第13話 成長

 ガチリと歯車が噛み合い、時計が時を告げるような大きな金音が聞こえた気がした。

 だが実際は、飛空艇の蒸気駆動音が奏でられているだけだ。それでも、アグノラはカッと目を見開き、反射的に跳ね起きた。

 隣のベッドではマルヴィンが横になっている。ただの人間に過ぎない彼の負傷は重く、頬はこけて顔は青ざめ、死人のように落ち窪んだ目でこちらを見つめる。


「三時間ほどだ……。おまえが気を失ってから目を覚ますまでの時間だよ」


 壁にかかっている時計に目をやり、マルヴィンが力のない声で告げる。

 その部屋には見覚えがあった。アグノラたちが乗った飛空艇の三等客室――彼女たちの部屋だ。しかし、自分がいつどうやってここに運び込まれたのかが、どうしても思い出せない。レナと戦い、クライドの正体がドールであることを知ったのは覚えているが……。


「マルヴィン、怪我の具合は大丈夫ですか?」

「この船には医者はいないが、クライドが治療してくれたよ。応急処置は終わっているが、ロンドン支部に着いたらきちんと治療を受けろだとさ」

「貴方は十分働いてくれました。ゆっくり休んでください。……それで、クライドさまはどこにいらっしゃるのです? それに、もうとっくにロンドンに着いていてもおかしくない時間ですが、どうなっているのですか?」

「……損傷がひどくて、推進装置の修理に時間がかかっているそうだ。クライドは、少し前に外の空気を吸いに行くといって出ていった」


 それを聞いた途端、アグノラはベッドから飛び降りて、出口に走る。手足はもう再生しており、粘菌ギアがその表面を覆って衣服と化している。ベッドから降りるとき、横に立てかけられている蒸機剣を手に取ろうか、少し迷ったが置いていくことにした。

 廊下に出たアグノラははたと思い出して、室内に顔だけ戻した。


「マルヴィン」

「ん? なんだ?」

「ありがとう」


 それだけ伝えて、彼女は廊下を走り去っていく。

 マルヴィンは意表を突かれた顔になったが、やつれた顔を少し赤くして鼻を鳴らすと、疲れた身体をベッドに沈め、目を閉じた。


◆◆◆


 もう夜明け近い時間帯だが、未だ太陽は顔を出さず、空には星が輝いている。

 船夫たちが船を修理する甲高い金属音を背景に、クライドは鉄錆だらけの船首で、船縁に腰を下ろしてぼんやりと外を眺めていた。だが、ヒールが床を打ち鳴らす音を聞き、誰が来たのかを振り返らずとも察した。


「おまえを放って消えるつもりなら、とっくの昔に消えている。もう少し安静にしていたらどうだ?」

「いえ、おかげさまで身体は完治しています。……私に一体何があったのでしょう?」


 夜明け前の風が、少年の傍に立つアグノラの髪をたなびかせた。クライドは船縁に腰掛けたまま、振り返りも答える。


「端的に言えば、粘菌の暴走だ。蒸機剣が原因で、時計が正常に動かなくなったんだ。時計のおかげで粘菌は召使いのように従順に動いてくれているが、時計に少しでも不調があれば制御を外れる。暴走した粘菌はおまえの肉体を好き勝手に改造し、時計の構造も変えて精神を侵した。だから、おまえは正気を失ったわけだが……運が良かったな」

「運が良かった、とは?」


 振り向いたクライドは、アグノラの赤く燃えるような瞳を見つめ返す。


「運が悪ければ、暴走した粘菌は、おまえの身体を原形も残さずドロドロに溶かしていた」

「っ!?」


 アグノラは無意識に自分の脇腹――時計クロックのある位置に手をやる。

 手足がもげ、頭を破壊されてもドールは死なない。だが、時計を破壊されればあっさりと死ぬ。わかりきっていたことだが、その一歩手前まで行ったことに背筋が冷たくなる。


「……ですが、私が最初に蒸機剣を使った時、不発に終わりました。あれが原因で時計が正常稼働しなくなったというのは考えにくいのですが……」

「あの蒸機剣はまだ調整途中で、時計クロックと蒸機剣を接続する機構を取り付ければ完成だった。今のままだとただのガラクタだ。原因はおまえの方にある」

「私、ですか?」


 脇腹に当てられたアグノラの手の上から、クライドは自分の手を重ねる。重ねられた手を通して、命を刻む音Tick Tackが伝わってくる。


時計クロックは粘菌を操るためだけにあるのではなく、ドールの記憶や感情……魂そのものを司る機械だ。逆に言えば、

「成長? 時計の構造が変わるということですか? でも、どうやって……」

。もちろん、粘菌操作のための基本構造は変わらないが、性格や記憶などのその他機能を司る部位に関しては感情の影響を受けやすい。自己学習による自己成長……ロドニー博士親父殿が考えた機構だ」


 ロドニーが残してくれたものと知って、命を刻む音が特別なものに聞こえてくる。

 思い出されるのは先刻の夢。義父として慕っていた時の記憶。博士が亡くなった今であっても、彼を想う気持ちは変わらず、胸が痛く感じる。

 そして、クライドを見ていると、不思議とそれと似た感情が胸に湧き上がってきた。表情を表に出すことが苦手な彼女が、彼にそれを悟らせることはなかったが。


「自己成長の機能がついていなければ、日々の記憶を積み重ねることなどできないし、性格も統一されていなければおかしいだろう? だが、ドールはそれぞれ記憶も性格も大きく異なる。それぞれの時計クロックが異なる成長を遂げている証拠だ」

「では、私が蒸機剣を身体に取り込んだのも、時計の成長によるものだと?」

「推測だが、戦闘不能になって精神が不安定になった際、破損部位の修復と戦闘能力の向上が必要だと潜在的に感じたんだろう。それに応じて時計が組み替わり、あんな形で成長を遂げた。……あれを成長と呼ぶには些か語弊があるがな」


 二人の脳内に、甲板で暴れ回った怪物アグノラの姿が思い浮かぶ。

 高い戦闘力を有していたのは間違いないが、アグノラとしての意識はほとんどなく、危うくクライドを殺しかけた。いや、クライドがドールでなければ、間違いなく致命傷だった。そのことを思い出して、アグノラはぞっとする。


「『成長』と言ったが、時計の急激な変化は必ずしもいい効果が出るとは限らない。肉体や記憶に影響があるのはもちろんのこと、今回のように粘菌の制御機構まで組み替えてしまった場合、最悪死に至る。肝に銘じておけ」

 肝に銘じたところでどうにかなる問題でもないと思うが、アグノラは頷く。そういうことも起きうるとわかっていれば、役に立つこともあるかもしれない。


「……記憶への影響と言えば、先刻、お義父さまの――ロドニー博士との記憶を少しだけ思い出しました」

「……そうか。不死鳥騎士団フェニックスの記憶処理もザルだな。時計の構造が変わったことで、封印されていた記憶が掘り起こされたんだろう」

「記憶の中で、私はお義父さまに甘えていました。私はロドニー博士のことを覚えているつもりでしたが、あんな思い出は記憶にありません。きっと、私が気付いていないだけで、忘れてしまっている記憶もたくさんあると思います」

「だろうな。不死鳥騎士団フェニックスもそこまでバカじゃない。連中にとって、親父殿とドールの記憶は禁忌だ。少しでも残っているおまえが珍しいんだよ」


 きっとクライドの言う通りだ。多少思い出した今なら、欠けている記憶があると自覚できるが、今の今までそこまで大きく疑問に思ったことはなかった。

 不死鳥騎士団フェニックスの記憶処理は、クライドが言うほど杜撰なものではない。仮に多少の記憶が蘇ったとしても、違和感を抱かせない作りになっているのだろう。


「私はお義父さまのことが大好きでした。……いいえ、今でも大好きです。あの人の為なら、命を投げ出してもいいほどに。ですが、そんな大切なことすら忘れていました」

「…………」


 クライドは黙って聞いていたが、どこか苦い表情に変わっている。

 何が彼の琴線に触れたのかはわからないが、どうにも機嫌を悪くさせてしまったようだ。そのことに気付いたアグノラは、焦りのような感情を抱く。


 ――彼に嫌われたくない。


「だけど、思い出したおかげで、一つ気付いたことがあるんです。私がお義父さまに抱いていたこの気持ち……最近どこかで感じたものだなって」


 アグノラは一度言葉を切り、おずおずとした目をクライドに向ける。彼は無表情で怒っているようにも見え、アグノラは親に叱られている子どものように縮こまってしまう。


「……続けろ」


 このまま消えてしまいたい気分のアグノラだったが、クライドに促されて話を続けなければいけなくなった。拒否するという選択肢を、彼女は思いつきもしない。


「クライドさま、あなたに抱いている気持ちと同じなんです。お義父さまとあなたは口調も外見も違うのに、まるでお義父さまと話しているみたい」


 それは親愛や恋心とは違う感情。それらよりもっと深い、依存とも言える想い。アグノラとしては自然に湧き上がった気持ちであり、ずっと疑問を抱くことはなかった。


「冷静に、客観的に思い返せば、私は最初から変でした。初対面の時からあなたに愛情に近い敬意を抱いていましたし、あなたと話すとき、自然と様づけで呼んでいました。ロドニー博士の御子息だと思っていたとしても、不自然な対応だったと思います」


 きっと、義父とのやりとりを思い出さなければ、最後まで疑問にすら思わなかっただろう。それはまるで、時計にそうあれかしと刻まれているかのようだ。


「あなたがドールだとわかっても、この感情は変わりません。いえ、お義父さまへの想いを思い出した今は、以前より気持ちが強くなっていると感じています」


 そこでアグノラは一度言葉を止め、自分の中で生まれた推論を口にするか迷った。

 何の疑問も抱くことなく、不死鳥騎士団フェニックスの指示通りにクライドを守っていれば、すべては丸く収まる。そんな誘惑が胸の中を渦巻いたが、アグノラは決心したように口を引き結ぶと、クライドに問いかける。


「クライドさま、もしかしてあなたは……ロドニー博士なのではありませんか?」

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