第28話 黒い天使
アグノラが蒸機剣の引き金を引き、蒸気弾の白煙が上がる。改造蒸機剣とアグノラの
『っ!? させませんわよっ!』
一度その脅威を味わっているレナの反応は速かった。単分子鋼糸の網を瞬時に構築し、アグノラを切り刻まんと投じる。
不可視にして防御不可能の広範囲攻撃。アグノラを微塵に切り刻むかと思われたその時、再び蒸気弾の爆発音と共にアグノラの姿が掻き消える。蒸気弾の運動エネルギーを機動力に使ったアグノラは宙に逃げ、網の攻撃範囲から一瞬で脱した。
飛空艇で見た時のような、理性の失われた様子は見られない。剣と同化した左足と
『なぜだっ!? なぜ、私の命令が通用しない!?』
感情とは無縁のはずの機竜が、呻きながらもタングステン融解液をアグノラに向けて放射した。
超高熱の白い閃光をかわしながら急降下してきた黒い天使が、アレックスの背に機械化された左足を打ちこむ。同時に上がる蒸気の白煙。運動エネルギーをすべて攻撃に変換した強烈な蹴撃は、機竜の分厚い装甲を打ち破って内部にまで浸透する大衝撃を与える。
巨体の機竜が、自分の指先ほどしかないドールの一撃を受けてよろめく。その威力も脅威的だが、明らかにアレックスの命令を無視していることも驚きだった。通常のドールなら、不死鳥騎士団の重鎮であるアレックスに対して攻撃しようとすると、時計のプログラムに引っかかって、本能的に力をセーブするはずなのだ。
だが、今のアグノラにそんな様子はまるで見られない。無理やり命令に反することで、時計が自壊する様子も見られない。ほんの少し前までは強制命令が通用していたはずだと言うのに、アレックスは狐に化かされた心境だった。
『このタイミングで、裏口に気付くなんて、土壇場すぎるでしょう……』
逆に、レナはアグノラの様子について正しく把握していた。なぜなら、彼女自身、時計のプログラムの穴に気付き、不死鳥騎士団からの離反に成功したドールだからだ。
ロドニー博士が残した、プログラムの裏口。それは時計で粘菌を操ることができるということそのもの。不死鳥騎士団の絶対命令権が時計にプログラムされたことであるなら、粘菌を操って時計の内部構造を変えることでプログラムを変更することができる。
思いつきさえすれば呆気ない理屈だ。ただし、一歩間違えれば自ら時計を破壊することになるので、本来は慎重に時計の内部構造を探ってから行わなければいけない。
それをぶっつけ本番で、自滅するリスクも恐れずにやってのけるなど、ただの自殺行為だ。度胸があるのを通り越してイカれている。
『アグノラさんはそういう思い切ったことができない人だと思っていたのですが、私の思い違いであったようですわね!』
小回りを活かして素早く飛びまわるアグノラに対し、単分子鋼糸を放って切り刻もうとするも、紙一重でかわされてしまう。
戦闘能力で言えば、アグノラよりレナの方が高い。改造蒸機剣によって向上した身体能力は凄まじいが、メタルクラブの肉体を得た今のレナならそれを上回ることができる。
だが、レナの敵はアグノラだけではない。むしろ、一撃でも直撃を受けたら敗北が確定するアレックスの方が、レナからすれば脅威となる相手だ。アグノラもそれを理解しているようで、両者の間に入りこんで同士討ちを狙ってくる。
『ならば、先にアレックスさんを始末させていただきますわ!』
一対一なら、自分がアグノラに負けるはずがない。その自負から、レナは標的をアレックスに絞り込む。
機竜の装甲すら易々と斬り裂くことができる単分子鋼糸の嵐。しかし、自らが狙われていることを察したアレックスのタングステン放射により、それらは薙ぎ払われる。
『それはもう見飽きましたわ! 芸がありませんことよ!』
タングステン放射をかわすと同時に、レナは壁に単分子鋼糸を飛ばし、機動力の補助に使う。人間の姿だった頃、鋼線射出機を使った立体起動を得意としていたレナの得意技だ。振り子の勢いを利用した高速移動でアレックスに肉薄する。
レナはメタルクラブの身体を変化させて大鋏を取り出す。単分子鋼糸のブラフ用だが、もちろん普通に武器として使用することも可能だ。接近戦に持ち込めば、攻撃力の高いタングステン放射は使用できないと判断したのだ。
単分子鋼糸を駆使して、壁へ天井へと立体的なフェイントをかけながら、レナがアレックスへと飛びかかる。だが、アレックスはそれを待ち構えていたかのように身を翻して巨木のような尻尾を振るう。
巨体から薙ぎ払われるように振るわれた尻尾の一撃は、凄まじい威力と攻撃範囲だった。十分な広さを持っていたはずの大部屋が、端から端まで蹂躙され、壁面が歯車と配管を撒き散らしながら破壊されていく。
間一髪、アグノラとレナは宙へと逃れて、それをかわす。アレックスもそれを見越していたのだろう。宙へと飛んだ瞬間、口から熱射を放ってレナを狙う。先により強い方を狙うという戦略を取ったのはアレックスも同じのようだ。
立体起動による回避が間に合わないと判断したレナは、大鋏を盾にしてそれを受け止める。あらゆる金属を融かすほどの高熱が鋏を一瞬で融解させるが、その一瞬で熱線を浴びた鋏を切り離したレナは、放射によってできた隙を使ってアレックスに迫る。
瞬間、爆発したような音ともに、背後から発生した爆風がレナの身体を傾けた。ほぼ同時に、室内を白い霧に包む。
『なっ!?』
「レナ、地下水道です! 灯りを消して!」
霧のどこかから、鋭く放たれるアグノラの声。漁夫の利を狙う以外に勝ち目がない彼女からすれば、簡単にレナに負けてもらっては困る。
元同僚の言葉は、端的に必要な情報をレナに渡してくれた。レナの頭脳なら、それで十分だと判断したのだろう。アグノラの思惑通り、レナは一瞬で状況を理解する。このあたりは少し前まで同じチームに所属していたので阿吽の呼吸だ。
先刻の尻尾による大破壊は、ただの牽制ではない。近くに存在するはずの地下水路への道を造るためのものだったのだ。続くタングステン放射もレナを倒すためのものではなく、その向こう側にある地下水路を狙ったもの。水路の水に超高熱のタングステン融解液を放てば、水蒸気爆発が発生し、あたり一面が霧に包まれることになる。
メタルクラブの装甲のおかげで、爆発によるダメージはほとんどない。しかし、霧中での戦いを想定した武装ではないため、敵がどこにいるのか把握できない。メタルクラブの目に仕込まれた探照灯が狙われる可能性に気付き、慌てて灯りを消す。
周囲の気配に注意を払う中、レナは霧中に点滅する光を捉えた。
その光には覚えがある。アレックスに内包されている階差機関が発する光。光に向かって素早く走ったレナは、残っているもう一つの大鋏を光に向かって叩きつけた。
大重量の刃が金属をバターのように斬り裂く。
『仕留め――っ!?』
光を放っていたのはアレックスではなく、別の機械だった。
この部屋にある機械はすべてアレックスの支配下。ならば、この機械はただの囮。そのことに気付いたレナの頭上に黒い影が差した。
機竜の前脚による容赦のない振り下ろしが、レナの機体を踏み潰す。無事な節足で抜け出そうとレナが懸命にあがくが、自分より大きな怪物に抑え込まれ、身動きが取れない。
『終わりだ。矮小なる者よ』
アレックスの口腔部から、超高熱のタングステン融解液の光が漏れ出る。灰鉄の機竜は足元のレナに止めを刺すため、大きく口を開く。
「ああああああああああああああああっ!!」
タングステン融解液が放たれるかと思われた瞬間、口腔部の輝きからアレックスの位置を把握したアグノラが、上空から急降下して剣足を竜の顎に叩きつける。
タングステンを吐き出そうとした口が強制的に閉じられ、剣足によって縫い止められる。口元まで上がってきていたタングステンの奔流は、竜の口元で暴発し、アレックスの頭部は煙を吹いて一瞬機能を停止させる。
「レナ、今ですっ!!」
『アグノラさんのくせに、命令するんじゃありませんわっ!』
高熱で融解した剣足を斬り離し、アグノラが機竜から離脱する。それを待つことなく、むしろ巻き込む勢いで、レナが単分子鋼糸を全力で放った。
分厚い装甲に無数の線が走る。次の瞬間、灰鉄の機竜は原形もわからないほどにバラバラに分解され、積み木のように崩れて床に折り重なる。元々が大重量の機体であったこともあり、下にいたレナは完全に埋もれてしまう。
地面に降り立ったアグノラは、左手でそっと床に触れた。少しして、アレックスの残骸を掻きわけて、下からレナが這い出てくる。アレックスの前脚によって叩き潰されたダメージは少なくなかったようで、機体のあちこちから蒸気が漏れていた。
暫し睨みあう両者。アグノラの方は武器である剣足を失い、レナも満身創痍でいつ機能を停止してもおかしくない。しかし、闘志衰えぬ二人は、どちらともなく駆けた。
「レナああああああああああああっ!!」
『アグノラああああああああああっ!!』
放たれる単分子鋼糸の網。これが最後の力だとばかりに放たれたそれは、避ける隙間もないほど広範囲に及んだ。狙い違わず、鋼糸は天使の身体を切り裂く。
それを見て勝利を確信し、心の中で笑うレナ。しかし、それはすぐに凍りついた。
頭と左脇腹と左胸と左腕だけになったアグノラが、明らかな意志を持って動く。ドールは不死の兵士。時計が破壊されない限り、死ぬことはない。
驚きはしたが、アグノラは武器を持っていない。死に体、何するものぞとレナは大鋏を振りかぶる。そして、その鋏を振りおろそうとして――切断された鋏が床に落ちた。
何が起きたか理解できず、メタルクラブの瞳が明滅する。その身体を横断するように線が走ったかと思うと、そこを境に機械の身体がゆっくりと崩れ落ちていく。
「私の、勝ち、です」
切断された肺で、途切れ途切れに勝利を告げるアグノラ。何も持っていないように見えた彼女の左手には、キラリと光る極細の単分子鋼糸が握られていた。
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