第11話 怪物
「アグノラ……」
クライドが彼女の名前を口に出すと、異形は低く唸る。
変わり果てた姿となったアグノラの所作は猛獣のそれであったが、どこか記憶に引っかかるところがあるのか、クライドをじっと見つめたまま、すぐに襲いかかってくる様子はなさそうだった。
「く、クライド。アグノラはどうなっているんだ?」
「マルヴィン、おまえは動くな。今のアグノラを刺激するのはまずい」
怪我を負ったマルヴィンが近寄ろうとしてくるのを、クライドは手で制する。アグノラが牙を剥いてマルヴィンを威嚇したこともあり、彼は大人しく引き下がった。
「
「……おい、それって、おまえが改造した蒸機剣が原因ということか? じゃあ、もしかしなくても、おまえのせいなんじゃないか?」
「…………あとで微調整するつもりだったんだよ。それに、まさか、こんな形で
空賊が去ったことにより、甲板に上がってくる船員や乗客がいた。
ほとんどが消火活動や船体の修理に取り掛かっているが、先刻の派手な戦闘のこともあり、クライドたちの様子に気付いて注目する者も少なくない。彼らは異形と化したアグノラの姿を認めると、ギョッとした顔になって自分の銃に手をかけた。
「お、おい、なんだ、あれ?」
「ドール? ……い、いや、違う。化け物だ!」
彼らは手慣れた様子で銃口をアグノラたちへと向ける。日常的に空賊と接しており、荒事に慣れているからこその動作だったが、今回はそれが災いした。銃口を向けられたアグノラは、過敏に反応して左足の撃鉄を上げる。
「AGRRRRRRRRRRRRRAAAAAAAAA!!」
天高く人外の叫びを上げたアグノラに、銃口を向けていた幾名かが驚いて引き金を引く。銃弾はアグノラの身体に当たるが、すぐに再生する彼女には意味がない。
「やめろ、撃つな!」
クライドの制止も虚しく、アグノラの再生力を見た男たちの銃火はより激しくなる。それに呼応するように高らかに吠えたアグノラは、レナから奪った蒸機細剣の引き金を引いた。排出された蒸気と共に変形した刃が、男の心臓を刺し貫く。
――咄嗟に両者の間に入ったクライドの心臓を。
「あ……」
少年の身体を貫いた刃の切っ先から、黒い液体が滴り落ちている。アグノラはそれを、信じられないものを見るかのように、呆然と立ち尽くす。
胸の中央から背中までを貫通した、明らかな致命傷。生体反射的にビクンビクンと痙攣するクライドの身体に、アグノラを狙って放たれた流れ弾が貫き、さらに跳ねる。自身が守ろうとした少年の末路に、アグノラは絶叫を挙げた。
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!」
気が狂ったような声を上げる少女は、少年を抱きしめて銃弾から庇うように身を伏せる。周囲の男たちはお構いなしに銃を撃ち、それらの弾丸が背中に当たるが、彼女の目にもう彼らは映っていなかった。
その目には光が戻っており、ボロボロと涙があふれる。透明な大粒の液体が少年の顔に当たり、弾けた。
金属音を立てて、アグノラの右腕と左足を構築していた機械が崩れ、床に歯車やパイプが転がる。彼女の背中から生えていた黒い翼は、ドロリと溶けるように形を崩した。黒い液体と化したそれは、アグノラの肉体を包んで黒いドレスへと変わる。
後に残ったのは、ところどころ破れたゴシックドレスの少女。その腕の中では、細剣で胸を貫かれた少年がいた。
「わ、私、なんで……」
そこにはもう獣ごとき猛々しい精神を持った怪物はいない。アグノラ本人の心を取り戻した少女は、わけもわからずクライドの死体にしがみつくしかなかった。
怪物だった時の記憶はある。レナに敗北した後、必死に追い縋ろうとするもそれは叶わず、床に這いつくばる自分の
まるで夢の中にいるようというべきか。自分の目で見て、耳で聞いているはずなのに、それを正しく認識できない。ただ誰かを守りたいという思いがあって、そのために誰かを倒さなくてはいけないという意思で行動した。ただ、それが誰だかを理解できなかった。
その結果が、腕の中にある。
「そんな、私は、また――」
また? 私は過去に誰かを失ったのか? 自分で口に出しながら、どうしてそんなことを口走ったのかわからない。ディクシーやハンナは失ったが、彼女たちのことではない気がする。答えが出ないまま、アグノラの胸に空虚が来訪する。
――あぁ、そうだ。私は守らないといけない。
アグノラは、心が再びどす黒いものに侵されていくのを感じる。身を包むゴシックドレスがざわめき、粘菌たちが彼女の身体を組み替えようと動き出す。
より強く、より恐ろしく、より破滅的に。先刻よりももっともっと。この場にいる者たちを皆殺しにできるくらい、この世界にいる者たちをすべて壊してしまえるくらい。そのためなら、どんなにおぞましい姿になっても構わない。
粘菌たちは、彼女の激情に呼応するように、アグノラを内から変えていく。動きを止めたアグノラを見て、彼女を銃で狙っていた男たちは銃撃を止めて顔を見合わせた。
もうクライドを傷つける者も、自分を傷つける者もこの場にはいない。だが、そんなことは関係ない。攻撃する可能性があるなら敵だ。武器を持っているなら敵だ。生きているなら敵だ。守るためには、敵を殺さなくてはならない。その思考が破綻していることにすら気づかず、アグノラは身も心も殺意に染まっていく。
敵を殺すためなら、私は怪物にだってなってやる。
「……ようやく正気に戻ったと思ったのに、何をまたとち狂っているんだ。アグノラ、おまえは冷静そうに見えて、中身は子どもみたいに表情豊かだな」
そっと指が目元をなぞり、涙が拭われた。粘菌のざわめきがピタリと止まり、はっとした表情になったアグノラは、腕の中の少年を見やる。
刃は少年の胸に突き刺さったままだ。だが、クライドは口の端から黒い液体を流しながらも、力強い目でアグノラを見つめ返す。その眼力は、これから死ぬもののそれではない。彼の瞳に見つめられると、胸の中の闇はいつの間にか消えていた。
「く、クライドさま、ご無事なんですか?」
「胸を貫かれているのに、無事なわけがないだろうが。このたわけ! 話しにくいから、とっとと抜け」
少年の言葉に押されて、言われるがままに蒸機細剣を引き抜く。
胸から黒い液体が零れ落ちそうになるが、それらは傷口付近に集まり、負傷個所を修復していく。その様子を、アグノラはよく知っていた。
「あなたは、まさか……」
「あぁ、想像の通り――」
少年は口から零れていた黒い液体を拭い、自嘲気味に笑った。
「僕も、おまえと同じドールだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます