第27話 恋心
「クライド様!」
胸の部分から断ち切られた少年の身体を、アグノラが抱え起こす。切断面からは金属の部品が覗いており、クライドの時計が破壊されたことを示していた。
「なんで庇ったりしたんですか!? 私は貴方を殺そうとしたんですよ!?」
室内では、アレックスとレナの死闘が続いている。強大な力を持つ二者の戦いを傍で感じながらも、アグノラの目にはクライドしか映っていなかった。彼の身体から溢れる黒い
「……無事か、アグノラ」
「っ!? クライド様、しっかりしてください! 早く、時計を修理しないと――」
まだ意識があることに一縷の希望を抱いたが、アグノラの声は尻すぼみに消えていく。
ドールに取って怪我の大きさは大した問題ではないが、時計の破損は致命的。急いで時計を修復すれば命を繋げるかもしれないが、この場で時計を直せる技術を持っているのは、クライドかアレックスくらいしかないと気付いたのだ。
クライドは瀕死なので自分で修復などできない。アレックスはレナと戦闘中でそれどころではない。絶望的な状況に、アグノラは言葉を失ってしまう。
「……僕もおまえと同じだよ」
「? 何の話ですか?」
どうすればいいのかわからずに暗い顔になるアグノラに、クライドが話しかける。口の端から黒い粘液を垂らしながらも、彼はどこか優しげに笑っていた。
「素体となった少女の想いと、アビゲイルの想い。どちらに従うべきかわからないと言っただろう? あれは僕も同じだ」
先刻行われた問答の続き。今でもアグノラは、クライドを憎むべきかどうかで悩み続けている。迷いを抱いているが、それでもクライドに死んでほしくないと思っている。
「僕の脳にはロドニー博士の記憶がある。だが、同時に、自分はロドニー博士とは別人だという意識もある。僕がロドニー博士の罪を背負うことは間違っている気がするし、完全に無視するのも間違っていると思う。どちらに従うべきなのかわからなかった」
「……あなたはどちらを選んだんですか?」
「どちらも選べていない。悩み続けているし、一生答えは出ないかもしれないと考えている。だが、悩むことを止めようとは思わない」
心と記憶の乖離。それがアグノラの抱える悩みの正体。そして、きっとすべてのドールが抱えているであろう悩みだ。時計に宿っている心と肉体に宿っている記憶が別々である以上、どこかでその乖離に違和感を抱くことは避けられない。
アグノラは自分を恥じた。彼自身もドールであるということを忘れ、自分の悩みだけを相手にぶつけて甘えていたことに気付いたのだ。同じドールであるならば、クライドも同じ悩みを抱いているかもしれないなんてこと、少し考えればわかるのに。
「なんで、あなたはそんなに強くあれるんですか」
知らず、クライドの手を握りしめていた。だが、握り返してくる力はほとんど感じられないほどにか弱い。彼の命の灯火が消えかけていることを嫌でも実感してしまい、アグノラの瞳からまた涙が零れ落ちる。
「私はあなたのように強くなれません」
自分はなんて弱いんだろう。彼はなんて強いんだろう。
自分は迷って、立ち止まって、泣いて、弱音ばかり吐いているのに、自分と同じ悩みを持つはずの彼はそんな空気も見せずに自分を支えてくれた。自分はロドニー博士の罪を背負うべきなのか否か。自分でもまだ答えを出せていないはずなのに守ってくれた。
「なぜ、クライド様は私を庇うことができたんですか? 悩んで、答えが出せていないのに、なぜ貴方は行動を起こすことができるんですか?」
「勘違いするな。僕は罪の意識からおまえを助けたわけじゃない」
答えるクライドの言葉は力強かった。時計は機能を停止しかけており、話すことも困難なはずなのに、その目に宿る炎は些かの衰えも見せない。不屈の精神と鋼鉄の魂を持って、少女の問いに最期まで真剣に向き合おうとする。
「僕が罪人であろうとなかろうと、目の前の女の子を見捨てる理由にはならない。どんな困難の中にいようとも、どんな悩みを抱いていようとも、それは自分の信念を曲げるいいわけにはならない」
その言葉には一切の後悔が見えない。クライドは瞳に力を込めて、アグノラを見つめ返しながら言う。
「僕は僕の魂に刻まれた想いに従っただけだ」
「…………」
胸の時計が弾けて、時計針が心に突き刺さった気がした。
もちろん、比喩だ。アグノラの時計は無事だし、何の支障もなく動いている。ただ、規則正しく時を刻んでいるはずの音が、いつもより大きく速くなっているような気がした。
秒針が音を一つ刻むごとに胸が痛み、切なくも愛おしい感情の波が心の底から押し寄せてくる。その波はクライドの瞳を見つめているうちに大きくなっていき、生まれて初めての感情に顔が紅潮していくのを感じた。
「私も――」
段々クライドの顔を見ていられなくなり、アグノラは顔を伏せる。視線が突き刺さるのを肌で感じながら、彼女は消え入るような声で聞いた。
「私も貴方のようになれるでしょうか?」
「立ち止まっているだけだ。歩みは遅いかもしれないが、僕の知るアグノラは、困難から目を背けることなく、決して前に進むことを諦めない強い女性だ。その意志を捨てない限り、アグノラはいつまでも素敵な女の子だよ」
――素敵な女の子だよ。
その言葉が何度も脳内をリフレインし、顔が熱くなっていくのを感じる。その感情の名をアグノラは知らなかった。ただ、もっと彼の声が聞きたいという思いが湧き上がり、アグノラは顔を上げる。
「クライド様、あの――」
しかし、少女の言葉は途中で切れる。
クライドは眠るように目蓋を閉じていた。握りしめた手からはまったく力を感じられず、損傷しながらも微かに動いていた時計は完全に機能を停止していた。
「クライド、さま?」
頭の中では理解しながらも、アグノラは現実を認められないでいた。動かぬクライドの身体を揺らし、名前を呼び続ける。まるで、そうすれば目が覚めるとでも言うように。
呆然自失となる少女の傍に、巨大な機械が地響きを立てながら着地する。
光の失われた瞳で見上げると、灰鉄の機竜アレックスと目があった。
『流れ弾に当たったか。貴重な時計が失われるのは避けたかったのだがな』
思考停止したアグノラは、何かを口にする気力も湧かず、巨大な機械生物を見上げる。
彼はクライドを助けてくれるつもりなのだろうか? 機械工学に優れたロンドン支部の長であるアレックスならば、クライドの時計を修復することが可能なはずだ。
――お願い、助けて。クライド様を助けてくれるなら、私、なんでもしますから。
抜け殻のようになった少女のことなど気にも留めず、アレックスは対峙するレナに対して声をかける。
『少々の休戦を提案する。時間経過で脳細胞が死んでしまう前に、ロドニー博士の脳を摘出したい。そちらの目的もロドニー博士の脳ならば、悪い提案ではないはずだ』
『……仕方ありませんわね。手早く済ませてくださいませ。余計な素振りを見せたら、遠慮なく攻撃させていただきますわ』
レナが渋々了解する。彼女の目的は、ロドニー博士の脳を初めとした、アレックスが抱えている優秀な科学者たちの脳だ。奪う前に失われることは彼女にとっても本意ではない。
だが、今のアグノラには、彼女たちの理屈が理解できなかった。
――何を言っているの? 脳も大切かもしれないけど、今壊れてるのは時計だよ? 早く直してくれなくちゃ、クライドが死んじゃう。ねぇ、早く直して。
彼女の心の叫びを解する者はこの場にいない。壁の配管と歯車が動いて変形し、赤い液体が入ったカプセルがアグノラの前に現れる。脳を納めていたカプセルと同じ物だが、中には何も入っていない。
『アグノラよ。クライドの脳を摘出し、その容器の中に入れろ。これは不死鳥騎士団ロンドン支部長としての命令だ』
腹の底まで響くような重い声が鼓膜を打つ。不死鳥騎士団の強制命令発動により、アグノラの身体は心に反して立ち上がり、剣を構える。
全身を使った鋭い剣閃は、狙った的を――アレックスの前脚を斬り裂いた。ドールの膂力で放たれた力任せの一撃は、鋼でできた表皮に大きな傷跡を残す。
分厚い装甲を持つアレックスに、アグノラの一刀は大したダメージを与えられない。しかし、それ以上に、アグノラが自分の命令に背いたという事実に、アレックスは精神的なショックを受けてたじろいだ。
『何をやっている、アグノラ! 私の言うことを聞け!』
再び発動する強制命令。時計に組み込まれたプログラムが、アグノラの自由意思を奪って身体をコントロールしようとする。
人形に感情は必要ない。時計が規則正しく時を刻むように、人形は人形らしく決められたことをやればいい。自分勝手に動く時計など欠陥品。不死鳥騎士団がドールに求めるのは、命令通りに決められた通りに時を刻むこと。
「……絶対に嫌だ」
社会を維持するためには、それも必要なのかもしれない。それを理解しながらも、アグノラはアレックスの命令を拒否した。
アグノラの願いとアレックスの命令。矛盾する二つの指令に、アグノラの時計はエラーを起こして機能不良による破損が発生する。自分の中の時計が自壊していくことを感じながらも、アグノラの信念は揺るがない。
「私の魂が、クライドを貴方たちに渡したくないと叫んでいる」
その答えに行きつくまでに、ずいぶん時間がかかってしまったけれど。行き着いたからにはその信念は変えない。そんな私を、彼は素敵だと言ってくれたから。
「彼は誰にも渡さない。私のクライドに手を出すな」
私の
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