第17話 頭脳

 赤黒くくすんだ廊下を、クライドを載せた車椅子がゆっくりと進む。

 クライドは白い拘束衣を着せられた状態で車椅子に縛り付けられている。拘束衣は、ドールの腕力でも引きちぎれない頑丈なものだ。彼は指一本満足に動かせない状態のまま、いくつもの昇降機や防護扉を潜って、地下へ地下へと下って行く。

 第十三収容区画。不死鳥騎士団の中でも限られた者しか入ることのできない、機械都市ロンドンの心臓部。薄暗い廊下を照らすのは僅かなガス灯のみ。壁に張り巡らされた配管を蒸気が走り、歯車の動く音が竜の心臓のように重く響き渡る。

 この区画に生物の気配はなく、誰かと出会うこともなかった。不死鳥騎士団の建物に入った直後は、ものものしい護衛や監視役が大勢ついていたが、下の階層に移るごとにその数は減って行き、今は一人も傍にいない。機械仕掛けの車椅子は自動でクライドを運び、一つの大きな部屋で止まった。

 部屋の中央にあるのは、用途不明の巨大な機械。その周囲には、赤い液体が入った何百という数の透明なカプセルが並んでいる。

 車椅子に拘束されたクライドがそれを見上げると、機械に紫電が走って点滅し、人の声のようなものもがどこからか響き渡った。男か女か老人か子どもか人間か機械か一人か複数か、そのどれでもあってどれでもないような不思議な声だった。


『おまえがクライドか』

「そういうおまえはアレックス・バベッジだ」


 両者の声音は極めて冷静だった。それは問いではなく、ただの確認。行きつけのバーでいつも飲んでいる酒を注文するようなものだ。

 アレックス・バベッジ。不死鳥騎士団ロンドン支部の支部長にして、機械化都市ロンドンを統括する巨大階差機関【ブレイン】そのもの。不死鳥騎士団の重鎮だが、普段はこの第十三収容区画から動かず、その存在を知るものはほとんどいないはずだった。


『私のことがわかるということは、ブライトン支部の手術はうまくいったようだな。ならば、ロドニー・フィッシュバーンと呼称する方が正しいか』

「……アグノラといい、おまえといい、どうしてそう僕と親父殿を同一視するんだか、理解できんな。それが簡単にできるなら、親父殿も苦労はしなかっただろうさ」


 苦々しげに言うクライドに、誤魔化している様子はない。アレックスはその言葉の意味を思案するように黙り込み、階差機関が駆動していくつかの可能性を導き出す。機関の明滅が終わるころには、アレックスはクライドの状況を正しく理解していた。


『なるほど、。それがロドニー博士の生ける屍ドール理論だったな。つまり、ロドニー博士の脳を部品として使っている君は、博士の記憶を受け継いではいるが、人格は別人だというわけか』


 クライドは反論しない。それこそが事実だったからだ。


『ロドニー・フィッシュ―バーン博士は、優秀な学者だった。彼が作り出したドールたちは、不死鳥騎士団に大いなる躍進をもたらした。彼が望むならば、不死鳥騎士団の幹部になることも容易だっただろう』

「幹部? 罪人として収監していたくせにどの口が言う」

『彼がドールの製作に非協力的になったからだ。これが一介の研修者ならば、放逐するだけの話だが、ロドニー博士ほどの人物ともなればそうもいかない』


 さもありなん。そんな人材を手放して、不死鳥騎士団に反感を抱いている組織の手に渡ってしまえば、それは大損害どころの話ではない。その気になれば、ロドニーはドールを百体でも二百体でも作ることができるのだ。


『だから、我々は何度もロドニー博士と交渉した。彼が心を入れ替え、不死鳥騎士団に尽くすと誓ってくれたなら、いつでも受け入れるつもりでいた』

「だが、親父殿は脱走し、ドールたちの記憶をいじってから自殺した」

『左様。彼が死んでしまったことは、極めて遺憾なことだ。しかし、それはそれとして、


 言葉とは裏腹に、故人を悼む感情など見えない。アレックスにとって――不死鳥騎士団にとって、必要なのはロドニーの持つ知識であって、その人格ではない。


「……だから、一か八かドール化することで、脳の修復と保存を試みたわけか」

『然り。そして、奇跡的にその試みはうまくいった。君という存在がその証明であり、知識の継承も成功したようだ。私のことを知っているということはそういうことだろう。クライド、君はロドニー博士の脳の器として運ばれたのだ』


 天井からいくつものアームが降りてきて、クライドを取り囲む。機関の配置が変わったことで、階差機関を取り囲むカプセルの中身が見えた。そこに入っているのは人間の脳。それが赤い液体の中で浮かんでおり、階差機関と配線で繋げられている。

 これこそが、ロンドンを支える階差機関【ブレイン】の正体。その名のとおり、人間の脳を階差機関の演算補助に使用することで、無数の出来事を同時に処理することができる。

 アレックスという名前は、便宜上のものであり、個人を指すものではない。ロンドンを支える公的機関のことであり、ここに存在するすべての脳のことであり、不死鳥騎士団ロンドン支部最高研究者のことなのだ。


「……僕はどうなる?」

『無論、我々の一部になってもらう。クライドというドールは死ぬが、君の優秀な頭脳は今後も不死鳥騎士団を支える一柱となるだろう。それはロドニー・フィッシュバーンという人物の脳が、非常に優秀だと認められた証拠でもある。誇りに思うといい』


 未来永劫、機械の一部となって働き続けることを想像してぞっとなるが、アレックス自身はそれを素晴らしいことだと信じて疑っていないようだ。


「イギリス人らしく紳士的な意見を言わせてもらうとクソだな」

『誰もが最初はそう言うが、取り込まれた後に文句を言う者はいない。口などないのだから当然ではあるがね』


 冗句で言ったのか、真面目に言っているのかわからない内容だ。少なくとも、クライドはまったく笑えなかった。

 天井から伸びたアームがクラウドの頭を掴んで固定し、別のアームに取り付けられた蒸気駆動ノコギリを額に押し付けられる。ゴリゴリと頭蓋骨が削られていく気持ち悪い音を聞きながら、クライドは口を引き結んで耐える。


『おかしい』


 ノコギリの刃が半ばまで刺さったところで、アレックスの演算光が明滅し、何かに気付いたようにノコギリの動きを止めた。


『何故抵抗しない? 何故命乞いをしない? 嘘でも不死鳥騎士団の一員となることを了承し、隙を見て逃げ出す算段を立てるくらいの腹芸はできると見ていたのだが』

「……そんなことしたところで、すぐに見破るだろう」

『無論、そのとおりだが、君が唯唯諾諾と従うのには別の理由があるはずだ。……クライド、レコードはどこにある?』

「レコード? なんのことだ?」


 それはクライドにとってまったく予期していなかった質問だったらしい。少年は眉根を寄せて訝しげな顔になる。


『しらを切っているのか? いいや、違うな。君は自ら時計を調整することができる。つまり、自らの記憶を自由に消すことができる。脳をこじ開けたところで、君自身が忘れていては情報を抽出できない。守るべきものがないから、君は命を捨てられるのだ』


 話をしている間に、クライドを取り囲んでいたアームが天井に引っ込んでいく。


『レコードの在り処を記憶から消している以上、人格から推理していくしかない。君は頭がよく、厄介な男だ。私に脳を摘出させ、君という人格を殺させることで証拠隠滅を謀ろうとしていたな? シティとエンド、両方からレコードを守るためのいい手だ』

「……だとしたら、どうする? 拷問にでもかけるか?」

『まさか。痛みに対して鈍いドールにそんな無駄なことはしない。古来より、推理は聞きこみからと決まっている。君をここまで連れてきた一体と一人に尋問してみるとしよう』


 アグノラとマルヴィンのことをほのめかされ、クライドの表情が初めて曇る。


『今、動揺が見られたな。彼女たちは何かを知っているのか? それとも、彼女たちに情が移って、巻き込むことを恐れているだけか?』

「二人は何も知りはしない」

『それは調べてみるまでわからない。……噂をすれば、件のドールが騒いでいるようだ』

「なに?」


 思わず上を見上げるが、当然そこには天井以外のものは見えない。だが、彼の脳裏に、無表情の下に心を隠した、子どものように純粋でまっすぐな少女の顔が浮かんだ。

 クライドとは異なり、この場にいたまま、ロンドン中の情報を集めることができるアレックスが上層の様子を告げる。


『どうやら、君の処遇について異議申し立てをしているようだ。君は善良であり、不死鳥騎士団にとって益のある人物だから、処刑すべきではないとね』

「……もうちょっと世渡り上手だと思っていたんだがな」


 クライドを取り巻く複雑な状況がなかったとしても、ドールがそんなことを主張したところで、不死鳥騎士団の人間が聞いてくれるわけがない。最悪、反逆的態度取られて、記憶消去処理をされる可能性もある。

 それでも、アグノラならば、その感情を胸の奥に隠して過ごすことができると思っていたが、彼女の性格を読み誤ってしまったらしい。


『ロドニー博士と同じように、ドールに好かれやすいようだな』

「親父殿が残した刷り込みのせいだ。僕は親父殿の死体を元に作られたドールだから、本能的に惹かれているだけだ」


 自分で言って、クライドは吐き気がする気分だった。

 アグノラの推理はほとんど当たっていた。クライドとロドニーは別人だが、肉体は同じだ。彼女がクライドに対して、義父と同じ感情を抱いたのはそのせいだ。だが、それは所詮偽りの感情。彼女の為を思って、あえて拒絶したのに、これでは意味がない。


「(自分のいるべき場所を見つけろとは言ったが、それは違うだろう! おまえが僕を慕う気持ちは、ただの刷り込み。おまえ自身の感情じゃないんだ!)」


 彼女に伝わらないとわかっていながら、クライドは心の中で慟哭せざるを得なかった。


「(僕は、おまえが命を掛けなければいけないほど、価値のある男じゃないんだよ)」

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