エピローグ1 シティ

 命を刻む金属の心音Tick Tack Tick Tackが、アグノラの意識を揺さぶる。

 つい最近、似たような経験をしたなとぼんやり考えながら夢と現を行き来していたが、これまでのことを思い出してがばりと身を起こす。

 薄汚れた天井に、染みだらけの壁。窓から吹き込む風は据えた臭いを運び、外の喧騒が聞こえてきた。病室のようだが、シティの病院のような清廉さはなく、貧民街の安アパートと言われても信じてしまいそうな部屋だった。

 ここがどこかはわからないが、少なくともシティの中ではない。シティの病院なら、もっと設備が整っていて、清潔感があるはずだ。窓から見える景色もシティと比べれば雑然としており、ここがエンドの街だとわかる。


「ようやく起きたさぁ」


 アグノラが目を覚ますと、ベッドの傍らの壁に背を預けていたドールが気だるげな声を上げる。燕尾服に酷似したゴシックドレスを纏った彼女は、どこか元気のなさそうな様子でアグノラに手を振る。


「あなたは……確か、スワロー?」

「お久しぶりさぁ」


 自分と同じく、ロドニーに製作されたドールだ。初期訓練期を共に過ごしたため、顔見知りではあるが、配属先が遠く離れていたため、あまり親しくはない。ただ、風の噂では不死鳥騎士団から抜け、闇に蠢く者どもナイアーラトテップについたと聞いた。

 反射的に腰に手をやるが、当然のことながら蒸機剣は取り上げられている。アレックスやレナと戦って負った傷は治っているが、丸腰でドールと敵対することは危険すぎる。警戒するアグノラに対し、スワローは両手を上げて敵意がないことを示した。


「心配しなくても、取って食べたりしないさぁ。こっちは夜通し戦った後で心が疲れてるから、もう戦いたくないのさぁ」

「……では、勧誘ですか? 私に闇に蠢く者どもナイアーラトテップに入れと?」

「それも違うさぁ。いや、うちはいつも戦力不足だから、入ってくれるなら大歓迎だけど、あんな魔窟に足を踏み入れるのは止めておいた方がいいさぁ。私たちのリーダーも、アグノラにはまだ早いって言ってるしさぁ」

「リーダー? 闇に蠢く者どもナイアーラトテップのですか?」

「違うさぁ。『エンド』におけるドールたちのまとめ役。こっちはこっちでいくつも派閥ってやつがあるのさぁ」


 ツインテールのドールが一瞬頭をかすめるが、霞のように記憶から掻き消える。地下空間で鋼の竜や機械蜘蛛と戦ったことは憶えているが、その後どうやって脱出したのかは憶えていない。何か、大切なことを忘れている気がするのだが――。

 過去に想いを馳せるアグノラに、スワローは懐から取り出した袋を投げる。

 条件反射で受け取ったそれはずしりと重い。中を見ると、金貨がぎっしりと詰まっており、その上に置かれるようにマッチ箱が一つ混じっていた。

 マッチ箱を手に取って見てみると、ここからは遠い場所にあるパブのものだ。意図が掴めずにスワローを見やると、彼女は肩をすくめてみせる。


「リーダーからの餞別さぁ。エンドは物々交換が基本だから、その金貨があればしばらくは困らないはずさぁ。それと、気が変わって自分たちの仲間になりたいと思ったら、そのパブに行って、マッチ箱を見せるといいさぁ」

「……なぜ、そこまでしてくれるのです? 不死鳥騎士団を裏切った私をシティの外まで逃がしてくれたのも、治療をしてくれたのもあなたたちなのでしょう?」

「自分はリーダーに伝言を頼まれただけで、君たちを連れ出したのも、治療をしたのもリーダーが一人でやったことさぁ。思惑なんて知らないさぁ」


 少し驚く。ドールの調整技術を持っている技術者はシティでも少なく、エンドではさらに希少な存在だ。ドールでありながら、そんな技術を持っている人物など初めて聞いた。

 伝えることは伝え終わったのか、スワローはどこか疲れた様子でアグノラに背を向けて出口に向かう。本当に勧誘の意図はないようだ。


「(……知りたいことがあるなら、直接聞きに来い、ということでしょうか?)」


 マッチ箱に込められた意味をそのように解釈する。マッチに描かれた地図は、不死鳥騎士団の中でも異色の翼シルバーウィングが存在する拒絶都市エディンバラの付近を示している。シティの人間であっても、あまり近づきたくない場所だ。

 そこでふと、先刻のスワローの言葉を思い出す。

 ――を連れ出したのも、治療をしたのもリーダーが一人でやったことさぁ。

 慌てて問い質そうと思うも、スワローの姿はもう室内にない。代わりに、アグノラの瞳は、自分の隣にあるベッドへと向けられた。ベッド同士はカーテンで区切られていて、隣のベッドを見ることはできなかったが、人の気配を確かに感じる。

 アグノラは震える手でカーテンに手を伸ばす。だが、どうしてもそれを取り払う勇気が持てない。カーテンの向こう側にあるものが自分の期待するものと違っていたら、泣き崩れてしまいそうだからだ。

 その時、窓から吹いた風が、カーテンを大きく捲りあげた。

 ベッドで眠る少年。静かに目を閉じているが、微かな身じろぎが、彼が生きていることを示していた。

 アグノラの視界が歪む。自分に恋を教えてくれた少年。アビゲイルでもなく、素体となった少女でもなく、ただのアグノラとして好きになった愛しい人。彼の命を身近に感じただけで感情の波が打ち寄せ、抑えきれない情動が目から溢れた。


「んっ……」


 呻き声と共に、少年が目を開く。覚醒したばかりで判然としない意識で、少年はアグノラの姿を瞳に捉えた。


「アグノラ?」


 疑問を投げるクライドの胸に、少女が飛びこんだ。少年は目を白黒させながらも、やがておずおずと少女を抱きしめる。

 少年の胸で少女は祈った。願わくば、このまま時よ止まれと。



◆◆◆



Jesusジーザス、冗談みたいな光景だな、こりゃあ」

「まったくだ。地下にメタルクラブがやってきたことから想像はしていたが、冗談であってほしかったな」


 長い地下水路を抜けて、ラスティとフラビカが日の光に目を細める。一晩しか経っていないはずだが、地上の様子は戦争の爪跡で大きく様変わりしていた。

 ラスティ小隊はメタルクラブとの戦闘で敗北したが、なんとか全員命を取り留めた。しかし、戦いで負った損傷は激しく、時間をかけて回復した上で、ラスティとフラビカが互いに肩を貸し合うことでようやく歩けるようになったていどだ。セルマに至っては頭部を破壊され、会話すらままならない。

 単分子鋼糸という隠し武器を想定していなかったとはいえ、ラスティ小隊にとっては珍しい大敗北だ。心と体にダメージを負っているところに、自分たちが守るべき都市が破壊された様子を見せられたとなれば、彼女たちが受けるショックは大きい。

 そんな彼女たちを励ますように、ピクシーがポンと肩に手を置く。


「まぁまぁ、無事でよかったではありませんか。紅茶でも飲んで一息つきましょう」

「……ナチュラルに合流しようとしてるけど、てめえが地下水路にいなかった事実は変わらねえからな? おまえも一緒だったら、あんな蟹野郎に負けなかったんだぞ、こら!」

「止めてください、紅茶が零れてしまいます」


 悪びれもせずにラスティ小隊の元に戻ったピクシーに、額に青筋を浮かべたフラビカがベアークローを極める。骨がみしみしと音を立てるが、ピクシーは堪えた様子がない。

 ピクシーの変わらぬ様子に苦笑いしつつも、内心では彼女の無事にほっとするラスティ。切断された義手へと目を移し、険しい顔になる。


「確かに、フラビカの言う通り、ピクシーがいれば勝てていただろう。だが、ピクシーが地上にいなければ、街の被害はさらに大きくなっていたに違いない」


 ラスティの言葉に、フラビカが少し力を弱めて耳を傾ける。

 地上での戦いはシティ側の勝利で終わったのだろう。戦闘音らしきものはもうなく、憲兵たちによる救助活動が行われている。

 だが、失ったものは大きい。不死鳥騎士団の威光により、長く平和を享受してきたロンドン市民は、突然の戦火により大きな精神的ショックを受けた。またこんなことが起きるのではないかと、人々の顔には不安がありありと浮かんでいる。


「地下での敗北は、我々の力と認識が不足していたことが原因だ。我々はロンドンを守る盾。ピクシーがいなくても勝てなくてはいけなかったのだ。……街の復興が終わったら、一から鍛え直しだ。覚悟しておけよ」

「Realy? ほんと、ラスティは真面目ちゃんだねえ」

「…………」

「えぇ、私もがんばって美味しい紅茶の淹れ方を学び直します」


 呆れながらも頷くフラビカに、顔がなくてしゃべれないので親指を立てることで了承の意を示すセルマ。ピクシーは頭を叩かれた。


「そういえば、アーちゃんは無事にクーやんを助けられました?」

「……我々はそれを防がなければいけない立場なのだがな」


 頭をさすりながら聞いてくるピクシーに、ラスティの苦笑いが濃くなる。


「アレックス支部長曰く、二人とも別の侵入者と共に逃げたそうだ。支部長と戦って生き延びるとは、強運に恵まれた奴だ。その運があるなら、どこかで生きているだろう」


 言葉とは裏腹に、その言葉に悔しさは見えない。敵対関係とは言え、元仲間であるアグノラのことを、ラスティは嫌いになれないでいた。


「そういえば、アグノラと一緒にいたマルヴィンという憲兵はどうなったかな?」

「崩落に巻き込まれた様子だったからな。地下水路で怪我をしたなら、病原菌か何かで死んでるだろ。復興が終わって覚えてたら、死体回収に行ってやろうぜ」

「……ほ?」


 二人の会話を聞いたピクシーは、きょとんとした顔で首を傾げる。






「生きてると思いますよ? だって、あのマルヴィンって人、ドールでしたし」

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