第12話 未練

 ――夢を見た。

 懐かしい記憶。奪われた思い出。白衣の男たちが緊張した面持ちで施術台を取り囲み、私は彼らの後ろで蒸機剣を携えて控えていた。


「被検体517号のドール化実験開始。肉体の接合状態良好。腐敗部位なし。病気部位なし。損傷部位なし。時計クロック稼働状態問題なし。……粘菌ギア注入開始」


 施術台で横になっているのは、私と大差ない年齢の少女。全身のいたるところに手術痕があり、肺も心臓もぴくりとも動かない。

 白衣の男の一人が、少女の死体に黒い液体を慎重に注入していく。周囲の男たちは、それを緊張感ある面持ちで眺めながら、いくつもの計器の変化に注意を払う。


粘菌ギアの定着を確認。ドールが起動します!」


 計器を見つめていた一人が声を上げる。歯車が複雑に組み合わさって構築されたそれを見ても、私にはまったく理解できない。ただ、新たな姉妹・・の様子を見つめる。

 ぱちりと目が開いて、施術台に横たえられていた死体が身を起こす。それを見た研究者たちは歓声を上げたり、互いに握手をしたりと実験の結果を喜び合い始めた。だが、起き上がった『彼女』を一目見て、私だけは悲しい気持ちになった。

 ――この子はダメだって、すぐにわかったから。


「粘菌が剥離を開始! 肉体の崩壊が開始しています!」

「っ!? すぐに抑制剤を打て!」


 不意に白衣の男たちが騒がしくなる中、施術台で横になっていた少女の目玉がぽろりと落ちる。眼窩から黒い液体が流れ、涙のように少女の頬を濡らす。


「あああああああううううううううううううううううぅぅ」


 呻き声を上げながら、救いを求めるように手を伸ばす少女。つぎはぎの肉体の縫い目からは、黒い粘菌が溢れてきている。少女の崩壊を食い止めようと、周囲の研究者たちが奮闘するが、どれも効果が薄く、縫い目からどんどん身体がバラバラになっていく。


「何故だ! やり方は間違っていないはずだ! すべて、ロドニーと同じ方法を取っているというのに、なぜ私たちではドールを作り出すことができないんだ!?」


 主任の博士が忌々しげに叫ぶも、答えられる者はこの場にいない。私もその内の一人だし、研究者たちも私に尋ねようとはしなかった。ここでの私の役割は別にあるからだ。


「……やむをえん。アグノラ、処理しろ」


 主任博士の命令で、アグノラは蒸機剣を抜く。

 本当は殺したくなかった。助けてあげて欲しいと叫びたかった。だけど、アグノラにはそれができない。彼女たちドールの時計クロックには、研究者階級ウィングの命令に逆らってはいけないとプログラムされているからだ。

 ドールは、この汚染された世界を生き抜くために作られた新人類――そんなふうに思っている者はいない。時計のうをいじられ、不死鳥騎士団フェニックスに逆らえないように条件付けされている私たちに、自由なんてものはない。

 私たちはただの操り人形ドール。命じられるがままに敵を殺し、味方を殺し、姉妹を殺す。不死鳥騎士団フェニックスの下で戦う不死身の兵士。

 施術台の上の少女が、残った目でアグノラを見つめてくる。何か声を出そうとしているが、口内は黒い液体で満たされており、声になることはない。

 これがこの時の私の役割だった。実験で廃棄処理扱いとなったドールを解体し、時計を無傷で回収すること。これまでに、私は数え切れないほどの姉妹を処刑してきた。

 研究者たちが自らの手で行わないのは、廃棄品のドールが暴れたら危ないから。また、人の形をしている物を破壊するのは、精神に負担がかかる作業だからだ。

 ゆえに、肉体的にも精神的にも強靭なドールこそが適任だった。万が一精神崩壊に至ったとしても、時計クロックを少しいじれば、ドールはその記憶を失うからだ。

 私は記憶を消されるのが怖かった。記憶を消されるということは、その時間の自分が死ぬのと同義だと考えていたからだ。だから、私は極力何でもないふりをして、淡々と作業をこなした。思えば、無表情でいる癖がついたのはこの頃からだった。

 不満を言わず姉妹を殺す私を、研究者たちは重宝してくれた。彼らが喜んでいる間は、自分の記憶が消されることはない。そんな自分勝手な理由で姉妹を殺す自分に吐き気を催しながらも、決して顔には出さないように努めた。

 ――私は最低だ。このまま、本当に心が壊れてしまえばいいのに。


◆◆◆


「やぁ、アグノラ。また来てくれたのかい?」


 私が拘束室に入ると、ベッドに座っていた男が鼻歌を止めて振り返る。

 ロドニー・フィッシュバーン博士。ドールの製作方法を確立させた人物であり、すべてのドールたちの父。不死鳥騎士団フェニックスブライトン支部ブルーウィングの宝と言える人だったが、ある理由により閉じ込められている。

 私は日に5分だけ面会することが許されていて、できる限り、毎日彼に会いにきている。

 私だけではない。ディクシーやレナ――ブライトン支部に駐留しているドールや、訪れる機会のあるドールはみな、可能な限り会いに行く。

 彼は、すべてのドールの父であり、すべてのドールに愛される人だから。

 私はお義父さまの顔を見るなり、無言でその胸に飛び込んだ。彼は少し驚いた顔になったが、苦笑いを浮かべながら私の頭を撫でてくれる。


「今日はまた、随分と甘えん坊だね」

 彼が私に触れてくれるたび、荒んだ心が晴れていくようだった。

「……今日、また生まれたばかりの姉妹を殺しました」

「あぁ、それは辛かったね。まったく、彼らも酷なことをする」

「なぜ、あの子たちは生まれたばかりなのに死んでしまうのでしょう? お義父さまが作った姉妹は、死んだりしないのに」

「未練が、足りないんだろうね」


 ここでの会話は記録されているだろうが、義父はあっさりと答える。彼からすれば、それは隠すほどのものではない些事のようだ。


「ドールの構造は簡単だ。肉体・粘菌・時計、この三つがあればいい。粘菌が血液のように肉体に行き渡って死体を操作し、時計は粘菌がきちんと活動できるように管理するための頭脳に値する。彼らもそれは理解しているだろう」


 抱きついたまま、こくりと頷く。私は科学的なことはよくわからないが、研究者階級に属する人たちがそれを理解できないはずがない。実際、今日の実験だって途中まではうまくいっていたはずなのだ。

 だが、お義父さま以外の研究者たちが何百回とドールの製作を試みようとも、それが成功したことは一度もない。処刑役の私は、それを見てきたのだから間違いない。


時計クロックは粘菌を操る制御装置の役割を持っているが、同時に君たちの心を司る機関でもある。つまるところ……彼らが作るドールは生きたいと思わなかったのさ」

「それは……自殺、ということですか?」

「近いけど、少し違う。『死にたい』という感情と、『生きたくない』という感情は似て非なるものだ。前者は実行に勇気とエネルギーが必要だが、後者にそんなものは必要ない。ちょっと鬱になって、物事に無気力になれば誰もが抱く感情だ。……だが、それはドールにとっては致命傷になる。君たちがそういう精神状態になった場合、時計は即座に機能を停止する。ドールが生きるためには、常に『生きたい』と思い続ける意思が必要なんだ」


 無気力――ならば、大勢の姉妹を殺し、次第に心が削れていっている自分はどうなるのだろう? 彼女たちの死を悲しむことができなくなったら、私は死ぬのだろうか?

 そんな未来を思い浮かべて、私は怖くなって抱きつく腕の力を強める。

 私の心情を察したのか、お義父さまは私を安心させるように撫でてくれた。


「アグノラは大丈夫だよ。人間とドールにおける精神面の大きな違いはそこだろうね。ドールは、表向きはどうあれ、内面では常に激情が渦巻いている。人間の場合、ずっとその状態だと疲れてしまうけど、疲れ知らずの肉体と精神がそれを可能にする。例えて言うなら、冷めることのない恋情を抱き続けるようなものさ」


 その言葉で、ほっと安心する。

 それならきっと大丈夫。私は心の底からお義父さまを愛している。彼がいてくれる限り、この思いが廃れることはないと確信している。彼の愛が私に向いていなくても構わない。彼がこの世にいてくれるだけで、私は生き続けることができる。

 そんなふうに義父のぬくもりを堪能していると、面会室の扉が叩かれた。どうやら、面会時間が来てしまったようだ。名残惜しい思いを振り切り、義父から離れる。ここでわがままを言って、記憶消去処理をされてはたまらない。

 何度も振り返りながら面会室を出ていくアグノラに笑顔で手を振りながら、ロドニーは表情の下で暗い思いを抱く。


「(……だから、私は君たちの時計に『未練』を設定した。ずっと生きたいと思い続けられるように、無条件で私に依存してしまうという強い『未練』を)」


 彼女たちがその不自然な感情に気づくことはないだろう。

 不死鳥騎士団の呪縛とは異なり、その感情は誘導であっても強制ではない。そのため、ロドニーに対して抱いた愛情は、自分たちの意志によるものだと勘違いしている。


「(ここの連中が失敗続きなのは、ドールに絶対服従を求めているからだ。だが、そんな奴隷のような関係性で『生きたい』という感情を抱かせ続けることはできない。彼女たちとは常に対等で、こちらからも彼女たちへの思いに答えてやらなければいけないのに)」


 しかし、不死鳥騎士団にそれはできないだろう。ドールと対等であるということは、彼女たちに自由意思を残すということ。もし、彼女たちの意に沿わないことを強要すれば、反逆することだって十分にありうる。

 それは、調教が完璧だからと言って、ライオンを放し飼いにするようなものだ。ロドニーのような酔狂人でもない限り、受け入れられない選択肢だろう。


「(もっとも、そういう考えができたとしても、そんな繊細な感情を時計にプログラムするのは難しい。心と技術、両方を備え持つ人間が簡単に現れるとは思わないけどね)」


 現れたら現れたで、それも一興。拘束室の天井を眺めながら、ロドニーは鼻歌を再開した。それが人生さC'est la vieそれが人生さC'est la vie

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