第八章「血文字の検討」(日尾木一郎の記録)

   

 私が緋蒼屋敷に戻ると、村長の浜中はまなか大介だいすけが待っていた。緋山ひやま直樹なおきが呼んでいるのだという。

 直樹は、相変わらず部屋で伏せっていた。私が部屋に入っても、彼は上を向いたままだった。既に見飽きた天井だろうに、などと私が呑気に考えていたら、痛烈な皮肉を浴びせられてしまった。

「探偵というものは、事件を解決することは出来ても、事件を未然に防ぐことは無理なのか?」

 返す言葉は何もない。そもそも事件を防ぐどころか、既に起きてしまった事件に対しても、今のところ私は無力なのだから。

良美よしみが死んで、直次なおつぐが死んで、とうとう一義かずよしまで……。良美も直次も殺されたと言い張る一義に、私も今まで、同意を示してきたが……」

 ここで直樹は、私に顔を向ける。

「心の底では、蒼川そうかわの連中が言うように、事故や自殺かもしれないとも思っていた。だが、今回は違う。一義は殺されたのだ。誰の目にも、明らかな事実だ」

「はい」

 そう答えながら、この瞬間、私の中で全く別の解釈が湧き上がってきた。だが、敢えて直樹に告げる気にはならなかった。

「もう一度、頼む。犯人を探し当ててくれ。そして、息子たちの仇をとってくれ。わしは、もうまもなく彼らのもとへ逝くだろうが……。今のままでは、死んでも死にきれん」

 昨日は刺すような視線を見せていた直樹だが、今日は悲壮感に満ちていた。

「本当は、わし自身で何とかしたい。だが、この体では、そうもいかん。だから、代わりに君に頼むのだ。明日からは毎日、わしのところへ来て、調査の進み具合を逐一報告するように」

「はい」

 私は再び、そう答えるしかなかった。


 直樹の部屋を出たところで、蒼川そうかわ信子のぶことすれ違った。彼女は私を見ると、口の端に冷笑を浮かべる。

「あら、雇い主の一義君が死んでしまったから、今度は『緋山の』の番犬にでもなるのかしら」

 それだけ言うと、直樹の部屋に入っていく。

 今の発言にあった『緋山の』は『緋山の御当主』の意味だろう。御当主同士は「緋山の御当主」「蒼川の御当主」ではなく、「緋山の」「蒼川の」と呼び合うようだ。

 二人の御当主が何を話し合うのか、少し興味もあった。だが私は、その場を離れて、自分の部屋へと向かう。今この瞬間、何よりも気になっているのは、木田きだ巡査から受け取った封筒の中身なのだから。

 誰だって、人が殺されたばかりの部屋で寝泊まりするのは嫌なものだ。その点を配慮してくれたようで、昨晩、事件の後で、私には新しい部屋が与えられている。あまり広さは変わらないが、部屋の場所は、かなり屋敷の中央に近い位置へと移っていた。

 部屋に入ると早速、私は封筒を開いた。びっしりと調査結果の記された書類が出てくるのかと思いきや、中身は二枚の写真だけ。他には入っておらず、逆さに振っても、何も落ちてこなかった。

 同じ頃に撮影されたものだろう。かなり古く、どちらも少し黄ばんだ写真だった。それぞれ一人ずつ、赤ん坊が写っている。生まれたばかりのようで、まだ目も開けられず、くしゃくしゃな顔をしている。同じような布に包まれており、一見、同じ赤ん坊の写真かと思ったが、よく見ると違う。片方の赤ん坊は、耳の形が特徴的だった。比べるまでもなく、妙に尖っている。もう片方には、そのような特徴はなかった。

 最近の事件とは無関係なものに思えて、私には不思議だった。なぜ一義は、こんな写真を残したのか。これらが、どう手がかりになるというのか。

 写真を見ながら考え込んでいた私のところに、村長夫人の朝子あさこがやってきた。昼食の支度が出来たので、呼びに来たのだという。

「あら、懐かしい。規輝のりてるさんが赤ちゃんの頃ね」

 彼女は、私の手にした写真に視線を向けながら、微笑んでいた。

「生まれたばかりって、本当に可愛らしいわね。大きくなってからは、悪い評判もあるようだけど……」

 彼女の表情が、わずかに曇る。

「きいちろうさん、知っているかしら? 規輝さんって、村の外にいた時、障害者を助けるボランティア活動に励んでいたそうよ」

「ああ、その件なら、木田巡査から聞いた話の中にありましたね」

 私が正直に告げると、朝子は嬉しそうな声で続けた。

「でしょう? 立派な話だと思いませんか。自分から熱心に、手話や読唇術を習得しようとした、なんて話もあって……」

 そこまで詳しくは聞いていなかったが、もはやそれは些事だろう。それよりも、私は気になることがあった。

「ところで……。どちらの写真が、その規輝さんですか?」

「あら。もちろん、こっちよ」

 そう言って指差したのは、特徴のない赤ん坊の方だ。

「では、もう一人は……?」

「わからないわ。こんな子、この村にいたかしら?」

 朝子は、不思議そうな顔で、特徴的な耳を持つ赤ん坊の写真を見つめていた。ただ不思議がるだけではなく、その表情は、何か考え込んでいるようにも見えた。


 昼食後、私は再び駐在所に足を運んだ。直樹に毎日報告しなければならない状況に変わったので、それなりに懸命に探偵活動をする必要に迫られたのだ。そのためには、木田巡査と話し合うのが一番だと思われた。彼は「出来る限りの協力はするが、あまり期待するな」と言っていたが、今朝の様子を見る限り、かなり期待できそうだった。

 駐在所に入ると、そこには木田巡査だけでなく、花上はなうえ医師もいた。

「よくもまあ、あんなものを残せたものじゃ。ほぼ即死だったはずなのに」

 現場で口にした言葉と、同じような発言を繰り返している。どうやら、壁に残された血文字について話し合っていたらしい。

 木田巡査は、その会話に私を引きずり込んで、

「きいちろうさんは、どう思います? あれは何を意味しているのか……。私には、漢字の一部に見えたのですが……」

「つまり、草冠くさかんむりですか?」

「そう、それです」

 あらためて私は、あの血文字を思い浮かべてみる。

 長い横棒に、短い縦棒が二つ。

 なるほど。

 確かに、草冠に見えないこともないだろう。

「草冠か……。わしを疑っておるのか?」

「まさか。むしろ、蒼川の者が怪しい、という意味に思えますね」

 花上医師の軽口に対して、木田巡査が真面目に応える。いや木田巡査も、どこまで本気で「蒼川の者が怪しい」と思っているのか、私にはわからないが。

「どちらにせよ、一義さんは、犯人の名前を書く途中で、力尽きたのでしょうね」

 私が口を挟むと、

「当然じゃ。あの傷では、名前を最後まで書くなんて、無理だからのう。では、今日のところは、わしは帰るぞ」

 そう言って、花上医師は帰っていった。

「草冠……。しかし死に際の書き置きで、漠然と蒼川全体を指し示すとも思えない……」

 木田巡査は、そこまで口に出した後、黙り込んでしまった。彼は何やら熟考しているようで、その内容は私も気になる。だが彼は、続きを話しそうになかった。仕方なく、私は別の話題を持ち出してみる。

「一義さんは、本当に殺されたのでしょうか?」

「え?」

 木田巡査は、驚いて呆気にとられたようだ。今さら何を言い出すのか、と言わんばかりの表情だった。

「状況から考えると、犯人が現場に出入りするのは不可能。これは、あなた自身がまとめた通りです。でも、現実に事件が発生した以上、何か可能な解釈があるはずです。そこで、私は一つの仮説に辿り着きました」

 もったいぶって、いったん言葉を切る。木田巡査は、もう呆れ顔はしていなかった。私の話に興味をそそられている。それを確認して、私は言葉を続けた。

「そもそも、犯人の出入り云々を議論するのが、間違いだったのではないでしょうか。誰にも一義さんを殺せないのであれば、一義さんは、殺されたわけではないのです。つまり、あれは自殺だったのです」

   

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