第29話 姉妹

「クラ、イド……」


 片腕と上半身のみになったアグノラが、クライドの遺体へと這って行く。

 いかにドールが不死の兵士とはいえ、何もないところから身体を生やすことはできない。バラバラにされた自分の身体を回収すれば早めに回復できるだろうが、彼女は自分の修復よりもクライドの傍に行くことを優先した。

 少女の呼び掛けに、クライドは答えない。

 空しい勝利だ。竜を打倒しても、クライドが生き返るわけではない。やっと自分の想いに気付くことができたと言うのに、現実は非情だ。

 少年の胸に耳を当てる。心臓の鼓動も、時刻む音も聞こえない。張り裂けそうな胸の痛みに、アグノラはぎゅっと目をつむった。

 その時、蒸気と歯車の大きな音が室内を木霊する。激しい戦闘で、部屋は今にも崩落しそうなほどに荒れており、アグノラは最初この空間が崩れ始めたのかと思った。

 急いで脱出しなければいけない。そう思ってクライドの身体を掴み、這って逃げようとしたところで、部屋が大きく形を変えた。歯車と配管でできた壁が変形し、その向こう側から姿を現したのは、巨大な竜を模した階差機関――今しがた破壊したはずの灰鉄の機竜アレックスの威容だった。

 少女は幻でも見ているように、呆然と機竜を見上げる。


「そん、な、なんで……」

『言ったはずだ。私こそがロンドンだと』


 天より睥睨する神のごとき厳かな声で竜が告げる。アレックスは初めて出会った時と変わらぬ姿・声で、倒れ伏す少女に向かって歩を進めた。


『あれは比喩ではない。ロンドンに存在する公的機関はすべて私の身体であり、ここに存在するすべての脳は私の脳だ。先刻の機竜は、私の端末の一つに過ぎない。破壊されたとしても、別の端末を操ればいいだけのこと』


 こともなげに言ってのけるアレックスに、アグノラはぞっとする。

 あれだけの死闘の末に、ようやく一体倒すことができたというのに、それが替えの利く末端に過ぎないと言うのか。


『そして、私の脳はここにある数百の脳だけではない。ロンドンのさまざまな場所に配置してあり、街中を管理している。仮にここにあるすべての脳を破壊したとしても、大きな痛手にはなるが、私を倒すには至らない。私を相手取ると言うことは、文字通りロンドンそのものを相手にするということと同義なのだよ』


 驚きを通り越して、もはや声も出なかった。

 機械都市ロンドンと呼ばれるだけあって、ロンドンは都市の大部分が機械化されており、そのほとんどが公的機関だ。そのすべてがアレックスの身体だと言うのなら、破壊はほぼ不可能と言って過言ではない。

 かと言って、広大なロンドンの敷地内に隠された、いくつあるかもわからない脳をすべて破壊することも現実的ではない。もはや同じ生き物と定義していいかすら怪しい。こんな存在を倒す方法など、アグノラには想像もつかなかった。


『不死鳥の一翼は伊達ではない。私は長きに渡り、優秀な学者たちの脳を収集し続け、ロンドンを守り続けてきた者。ロンドンの歴史をなめるなよ、少女よ』


 甘く見ていたつもりはなかった。ただ、思考の遥か上を行っていた。

 ロンドンの『灰鉄の機竜』、ブライトンの『青壺の悪魔』、カーディフの『紫煙の巨人』――不死鳥騎士団を象徴する十二の翼。それぞれの都市が得意とする技術を極めた末に誕生した化け物だという噂を聞いたことはあるが、実物はそれ以上の怪物だ。


『無駄な抵抗はやめたまえ。私も貴重な戦力であるドールを、これ以上失いたくはない。大人しく従うのなら、君の記憶を消して、また不死鳥騎士団で働けるようにしてやろう』


 機械であるアレックスに感情はないが、彼なりの慈悲だったのだろう。今の状態のアグノラに、抗う術は残されていない。

 決着なら当の昔に着いている。いや、そもそも勝負になんてなっていなかった。戦力の差以前に、クライドの時計が壊れた時点で、この戦いに意味なんてない。命乞いをしたところで、彼女を責められる者はいないだろう。

 だから――


「……お願いします。私はどうなっても構いませんから、彼を助けてあげてください」


 だから、少女は涙を流して、クライドの命を乞うた。自分の命はどうなってもいいから、彼だけは助けてあげてくれと。


「愛しているの」


 それが、自分の魂が導き出した結論。アビゲイルのものでも、自分の素体となった少女のものでもない、アグノラ自身の想い。それだけは、何があっても譲れなかった。


『…………』


 無言になるアレックス。彼が呼吸を必要とする生物であるなら、呆れから溜息を吐いていたことだろう。

 彼に少女の恋心を理解することはできなかった。むしろ、どうしてこちらの提案を受け入れてくれないのか不思議だった。アレックスはそれをただのバグだと判断し、壁から機械の腕を伸ばして、強制的にクライドの脳を摘出する作業に入る。


「私の妹分をあまりいじめないでやってくれ。その子の涙は胸に刺さる」


 凛とした堂々たる声が響き渡る。クライドに迫った機械の腕がピタリと止まり、アグノラとアレックスは声のした方向に目を向ける。

 カツンカツンとヒールが床を打つ音が通路から聞こえ、暗がりからツインテールの少女が姿を現す。ブレザースタイルのゴシックドレス。身長はアグノラよりも低く、小柄な部類だが、その眼力は自信に満ち溢れており、実際より身体が大きく見えた。


「だ、だれ?」

『何者だ?』


 明らかなドールの出で立ち。しかし、彼女は自分のことを知っているふうであるのに、アグノラは彼女に見覚えがない。ロドニーに作られたドールなら、初期訓練時にほとんどと顔合わせをしているはずだが、とんと思いつかない。

 アレックスもまた同じ困惑を味わっている。彼のデータベースには、過去不死鳥騎士団に所属したことのある全ドールのデータが入っているはずだが、眼前のドールに関する記録がヒットしない。不死鳥騎士団を脱退して、『闇に蠢く者どもナイアーラトテップ』に移ったとしても、データ自体は存在するはずなのにそれがないのだ。

 正体不明の存在の登場に、アグノラとアレックスは固まっている。少女はそんな二人のことなど気にも留めない様子で、堂々と自宅に踏み込むように気負いなく歩を進める。


「裏方で終わるつもりだったから、表舞台に出る気はなかったのだがな。もう知らぬ仲ではないし、生前の約定とはいえ、違えるのは道義にもとる。なに、突然の事態とはいえ、アドリブも完璧にこなしてこそ最高の役者と言えよう。拍手喝采で迎えてよいぞ」

『おまえの言葉は抽象的すぎて意味がわからぬ』


 己より遥かに大きな巨竜を前に、少女はまるで物怖じせずに胸を張る。その自信ごと飲み込むがごとく、アレックスは大きく口を開いた。


『望み通り、喝采を受けて退場するがいい』


 放たれた白い閃光が少女を包みこむ。超高熱タングステンの濁流は、生命体を一瞬で蒸発させ、金属の壁に穴を空けた。溶解した床が沸騰し、蒸気を上げている。

 あまりに呆気ない終わりだったが、アレックスは特に感慨もなく、アグノラたちの方へと目線を戻す。しかし、そこに床に膝をついて、アグノラとクライドを抱える少女の姿を見つけ、混乱したように階差機関を過剰回転させる。

 正体不明のドールは、アレックスのことなど存在しないかのように、気遣わしげにアグノラの身体を調べている。彼女はややあって、ほっとしたような表情になると、アグノラのそっと頭を撫でた。


「うむ、大事なさそうだな。あとは私に任せ、少し眠るといい」

「眠るって……あの、あなたは?」


 時計に異常でも起きない限り、ドールが眠りにつくということはない。そんなこともわからないような相手には見えなかったので、アグノラは素直な疑問をぶつけた。

 まるで心当たりがないといった様子のアグノラに、少女は少し寂しそうな顔になるが、すぐにその表情を消して不敵な表情に戻ると、アグノラの脇腹を指先でトンとついた。


「大丈夫だ。この先何があったとしても、アグノラには私がついている。おまえは安心して、自分の空に飛び立って幸せを掴め」


 どこかで聞いたことがあるような気がする言葉だった。それを思い出そうとする前に、アグノラの目蓋が急激に重くなっていく。

 ドールとなって初めて経験する『眠気』という感覚。彼女にとっては新鮮すぎる体験であったため、抗うことすらできずにアグノラは眠りに落ちていく。


「待って、私、あなたのこと、知って――」


 言葉の途中で、襲いくる眠気に負け、アグノラは意識を闇に溶かす。少女はアグノラとクライドを並べるようにしてそっと横たえ、改めてアレックスに向き合う。

 闘志を漲らせ、逃がす気はないといった様子の機竜を見て、少女は溜息を吐く。


「羽根の広げ方すら忘れていた天使が、ようやく飛び方を思い出し、空へと昇ろうとしているというのに、それを邪魔しようというのは無粋なことだとは思わないか?」

『理解できぬ考えだ。ロドニーの頭脳は、一人の人間の幸福の為ではなく、大勢の人間の幸福の為に使われるべきだ。それの何が間違っている?』

「平行線だな。そうやって効率ばかり求めるから、不死鳥騎士団は好かんのだ」


 アレックスは身体を組み替えて、全身の武装を臨戦態勢に移行する。自分の把握していない未知のドールというだけでも十分警戒対象だが、先刻の攻撃で回避されたことを知覚することができなかったことがさらに警戒レベルを上げる。メタルクラブのようなわかりやすい脅威ではないが、眼前の少女は同等かそれ以上に注意すべき存在だと判断した。


『脱走したドールの一人……では、ないな。何者だ?』

「名乗るほどの者ではあるので、あえて名乗ってやろう。メモリをフルに使ってわが名を刻め。不死鳥騎士団の一翼よ」


 強大な存在を前に、それでも色褪せない輝きを振り撒く少女が、傲岸不遜とも言える自信あふれる笑みを浮かべて言い放った。


「私の名はハート。天上天下唯我独尊宇宙最高絶対至高のドール。ご自慢の脳みそを活かして美辞麗句を並べたとしても表現すること叶わぬ、崇高な存在と憶えておくとよいぞ!」

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