第20話 逃亡者

「号外だよ! 不死鳥騎士団から脱走兵が出て、指名手配だってさ!」


 河岸通りにある雑貨屋の店先で、新聞の束を抱えた少年の声が響き渡る。

 すでに太陽は傾きかけており、空気は涼しいというより寒くなり始めていた。小遣い稼ぎで新聞を配る元気な少年の声に引かれ、店主と世間話をしていた男が顔を上げる。


「脱走兵なんて物騒だねえ。不死鳥騎士団のおかげで不自由なく暮らせてるっていうのに、いったい何が不満なんだか」

「まったくだ。とっとと捕まえて欲しいもんだな」


 少年の声に興味を持った通行人が、懐から穴の空いた小さな金属板を差し出す。少年は首から下げた機械に金属板を差し込んでから、新聞紙を渡すとともにそれを返した。シティでは生活必需品はすべて配給で事足りるが、それ以外の嗜好品を手に入れるためには、働いて金を稼ぐ必要があった。新聞も、そういった嗜好品の一つだ。

 店主と話していた男は会話を切り上げ、支払いを済ませるために懐を探る。しかし、怪訝な顔つきになったかと思うと、申し訳なさそうに店主に頭を下げた。


「おっといけねえ。市民カードを家に置いてきちまったみたいだ。長話しておいて悪いんだが、商品を棚に戻しておいてくれないか? 後でまた買いに来るよ」

「おいおい、危ねえなぁ。カードがなけりゃ、煙草一つ買えやしねえぞ」

「かみさんに預けてたのを忘れててね。うちじゃあ、かみさんの許可がないと買い物できねえ決まりなのさ。おかげですっかり健康になっちまった」

「ははは、尻に敷かれてるねえ」


 店主に笑顔で見送られた男は、帽子を目深に被り直してから、新聞を配る少年が居る場所とは逆方向へと足早に歩を進める。途中、狭い路地の横に立つ、帽子を被った半ズボンの少年と目が合う。男がその路地へと滑り込むように入ると、少年も後に続いた。


「すまん、カードを使えば居場所がばれると思って、何も買えなかった」

「正しい判断です。どうやら、私の逃亡を手伝ったのはマルヴィンだとばれているようです。新聞に貴方の名前が載っているのが見えました」

「あの距離で見えたのか? 相変わらず、ドールってのはすごいな」


 感心したように言うマルヴィンに、少年の格好に変装したアグノラが無表情で返す。

 騒ぎを聞きつけて駆けつけたマルヴィンが煙幕を張ってくれたことにより、アグノラは不死鳥騎士団の施設から脱出することができた。だが、すぐに警戒網が張られ、シティの外に出ることができずにこうして身を隠している。

 不死鳥騎士団で生まれ育ったアグノラは、シティでの立ち回りに関しては詳しくない。マルヴィンの存在は知識的にも精神的にも助かるものだった。ただ、ありがたいという想いの反面、彼を巻き込んでしまったことへの罪悪感がアグノラの胸に生まれる。

 実際、彼までこうして指名手配されてしまっている。今ならまだ引き返せるのではないかと思って、マルヴィンに提案したが、彼は気にするなと言って断った。


「今さら戻ったところで、良くて豚箱、悪くてシティから追放だ。毒を食らわば皿まで。こうなったら、最後まで付き合ってやるさ。おまえには恩義があるしな」


 帽子の上に手を置き、ニカッと笑うマルヴィン。

 なんでもないことのように言うが、不死鳥騎士団を裏切るということは生半可な思いではないはずだ。だが、それを指摘するのは彼の決意に対する侮辱と考え、アグノラは黙って頷くことにした。


「しかし、これからどうしましょう? まずはどこかで腰を落ち着けたいのですが、市民カードが使えないとなると、宿を取るわけにも行きませんね……」

「それならちょうどいい場所がある。あそこならすぐにはばれないはずだ」


 そう言ってマルヴィンが先導して案内したのは、河岸通り沿いにある倉庫群だった。

 テムズ川流域は、趣味から商用までさまざまな目的で船が行き来しており、数多くの人や物が集まる場所であった。工場や整備小屋、水揚げ場など、やり取りの場を挙げていけばきりがない。倉庫の需要が増えるのも自然な成り行きだった。

 マルヴィンはそんな倉庫群の中にある貸倉庫の一つまで来ると、備え付けのガス灯に隠してあった鍵を取り出し、倉庫のシャッターを開けて中に入る。


「ここは?」

「簡単に言ってしまえば、憲兵が共同で使ってる私用倉庫の一つだな。憲兵は基本寮住まいなんだが、部屋が小さくて私物をあまり置けない。ロンドンに実家がある奴なら実家に預ければいいんだが、憲兵は異動が多いから、近くに実家がない奴も多い。だから、みんなで金を出し合って、各都市に共用倉庫を借りてるんだよ」


 憲兵同士のネットワークということだろう。用途が私的利用に限定されているなら、不死鳥騎士団も把握できていない可能性は高い。長く留まることは難しいが、一日二日程度なら身を隠せそうだ。

 中は安物の棚が並び、統一性のない物品が納められている。男所帯の所有物であるだろうに、室内は意外なほど整えられている。ただ、憲兵宿舎には置いておけないような春画本がいくつもあるのが目に止まり、やはり男たちの園だと納得がいった。


「適当にそのあたりに座ってくれ。食いものは好きに食べてくれていい」


 マルヴィンは奥まったところにあるソファに座ると、近くにある椅子をアグノラに勧め、憲兵たちが持ち寄ったと思しき缶詰を渡してくる。ほとんどが保存食であったが、ラスティに風穴を空けられて、修復の為の栄養が必要だったのでありがたかった。


「で、これからどうする? 殺しの無実を晴らすか、シティから脱出するか」


 缶詰を一つ開けながら問いかけるマルヴィンに、アグノラは少し考え込む。

 不死鳥騎士団内部で起きた出来事については、マルヴィンにすでに伝えてある。取るべき方針としては、マルヴィンの言う通り二つに一つだろう。

 だが、研究者たちを殺し、アグノラを解放した者の目的がわからない。彼女に味方したとも見えるし、追い詰めたようにも見える。

 アグノラは特別なドールというわけではない。戦果に目立った部分はないし、特殊な技能を有するわけでもない。そんな彼女を罠に嵌める理由があるとすれば、それはクライドに関することと考えるのが妥当だろう。クライドに関することで、アグノラが狙われる理由となるような情報といえば――


「レコード……」

「なに? なんだ、それは?」

「私に尋問を行った研究者が言っていました。クライドさまが不死鳥騎士団から盗んだものだと。それがどういうものかはわかりませんが、彼はそれに拘っているようでした」

「盗んだ? だが、クライドは何も持っていなかったぞ?」


 確かにそのとおりだ。囚人であったクライドは私物など持ち合わせていなかった。だが、アグノラに尋問した男が出鱈目を言っているようにも思えなかった。

 発言の矛盾。だが、これが矛盾にならない手段を、アグノラは知っていた。

 クライドがブライトン支部ブルーウィングからロンドン支部グレーウィングへと送られたこと。ロンドン支部が、不死鳥騎士団でもっとも機械工学に優れた支部であるということ。そして、クライドの正体がドールであるということ。

 それらの情報から導き出される、『レコード』の在り処は一つしかない。


「なんだと?」

「マルヴィン、この部屋に手術道具や工具はありますか?」

「あ、あぁ、簡単なものでいいなら、あることはあるが……」


 言われるがまま、マルヴィンは救急箱と工具箱を持ってきて、アグノラに渡す。

 本格的な手術道具はないので、メスなどは含まれていないが、そのあたりはナイフで代用にすることにする。アグノラは服をめくり、脇腹が見えるように鏡を置いた。


「レコードというものがなんなのかはわかりませんが、クライドさまはそれを盗み、。不死鳥騎士団も見当はついていたのでしょうが、場所が場所なので、簡単に取り出すことができなかった」

「……そうか。ドールも時計も限られた資源で、不死鳥騎士団としては時計を壊さずにレコードだけを取り出したい。だから、確実にレコードを取り出すために、機械工学の研究がもっとも盛んなロンドン支部グレーウィングにクライドを運んだのか」

「あるいは、時計とレコードを切り離したら、自動的にレコードが壊れるような仕掛けをしていたのかもしれません。クライドさまが、レコードが不死鳥騎士団の手に渡ることを恐れていたのだとしたら、それくらいの仕掛けをしていてもおかしくないです」


 どちらの場合にしても、不死鳥騎士団からすれば、ロンドン支部にクライドを運ぶことが最適解。レナの裏切りという大誤算があったものの、過剰なほど大勢の護衛をつけていたことからも、クライドという存在そのものを重要視していたことがわかる。


「……当然だな。不死鳥騎士団の思惑通りにレコードが見つかったのなら、アグノラに尋問してレコードの在り処を聞き出す必要はない」

「はい。道中でレコードを破棄する機会はいくらでもあったはずです。それをしなかったのは、反シティ勢力に渡すより不死鳥騎士団に渡した方がまだマシと考えたからか――」

「すでに別の場所に移していたからか」

「えぇ。そして、新しい隠し場所にうってつけの場所がありました」


 アグノラは自らの脇腹にナイフを突き立て、慎重に内部の肉を掻き分けていく。やがて、赤い肉と黒い粘菌に包まれながらも、機能美溢れる時計クロックが姿を現した。

 自らの心臓部であるそれを取り出し、じっと観察する。時計に変わった様子はなく、異常はないと主張するような規則正しい音Tick Tack Tick Tack Tick Tack Tick Tackを奏でている。

 クライドが自分の時計の中に『レコード』を隠していたのなら、他の時計の中に隠すことも可能なはずだ。そして、何度もアグノラの身体を修理したクライドなら、『レコード』をアグノラの身体に移す機会などいくらでもあったはずだ。

 少女が時計にじっと意識を向けると、彼女の粘菌が蠢き、時計を包んでいく。


「それで、何かわかるのか?」

「機械工学の知識はありませんが、これは私の時計ですから。意識的に注意を向ければ、ただ観察するよりは情報が掴めます」


 説明しながらも粘菌たちは時計奥深くへと潜り込み、内部構造を探っていく。粘菌たちが集めた情報は染み渡るように溶け込んでいき、アグノラははっとした顔になった。

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