第25話 不死鳥の檻

 単調な振動の中、心臓の鼓動に耳を傾けるTickle Tap Tingle Throb

 蒸気機関車の貨物室。大勢の子どもたちが押し込まれたその部屋で、窓のない壁の向こう側にある景色を想像しながら、アグノラはぎゅっと唇を噛みしめた。

 ここにいる子どもたちは空が青いということを知らない。親の顔など憶えていないし、生きるということは他人から物を盗むことだと信じている。

 エンドで生まれるとはそういうこと。科学技術に守られたシティの人間と異なり、汚染された土地で生きるエンドの住人は、いつだって命の危険と隣り合って生きている。飢えで、病気で、殺戮で、昨日生きていた人が今日には死んでいる。

 みんな、自分のことだけで手一杯。友人や仲間を作ったとしても、次々と死んでしまう。最初のうちは悲しむかもしれないが、キリのなさに心が麻痺していき、そのうち人死で涙を流すことなどなくなる。いつしか、そういうものだと諦めるのだ。

 だから、雰囲気が暗くなっても、車内の誰も弱音を吐かない。仕方のないことだと諦めてしまっている。互いに薄い関係なので、励まし合うようなこともしない。


「不安か、アグノラ」


 そんな中、ただ一人、明るい声で周囲に声をかける少女がいた。

 エンドにおける浮浪孤児たちのリーダー格たる少女。アグノラと年齢は変わらないのに、彼女はいつも自信に満ち溢れ、大人顔負けの統率力で浮浪孤児を纏め上げた。

 特別優れた能力があるわけではない。だが、彼女には不思議なカリスマがあり、浮浪孤児の多くは彼女に従った。一丸となった浮浪孤児たちはチームワークを発揮し、生きるために仕事効率を上げ、浮浪孤児の死亡率は大幅に下がった。アグノラも、彼女のチームに入っていなければ、とっくに死んでいたかもしれない。

 だが、それが大人たちの目に留ってしまった。

 エンドを支配するのは、大小のギャング組織だ。程度の差はあれ、組織同士は常に抗争状態にあり、新たな勢力が出てくることを恐れている。アグノラたちのチームは新興勢力として目をつけられ、いつ抗争に巻き込まれてもおかしくない状況だった。

 統率が執れているとはいえ、所詮は子どもの集団。武力による闘争になれば、勝てる見込みはほぼない。

 しかし、我らがリーダーは抗争が本格化する前に素早く手を打った。と言っても、それは苦肉の策であり、大きなリスクが伴う。そのため、彼女は仲間に、自分についてくるか否かを選ばせた。アグノラはついていく選択をした一人だ。


「■■■は不安じゃないの?」

「ふははははは! 不安になど思うか! ■■■様は天に愛された存在だからな! これはむしろチャンスだ。シティに行って、更なる高みに登り詰めてみせるぞ!」


 シティに新しくできた不死鳥騎士団という組織が、エンドの子どもたちを密かに集めている。その噂は浮浪孤児の間で以前から囁かれていたが、一種の都市伝説のようなものだと思われていた。

 しかし、■■■は、どこからかその情報源を突き止め、不死鳥騎士団との接触に成功した。そして、彼女を含めた浮浪孤児のチーム全員の、シティへの移住を約束させたのだ。

 エンドの人間からすれば、シティは伝説の楽園だ。ギャング組織との抗争を回避しただけでなく、そんな土地への移住を取りつけた彼女の手腕は間違いなく優れたものだろう。しかし、それでも子どもたちの顔色が晴れることはなかった。

 理由の一つは新天地に移り住むことへの不安。厳しい生活環境とはいえ、エンドは生まれ育った土地だ。行き先が楽園であったとしても、故郷を離れることに抵抗は生まれる。

 そしてもう一つは、エンドで生まれ育った人間なら、誰もが知っている常識――上手い話には裏がある――みんな、それを肌で感じ取っている。

 もちろん、■■■も同じだろう。しかし、彼女は不安がる仲間を勇気づけるため、自らの恐怖を隠し、努めて楽観的な様子で不敵に笑って見せる。


「大丈夫だ。この先何があったとしても、アグノラには■■■様がついている。おまえは安心して、自分の空に飛び立って幸せを掴め」


 彼女は世の理不尽を知っていた。

 ただ、諦めるということを知らなかった。どれだけの苦難を前にしても、諦めさえしなければ敗北ではないと信じていた。親に捨てられ、仲間が死に、故郷を追われ、数多の艱難辛苦を味わおうとも、力及ばず泣き崩れようとも、何度でも立ち上がって見せた。

 だから、■■■はシティで成功して幸せになるとアグノラは信じていた。だって、そうでなければおかしい。彼女はこれほどに努力家で不屈の心の持ち主なのに、彼女が幸せにならないなんて間違っている。

 そう信じていたのに――神様は残酷だった。

「被検体007号のドール化実験失敗。粘菌ギアの定着認められず。……やはり全身実験はまだ早いか。まずは肉体の一部から始めた方が――」

 悪夢を見ているようで、現実感がなかった。

 返り血で赤く染まった白衣を着た男が、ぶつぶつと呟きながら実験記録をつけている。彼の前にはバラバラに分解された子どもの死体が並べられていた。


 ――物言わない肉の塊。それが■■■のなれの果てだった。


「いやあああああああああああああああああああ!!」


 机の上に置かれた■■■の生首を見て、アグノラは半狂乱になって絶叫を上げる。手足は手術台に固定されており、暴れてもびくともしなかった。

 少女の叫びに対して、男はまるで動じる様子はない。実験動物でも見るような冷たい目で、手術台に縛り付けられたアグノラを見下ろす。


「理論は間違っていないはずなんだ。あと少し……あと少しで生ける屍計画リビングドールプロジェクトは成功する。次は腕だけを切り取って粘菌の定着率を見よう」


 そう言って、糸鋸を取り出すと、麻酔も打たずに少女の腕を切断しにかかる。返り血が男の顔を汚し、少女の甲高い悲鳴が耳を打つも、男の顔色はまったく変わらなかった。

 こんな行為、人間の所業ではない。この男は悪魔だ。私たちは悪魔と契約を交わし、そのせいで私はこの男に大切な者たちを奪われたのだ。

 絶望の中、その男――ロドニー・フィッシュバーンを視界に収めながら、アグノラは彼を呪い、数時間に及ぶ苦痛の中で少女は無惨な最期を遂げた。


◆◆◆


「アグノラ! しっかりしろ!」


 自身を揺さぶる振動と声に、アグノラの意識が記憶の海から引きずり出される。

 アレックスによって記憶を想起されてからどれだけ時間が経ったのか。実のところ、それは一瞬の出来事だったが、体験した本人は文字通り一生分の時間が経過した気分だ。

 心配そうにのぞきこむクライドが、記憶の中の悪魔――ロドニーと重なる。


「いやあああああああああああああああああああ!!」


 絶叫を上げながら、アグノラはクライドの腕を振り払う。その反応に、クライドは顔を青くさせ、ショックを受けたように固まる。


「あっ……」


 自分の行為に気付き、アグノラ自身も顔が蒼白になる。いいわけをしようと口を開けようとするが、どうしてもロドニーとクライドが重なってしまい、何も言えなくなる。

 あんな男を義父と呼び、恋にも似た感情を抱いて甘えていたことを思い出して吐き気がしてくる。まるで正反対の感情に、アグノラは混乱を極めた。


『思い出したようだな。ロドニー・フィッシュバーンという男の本性を』


 死刑宣告のような重い声が響く。誰もその言葉に異を唱えることができなかった。


『ロドニーは、自らが生み出したドールを愛していた。しかし、それはあくまでドールとなった少女に対する感情だ。素体となった少女たちに対しては非人道的な実験を繰り返し、それがために生ける屍計画リビングドールプロジェクトは短期間で大きな成果を上げることに成功した」


 ドールは少女の死体に時計と粘菌を埋め込むことで完成する。逆に言えば、。現存するドールの数は二百体。粘菌の定着に失敗した個体もあるだろうから、実際にはその数倍の死体が使われたはずだ。

 それだけの死体を確保することは、シティの中だけでは不可能だ。だから、ロドニーはエンドから少女たちを攫い、実験体として殺した。


『ロドニーは優秀な科学者だったが、飛び抜けた才覚を持っていたわけではない。彼はその差を、普通の人間ならば精神を病むほどの数の少女をその手にかけ、人体実験の数を増やすことで埋めた。……いや、病んでいたからこそ、そんなことができたのかもしれないな』


 レコードの中身を見たアグノラには、その理由が分かる。ロドニーの目的は妻であるアビゲイルの蘇生だ。彼はそのために生ける屍計画リビングドールプロジェクトに熱意を上げ、非人道的な試みに対して臆せず踏み込むことができた。

 それは愛を通り越して、もはや狂気だ。


『そして、クライドはロドニーの死体を使って作られたドールだ。本人が自分はロドニーではないと主張しようとも、記憶と肉体は彼のままだという事実は変わらない。……さて、それでも彼を助けたいと言えるかね?』


 問われ、アグノラはすぐに答えを返すことができなかった。これまでクライドに抱いていた感情が反転したように、彼を見ただけで身体の震えが止まらなくなる。


「そ、それでも私は、彼を……」


 震えながらも、アグノラは剣を構えなおす。


『なるほど、人間的感情で言うところの義理というものだな。実に不合理だ。ならば……不死鳥騎士団ロンドン支部統括として命令を下そう。クライドの脳を摘出せよ』


 言葉とともに階差機関が起動点滅した。アレックスに向けられたはずの剣先が、クライドのほうへとゆっくり狙いが変わる。己の意思と異なる動きに、アグノラは目を見開く。


「な、なんで……」

『ドールは不死鳥騎士団の命令に逆らえないようにプログラムされている。そして、支部統括である私の言葉は、通常の団員より強制力が強い。心に迷いを抱いている今の君が相手なら、意思に反する命令を強制することも可能だ』


 アレックスの言う通り、アグノラは身体の自由が利かなくなっていた。心では拒否しているのに、身体が彼の言葉に逆らえない。


『不死鳥騎士団から離れたつもりでいたかね? 残念ながら、不死鳥の檻は君が思っているほどやわじゃない。君は最初から……私の手の上で踊らされていたのだよ』

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