第16話 ロンドン

「不死鳥騎士団ブライトン支部ディクシー小隊のアグノラ。護送対象の引き渡しを完了し、任務の終了をここに宣言します」

「不死鳥騎士団ロンドン支部ラスティ小隊のラスティ。護送対象の引き受けとディクシー小隊任務終了をここに承認する。……アグノラ、一人でよくがんばった」


 不死鳥騎士団専用発着場にて、二体のドールが形式上のやり取りを交わす。

 ラスティと名乗った軍服風ゴシックドレスを纏った少女は、機械化された腕でピシリと見本のような敬礼をする。彼女が目線で指示を出すと、背後に控えていた二体のドールがクライドの両脇に立ち、護送車両へと連れて行く。

 アグノラの元から離れる際、クライドは彼女に軽く声をかけた。


「じゃあな、アグノラ」

「……はい、またどこかで」


 別れの挨拶は短いものだった。だが、それが普通なのだろう。本来なら、顔を合わせることすらなく終わるはずの任務だった。ズキリと胸が痛む想いを抱きながらも、アグノラはそれ以上何も言わずにクライドを見送る。


「アーちゃん、おっつかれ~。任務明け記念に、紅茶パーティー楽しみましょう」

「おまえも護衛役だ、バカモノ。毎回毎回好き勝手に動くんじゃない」


 ぴょんぴょん跳ねながらアグノラの元にやってきたピクシーの襟首を掴み、ラスティは見た目通りの厳格な様子で彼女を引き摺って行く。

 あ~れ~と間の抜けた声を上げながら、ジタバタと無駄な抵抗をするピクシーを見て、駄々をこねる子ども……いや、連行される宇宙人のようだとアグノラは思った。

 車に乗り込む前に、ラスティは振り返ると、アグノラの方をまっすぐ見返す。


「……ディクシーたちの件は残念だった。事後処理はこちらですべてやっておくから、アグノラは医務室でメンテナンスを受けた後、しばらく休むといい」

「お気遣いありがとうございます、ラスティ。……クライドさまはどちらに収監されるかうかがってもよろしいですか?」

「最重要収監区画だ。収監後はレベル4以上の職員しか接触できなくなる。彼と会話を交わしたおまえとマルヴィンは、後で会話内容を詳しく尋問されるだろう。覚悟しておけ」

「……わかりました」


 戦争の道具であるドールたちの職員レベルは1。つまり、どうあがいたところで、面会の機会は与えられないということになる。


「少しでいいなら、この場で最後の対話の機会を与えるが?」


 クライドとアグノラの関係など知らないだろうに、ラスティはそんなことを言ってきた。アグノラはほんの少しだけ迷ったが、かぶりを振る。ラスティは、そうか、と短く言い、それ以上は何も聞かずに車に乗り込んだ。

 護送車両が見えなくなるまで、少女は見送り続けた。後ろからクラクションを鳴らされ、ようやくその場を離れ、護送車両とは別に用意された車道列車に乗り込む。

 ロンドン大病院に向かう医療用車両だ。負傷したマルヴィンが担ぎ込まれており、運転手がアグノラの搭乗を待っているのが見えた。


「別れのキスくらいしてやればいいのに」

「……私とクライドさまはそんな関係ではありません」


 車両内に備え付けてある寝台から、マルヴィンが頭を上げて茶化してくる。その横では女性の医務官が点滴や血液検査などを行っていた。いつものアグノラなら小突いてやるところだが、怪我人相手に殴るわけにもいかない。

 実際、マルヴィンの怪我は口ほど軽くないだろう。発進と共に車両が揺れると、傷に響いたのか、マルヴィンは顔を歪めて小さくうめき声を上げる。


「女の子をからかうから、バチが当たったのよ」

「いててて。痛みを止めてくれるようなおまじないとかないのか、女医さん」

「はい、痛み止めとお水をどうぞ。三錠以上飲むと死ぬような強力なやつなので、自己責任でお願いね」

「……ひでえや」


 女性医務官に渡された薬瓶を開け、マルヴィンは一錠手に取って飲み込む。シティに入って緊張が解けたのか、いつもより口調が軽いとアグノラは感じた。むしろ、こちらが本来の彼なのかもしれない。

 給水機の水をマルヴィンに手渡しながら、女性医務官はにっこりとアグノラに微笑む。


「この人、見た目ほど傷は深くないから、安心してね。変なこと言われたりしたら、軽く叩くくらいは全然問題ないわよ」

「……はぁ」


 医師として、その台詞はどうなのだろうと思ったが、アグノラは少し悩んだ末、マルヴィンに一発だけデコピンする。

 ドールの怪力によるデコピンは、彼の脳を盛大に揺らし、マルヴィンは白目を剥いてがっくりと気絶した。医務官が慌てて診察するのを尻目に、少しだけ胸がすっとしたアグノラは、車両の外の景色へと目を向ける。

 歯車と配管でできた摩天楼群。建物同士が鉄管や鋼線で繋がれており、そこかしこから蒸気機関が生み出す白煙が上がっている。道と言う道に線路が蜘蛛の巣のように張り巡らされており、巨大な団子虫のような路線電車が無数に走っている。

 鋼線の上を掴線靴で滑るように移動する配達員たち。工業用機甲鎧を身に纏い、何百キロもの荷物を運ぶ労働者たち。機械人形たちを使った曲芸を披露し、観衆から駄賃を集める興業師たち。あらゆる物が機械化され、人々の暮らしに密接に関わっている。

 機械都市ロンドン。不死鳥騎士団十二支部の中でも、機械工学の分野がもっとも秀でている研究施設グレーウィングが存在する街。その技術は都市に還元され、イギリスで工業的にもっとも発展した街であるとされる。

 この街を訪れた人は言う。ロンドンは街ではなく、一個の巨大な時計であると。外壁はフレーム、建物はゼンマイ、人々は歯車。統括するのは、ビック・ベンの地下深くに設定されている巨大階差機関【ブレイン】。ブレインによって完全完璧に管理されているこの街には、飢えも失業者もなく、人類の理想郷だと不死鳥は謳う。

 線路の上ならぬ、時計針の上に乗った人生。それがこの街に住む者たちが、当たり前のように受け入れている生き方。そして、それは自分もその一部だとアグノラは考える。

 不死鳥騎士団のドールとして生まれ、彼らに逆らうことはできないと教えられ、言われるがまま流されるがままに過ごしてきた。辛い時は心を閉ざし、何も考えない、文字通りの人形ドールとなることで耐えた。耐えることこそが、解決に繋がると思って。

 だが、それを考えた末の行動と胸を張って言えるだろうか?義父と同じ雰囲気を持った少年の言葉が思い起こされる。


『おまえのチームで親父殿の遺志を継いでいるのはレナだけだ』

『もう知らない仲じゃないから、少しヒントをやったが、後は自分で考えろ』


 彼はそんな自分に自らの意思で考えろと言った。

 だが、アグノラにとって、それはとても難しいことだ。周囲の願いを優先し、自分の願いを押し殺してきたからこそ、自分一人の意思で物事を考えるということに慣れていない。自分の望みと言うのが、何なのかがわからない。

 自己中心的なレナとは真逆の、自己犠牲的な思考。ある意味、両者がよく対立したのは当然と言える。無意識的に定着しているその考えを引き剥がすのは容易ではない。

 レナと同じように不死鳥騎士団から離反すれば、義父の遺志を継いだことになるのだろうか? 否、それは義父の遺志を追想しただけで、自らの意思ではない。

 では、これまでと同じように不死鳥騎士団で戦い続ければいいのだろうか? 否、それでは今までのように、何も考えずに過ごすのと同じではないか。


「……わかりません。クライドさま、私はどうすればいいのですか? 教えてください」


 窓の外を眺めながら、ぽつりと呟く。誰かに対して問いかけたわけではなかったが、狭い車内だったこともあり、マルヴィンと医務官は耳聡く聞きつけた。


「えっと、クライドさんって、さっき別の車で連れて行かれた囚人さん……よね?」


 不思議そうに問いかけてくる医務官に、アグノラは口をつぐむ。

 普通に考えれば、囚人とドールが親しくしていることはおかしいことだ。だが、クライドと自分の関係性は複雑であり、上手く説明できる自信もない。


「トラブル続きの道中だったからな。一緒に死線を潜れば、嫌でも親しみが湧くさ。話してみると、案外面白い奴だったし、俺もアグノラもあいつに何度も救われた」

「はぁ、そうなの。重罪人って聞いてたんだけどなぁ……」

「……クライドさまのこと、何かご存じなんですか?」


 女医の言葉に少し興味が湧く。あまりにも親密になっていたから忘れていたが、クライドは罪人なのだ。だが、具体的にどのような罪を犯したのか、アグノラは知らなかった。任務上、あえて知る必要もなかったからだ。

 考えてみれば、女性で医務官をやっているほどの人物なら、研究者階級ウィングに属する上級市民のはずだ。アグノラやマルヴィンには知らされていないような情報を持っていてもおかしくはない。

 女医は少し迷うように視線を彷徨わせる。やはり緘口令が布かれているような内容なのだろうか? それならば無理に聞きだすことはできないが、彼女の様子はそれとは少し違うように感じた。

 ややあって、女医は躊躇いがちに口を開く。


「えっと、アグノラさんはクライドさんとは親しいの?」

「……いえ、数日前に会ったばかりです。マルヴィンの言った通り、任務上で会話を交わした程度の仲です」

「そう。じゃあ、正直に話してしまうけど――」


 まだ迷いはあるようだが、話さない方が不誠実に当たると判断したようだ。意を決したように、覚悟を決めた顔で女医は言った。


「詳細は私も知らないけど、彼が犯したのは殺人罪すら上回る特級犯罪。……彼は処刑されるために、ロンドンに送られてきたのよ」


 その言葉に、アグノラは目の前が真っ暗になりそうになった。

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