第10話 死神
「なかなか頑張りましたわね。ですが、結局は私の圧勝。やはり貴方は弱いのですわ。貴方では誰も守ることなんてできない」
虫のように這いつくばるアグノラを見下ろし吐き捨てるように言うと、レナは蒸機細剣と蒸機短剣を鞘に納め、背を向けて部屋から出ていこうとする。
「ま、待ってください。私は、まだ――」
片腕で身を起こし、床に座った状態で蒸機剣を構える。だが、もはや立ち上がることもままならないアグノラを、まともに相手にする気のないレナは嘲笑を浮かべるのみだ。
「心配しなくても、クライドさまは私が有効活用して差し上げますわ。無能な貴方と違って、私は優秀ですもの。彼のパートナーにふさわしいのは、私以外ありえないのですわ」
「だ、だめ……」
クライドを奪われる。そう思っただけで、アグノラの中に理解不能な焦りが生じる。他の誰かに、彼を奪われたくない。何故そんなふうに考えたのか、アグノラは自分自身でもわからず混乱する。
ただ、どうしてもそれだけは嫌だった。彼を失うことがたまらなく怖かった。その恐怖に突き動かされるようにアグノラは片足で立ちあがり、レナに剣先を向ける。
「……そう。それがあなたの未練ですのね」
レナは一瞬悲しそうな目でアグノラを見たが、それ以上は何も言わず、彼女に背を向けて立ち去る。アグノラは追い縋ろうとしたが、片足の彼女はすぐに床に倒れてしまう。
「ま、待って! クライドさまを連れて行かないで!」
苦し紛れに蒸機剣の引き金を何度も引く。だが、蒸気の白煙が起きるばかりで、剣の機構には何の変化も起きない。すぐに弾は切れ、カチンカチンと空撃ちの音が響く。
「お願い……だから……」
アグノラは片手で床を這い進むが、階段を上って行ったレナの背中が見えなくなってしまった。いつも冷静な彼女の瞳に大粒の涙が浮かぶ。
どうしてここまでの激情が起きるのか、自分でもわからない。ただ、無力な自分が無償に悔しかった。瞳から溢れた涙が刀身に落ちる。
「私を……置いていかないで」
嗚咽混じりの声が、誰もいない廊下に染み消える。涙に濡れた剣が、黒く染まった。
◆◆◆
甲板でマルヴィンの治療をしていたクライドが、背後の足音で振り返る。
そこに立っていたのはレナ。戦闘での傷はすでに塞がっており、ボロボロだったゴシックドレスも修復されている。
応急処置を受けたマルヴィンが立ち上がろうとするが、激痛で呻き声を上げることしかできない。クライドは彼を手で制し、レナの前に立つ。
「終わったか。……アグノラはどうした?」
「完全破壊しました……と、言いたいところですが、無事ですわ。あの子を破壊したら、貴方に嫌われてしまいそうですもの。手足を斬って床に転がしていますわ」
「そうか。気使いに感謝しよう」
「いえいえ、私は優秀ですもの。では、クライドさま。一緒に来ていただけますか?」
慇懃無礼に差し出されたレナの手に、クライドは幾分かの迷いを見せたが、やがて諦めたように溜息を吐く。
「これ以上の抵抗は無意味だな。仕方な――」
クライドの声をかき消すように、砲撃でも受けたかのような破壊音と共に、飛空艇が内側から弾け飛んだ。空に巻き上げられた鋼の歯車とパイプが重力に従って降り注ぐのを、レナがクライドの前に立って蒸機細剣で弾く。
「いったい何事ですの!?」
初め、空賊が仕掛けた爆弾かと思った。金目当ての空賊が、飛空艇ごと破壊するような爆弾を使うことは稀だが、そんなことおかまいなしの呆れるようなバカがたまにいる。
だが、空賊たちの気配は、すでに飛空艇から消えている。アグノラや船員や乗客たちが撃退し、生き残った空賊も撤退したのだろう。ならば、何が起きたのか。
レナは音源である頭上を見上げる。飛空艇中央上部にあるその場所は、見張り台となっていた。鈍色の金属で補強してあるその場所は、虫に食い破られたような大穴が空いており、捲れ上がった鋼が月明かりを反射して輝いている。
しかし、その異常な破壊の痕を気に留める者はいなかった。何故ならそこには、それ以上に目を引く異様な風体の怪物が立っていたからだ。
暗闇を想起させる大きな翼。足は左右非対称に歪んでおり、右足は獣のごとく力強く曲がっており、左足は機械人形のごとく歯車と配管が組み合わさったもので蒸気を上げている。腕は隻腕、髪は金で、月に照らされて美しく輝いている。
死神とはかくも禍々しく美しいものなのか――その異形を見たレナは恐怖や警戒を感じるよりも先に、不覚にも見惚れてしまった。
「アグノラ……?」
背後でクライドがぽつりと呟いた声でハッと我に返る。
月を背にして立つ死神は、確かにアグノラの顔をしていた。だが、その美貌は失われていないものの、目からは光が失われ、どこか昆虫的であった。
「AGRRRRRRRRRRRRRRRRRRUUAAAAAAAAAA!!」
人とは思えない咆哮を上げ、異形の怪物は見張り台から落ちるようにして駆けた。両足の爪を壁面に突き刺し、地上を走るかのような姿勢で、クライドたちに向かってくる。
あからさまな敵意を向けられ、レナは状況把握より先に身体を動かした。
両者が接触する瞬間、怪物は機械された左足をレナへと蹴り下ろす。
レナは蹴りが当たる直前でワイヤーによる姿勢制御で初撃をかわす。空振った踵落としはそのまま壁面へと叩き落とされ、金属を引き裂く音と共に壁面に大穴を空ける。
レナはすれ違いざまに脇腹に細剣を差し込んだが、金属音と共に弾かれた。
「……まったく、どういう身体をしているんですの」
ワイヤーを利用して距離を取りつつ、レナは新たな敵を観察する。幸か不幸か、相手はレナを標的と定めたようだ。クライドたちには目もくれず、レナへと殺意を向けてくる。
怪物の身体は脇腹から左足にかけて鉄錆びた金属でできており、その爪先だけが鋭く光っていた。その色合いから、飛空艇の部品ではないかとレナは推測する。信じられないことだが、あの怪物は飛空艇の部品を取り込んで身体の一部としているようだ。
獣の咆哮を上げ、怪物が再度突進してくる。
「どれだけ変わろうと、貴方は弱いままですわ!」
初めこそ驚かされたが、本能のままに動く獣など怖くない。壁面に爪を突き立てて走る機動力と、鉄板をやすやすと斬り裂く脚力には驚かされたが、それ以上のことはない。
本能的であるからこそ、怪物の攻撃は直線的で単調だった。いくら速くても、余裕を持って回避することができる。
レナは向かってくる怪物に剣先を向け、蒸気細剣の引き金を引く。湾曲した刃が伸び、怪物を背中から貫いた。やはり知性が落ちているらしく、避ける気配すらなく姿勢を崩す。
「体力も化け物並みなのかしら? あと何撃耐えられ――っ!?」
刃を引き戻そうとしたレナだったが、岩に挟まれたかのように刃が動かず、目を見開いて驚く。そうしている間にも、怪物は背中を刃で貫かれたまま向かってくる。
再度振り下ろされる死神の蹴り。だが、レナは冷静に見極め、紙一重でそれをかわす。
「離れろ、レナ!
クライドの警告は間に合わない。
蠢く闇。怪物の身体を覆うボロボロのゴシックドレスにも見えるそれが、怪物の左足に伝播して機械の義肢を黒く染め上げる。左足を覆った闇は、鉄管や歯車の配置を瞬時に変え、撃鉄が振り下ろされたような金属音が響いた。
その瞬間、すさまじい量の蒸気が怪物の左足から噴き出し、爆発でも起きたような衝撃波と共に飛空艇の鉄壁を吹き飛ばす。間近にいたレナは、直撃を避けることはできたが、衝撃と跳ね飛んだ鉄片を受けて弾かれた。
「(これは……蒸気手榴弾の爆発!? 蒸気手榴弾を蒸気弾代わりに使って、熱エネルギーを足に集中させたということですの!?)」
大爆発の中心にいたせいで、レナの右腕は骨が折れてだらんと下がり、武器を手放していた。左目と右脇腹は鉄片で抉られている。細かな傷は数え切れない。
当然、それだけの大破壊となると、怪物自身もただでは済まない。レナと負けず劣らずのダメージを負っているが、怪物を包む闇が傷口に集まり、怪我を瞬時に治していく。
「……やはり、あの翼や黒いものは
ドールを不死身たらしめる微生物。普段はゴシックドレスの形を取って、鎧代わりにドールの肉体を守り、怪我を負えばそれを修復する機能を持つ。
だが、怪物のそれは別物であるかのようだった。レナの
修復を終えた怪物の肉体は、以前よりさらに形を変えていた。飛空艇の部品をさらに取り入れて右腕を構築し、その手にはレナの蒸機細剣が同化していた。
細剣で刺した際、抜くことができなかったのは、その時点から武器と肉体の同化が始まっていたからだろう。接近攻撃を仕掛ければ武器を取り込まれ、辛うじてダメージを与えても瞬時に再生される。その厄介さに、レナは歯噛みした。
「っ!?」
怪物はやや身を屈めると、左足の蒸気爆発を利用して、レナとの距離を一瞬で詰める。
思わず下がる彼女を、背後から刃が貫いた。蒸機細剣による歪曲攻撃。自らの十八番を利用され、怒りに顔が染まるが、怪物が足を振り上げるのを見て顔色を変える。
咄嗟に腕と蒸機短剣を盾にするが、怪物の左足はそれらを紙切れのように容易く食い破り、少女の身体を飛空艇から弾き飛ばした。
船外へと放り出されたレナは雲の下へと消えていく。戦況を見守っていたクライドは、それを見送ることしかできない。そんな彼の背後から、重い物が落ちる音が聞こえた。
少年が振り返った眼前、唇と唇が触れ合いそうなほどの距離に、怪物が立っていた。
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