伸びる必殺の刃は、正面の敵の背中を貫くという奇襲を可能とする。

 だが、その攻撃を幾度となく体験し、苦汁を舐めさせられたアグノラは、足を止めることなく身を沈めながら前進を続ける。速くより速く、深くより深く、地を這うがごとき前斜姿勢になったアグノラの背後から迫った刃は、彼女が背負っている象撃ち銃の表面を削っただけで終わる。

 背後から迫る刃に後退は逆効果。前斜姿勢で被弾面積を減らしつつ、蒸機細剣の刃が戻る前に伸縮が無意味になる超接近戦を仕掛ける。

 顔と顔が触れ合うのではないかという零距離で、アグノラは蒸気拳銃の引き金を引く。

 レナは空いている左手で、腰から蒸機短剣を逆手で引きぬき弾丸を弾いた。そのまま片手で短剣を回し、順手に持ち替えてアグノラに突き出す。アグノラが拳銃でそれを受け止めると、金属同士がぶつかり合う高い音が響き、火花が散った。

 アグノラの右手首を斬り落そうと、元の形状に戻った蒸機細剣を振るおうとするレナ。しかし、事前にそれを察知したアグノラは、左足のヒールを蒸機細剣の持ち手に突き刺し、足と飛空艇の壁で挟み込んで抑え込む。レナの両手を封じたアグノラは、左の拳銃の銃口をレナへと向ける。

 拳銃の引き金が引かれるより速く、蒸機短剣の引き金が引かれ、レナの両腰からアンカー付きワイヤーが射出された。アグノラは身を捻って一つを回避するが、もう一つは左手の甲に突き刺さって拳銃を落とす。彼女が体勢を崩した瞬間、レナは蒸機細剣を強引に引き抜き、距離を取る。

 己の間合いに戻したレナは、再び蒸機細剣を駆動させ、目にも止まらぬ鋭い突きを放った。アグノラは半身になってそれをかわすと、歪曲して背後から迫る刃を右手の拳銃で防御する。その姿勢のまま左手で背の象撃ち銃を握ると、背負ったまま狙いをつけて撃つ。

 レナは転落防止用の柵を乗り越え、それを回避する。夜空へと身を躍らせることになったレナは、蒸機短剣の引き金を引き、蒸機短剣と連動している腰の鋼線射出機ワイヤーリールを一気に巻き上げる。左手にアンカーを撃ちこまれたアグノラの身体が、引き寄せられて飛空艇の外に投げ出される。

 レナはアグノラからアンカーを取り外し、飛空艇の胴体にアンカーを撃ちこみなおすことで自分だけ船外に落ちることを阻む。

 ただ一人、宙へと投げ出されることになったアグノラは、即座に拳銃を手放してナイフを両手に取り、ドールの膂力を活用して船体に突き刺すことでなんとか踏みとどまる。そのままナイフを杭代わりに船体に突き刺していき、すさまじい勢いで登って行く。

 だが、この機会を見逃すレナではない。


「三次元戦で私に勝てるわけがないでしょう!」


 レナ――元ディクシーチームの遊撃担当。蒸機細剣と鋼線射出機ワイヤーリールを利用した高速立体起動戦闘で敵を撹乱するのが主な役割。壁面に張り付いた敵を倒すなど、赤子の手を捻るより容易い。

 ワイヤーに身体を支えられたレナが、地上を駆けるがごとく、壁面を走り迫る。

 急いで甲板に戻ろうとするアグノラより、レナの刃が届く方が遥かに速い。間に合わないと判断したアグノラは、左手で体重を支え、右手で象撃ち銃を引き抜いて応戦しようとしたが、照準を合わせるより速く、象撃ち銃ごと右腕を斬り落とされた。

 武器はまだ機関銃が残っているが、片腕では壁面にしがみつくのが精一杯。銃を構えることすらできない。


「これで終わりですわ!」


 一度通り過ぎたレナが、助走をつけて再度アグノラに迫る。二人が交錯し、アグノラの左腕も切り落とされるかと思った瞬間、銃声が響き渡る。


「っ!?」


 咄嗟に回避行動に切り替えたため、銃弾はレナに当たることなく虚空に消えていく。ワイヤーで身体を固定して銃声の発生源を探ると、甲板から身を乗り出したマルヴィンがレナに銃口を向けていた。


「アグノラ! 速く上がってこい!」


 拳銃で牽制しながら、マルヴィンは柵に結び付けたロープをアグノラに投げる。変色した茶色いロープが、アグノラの真横に垂れた。


「無能な人間ごときが、戦いの邪魔をするんじゃないですわ!」


 片腕のアグノラでは、ロープがあっても上には上がれないと判断し、レナはワイヤーを射出して目障りなマルヴィンに斬りかかる。

 マルヴィンは拳銃で応戦するが、片腕で照準が合わせづらい上に、高速で動くレナにはかすりもしない。蒸機細剣を起動させる必要すらなく、レナの飛び蹴りを喰らったマルヴィンは派手に吹き飛び、壁に衝突して血反吐を吐いて気絶した。

 邪魔者を排除し、レナがアグノラに視線を戻すと、彼女は機関銃を引き抜いて構えていた。

 マルヴィンが垂らしたロープに足を絡めて逆さにぶら下がったアグノラは、腕で飛空艇の壁面を蹴って、自分を振り子のように揺らし、近くにある窓を見つけてそこに突っ込む。機関銃を引き抜いて窓ガラスを撃ち、ガラス片を撒き散らしながら窓から船室に入る。

 船室は三等客室の一つだった。空き部屋だったらしく、乗客も荷物もない。急いで甲板に戻ろうと出入り口に走ったアグノラだったが、ぞわりと嫌な予感がして身を屈める。

 間一髪、背後から走った銀の刃が、アグノラの頭があった部分を通り過ぎて、廊下の壁に突き刺さった。振り返ると、アグノラを追って窓から船室に突っ込んだレナの膝が、アグノラの鳩尾に深々と入る。

 勢いのまま、二体のドールは揉み合いながら廊下へと転がり出る。

 アグノラは両足をレナの身体に絡めると、そのままマウントポジションを取って相手の顔を殴りつける。レナが両手の武器を振り回して抵抗するが、刃が身体に刺さっても気にせずに何度も殴る。片腕を失っている状態で、姿勢の優位を解くわけにはいかない。

 何度目かの打撃でレナが怯み、抵抗が少しだけ緩む。その瞬間を見逃さず、アグノラは新しいナイフを引き抜いてレナに突き刺そうとする。

 レナはその刃を蒸機短剣で受け止めると、その引き金を引く。彼女の両腰から射出されたワイヤーアンカーが、廊下の天井へと突き刺さった。再び引き金を引くとワイヤーが巻き上げられ、レナとアグノラの身体をまとめて持ち上げる。レナの上に跨っていたアグノラは、固い天井に叩きつけられ、レナの胴に絡めていた足の拘束を緩めてしまう。

 その瞬間を見逃さず、レナはアグノラの腹部を蹴って距離を取る。アグノラは追い縋ろうとしたが、その前に体勢を整えたレナが蒸機細剣を構えなおしたことで、足を止めざるを得なかった。

 アグノラは斬り落とされた右腕を前に、ナイフを持つ左腕を後ろにして近接戦闘の構えを取る。だが、リーチの差から圧倒的に不利と言わざるを得ない。


「そろそろ降参してはいかがかしら? 今なら楽に殺して差し上げてよ?」

「この状況を打開できる画期的な方法を教えてくれるなら、降参してあげてもいいですよ。降参するだけで抵抗を止める気はありませんが」

「その減らず口もそろそろ聞き飽きましたわ」


 神速で突き出される細剣。しかし、アグノラは避けずに前進する。左乳房下を貫通し、背中へと抜ける刃。そこにあったはずの時計クロックを貫く感触がないことに、レナは驚いた顔になる。

 修復の際にクライドが時計の位置を変えてくれたおかげ。たった一度しか使うことができない奇襲。深々と肉体に突き刺さった細剣の刃は、簡単には抜けない。

 身体を張って細剣を封じた状態で、アグノラはレナへと肉薄する。レナが短剣を突き出して対応しようとしたが、損傷している右腕を盾にしてそれを防ぐ。

 アグノラは左手のナイフを手放すと、腰から蒸気手榴弾を一つ抜き、片手で安全ピンを外してレナの腹部に押し当てた。


「なっ、自爆する気ですの!?」


 初めて、レナが焦った声を上げる。

 ナイフであるならば、ピンポイントで時計クロックに突き刺さない限り、ドールを殺すことはできない。だが、蒸気手榴弾を間近で受ければ、時計の位置がどこかなど関係なしに吹き飛ばされてしまう。

 アグノラが手榴弾を持っていること、それを自爆承知で使う覚悟があることを知っていれば、もっと慎重に立ち回っていただろう。だからこそ、この瞬間の為に、アグノラはぎりぎりまで手榴弾を使用せず、その存在を隠した。


「くっ!」


 レナは全力でアグノラを蹴り飛ばす。根元近くまで刺さっていた刀身は、ドールの並外れた膂力によりずるりと抜けた。直後、二人の間に転がった手榴弾が爆発する。

 蒸気爆発により拡散した鉄片が、二体のドールの身体に突き刺さるが、多少距離を取ったことにより致命傷には至らない。致命傷に至らないのであれば、ドールにとっては無傷と同義だ。身体に刺さった鉄片を抜きながら、レナは立ち上がる。

 アグノラは蹴り飛ばされた場所から、近くの客室に転がり込む。レナは一瞬いぶかしんだが、すぐにその部屋がアグノラたちの部屋だと思い出す。彼女はレナに蹴り飛ばされることも織り込み済みで、自分たちの部屋に入るために手榴弾を使ったのだ。

 客室に入ったアグノラは、床に転がっていた蒸機剣を手に取り、空の弾倉に蒸気弾を込める。どんな改造が施されたのか、そもそも起動するかどうかもわからない賭けだが、これ以外に逆転の手段がない。

 すぐさま追いつき、客室に飛び込んでくるレナに向かって、アグノラは蒸機剣の引き金を引いた。蒸気弾が消費され、蒸気の噴出と共に運動エネルギーが蒸機剣を駆け巡る。


 結果は――不発。蒸気の白煙だけで何も起こらない。


 その行動は却って大きな隙になった。レナが振るった蒸機細剣を防御しようと剣を立てるが、反応が遅れて刃が右腿に食い込む。

 ――アグノラの右足が切断され、支えを失った少女は地に倒れた。

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