第十章「葬式という名の宴会」(日尾木一郎の記録)
通夜や葬式の後には、なぜ酒の席が設けられるのだろうか。子供の頃、親戚の葬儀などに参加する度に、私は疑問に感じていた。子供心に「故人を偲ぶため」という名目だと理解していたが、とてもそうは見えない参加者も結構いたからだ。
冠婚葬祭に関しては、地方によって習慣も大きく異なるはず。特に緋蒼村のような特殊な環境では、その傾向も強いだろうが、この村のそれは、まさに宴会だった。まるで緋山家滅亡を祝うかのような空気まで感じられて、なんだか私は不愉快になった。途中で席を外して、一人、縁側で夜空を眺める。
うっすらと雲のかかった闇を背景にして、丸い月が浮かんでいた。「満月には人間の精神を高揚させる魔力がある」などという話を聞いたことがあるが、はて、どこで聞いた話だったか……。
つらつらとそんなことを考えていると、
陽子は、私を見た途端、衝撃を受けたような表情に変わった。
「きいちろうさん、その服は、一義さんの……」
ああ、これに驚いていたのか。
私は喪服など持ってきていないので、一義の遺品から借りたのだった。私が頷くと、
「きいちろうさん、教えて。本当に
陽子は、朝子の最期の言葉を信じていないようだ。
「さあ、どうでしょう。はっきりしたことは私にも断言できませんが……」
言葉を選びながら、彼女の質問に答える。
「朝子さんが直樹さんを殺すところは、あなたたちに見られているのでしょう? だから少なくとも、その一件に関しては疑いようがない。でも他の三人に関しては、詳細を語ることなく、沼に沈んでしまいましたからね。疑問は残りましたが、私としては、彼女の『自分がやりました』という発言を信じたいですよ。最期の言葉なのですから」
「正直に言ってしまえば、私、他の人たちはどうでもいいの。大切なのは、一義さんのことだけ」
陽子の瞳の奥で、激しい感情が燃えているようだった。
「私は、犯人を絶対に許さない。そもそも私には、朝子さんが犯人とは思えない。だって彼女は、一義さんが殺された時、母と一緒だったはずでしょう?」
そのアリバイは、私も
「あるいは、そこに何らかの策略があったのだとしたら……。母が嘘をついているのだとしたら……。もしも母が朝子に、一義さんを殺させたのだとしたら」
とうとう彼女は『朝子』と呼び捨てにした。先ほどまでとは、言葉に込められた感情も違うようだ。陽子は、強い意志のある言葉で、話を締めくくった。
「たとえ私の母だとしても、絶対に許さないわ」
そして、陽子は去っていった。正直、話の最後のあたりは、怖いくらいの雰囲気だった。日頃は明るく陽気な彼女だが、こういう激しい気性も持ち合わせているのだろう。
陽子の姿が見えなくなった頃、今まで話題にされていた
「あら。探偵屋さんは、こんなところに避難していたのね」
皮肉っぽい口調だ。どうも私は、この女性が苦手だった。
「いや、避難というわけでは……」
「まだ、しばらく村に
この後の、私自身の行動に関する質問だ。これは、適当に受け流すわけにもいかない。
「ええ、そのつもりです。故人に頼まれた件もありますからね。でも、いわば後ろ盾となっていた一義さんも直樹さんも亡くなった今、そういうわけにもいかないのでしょうか?」
今まで私は、あくまでも緋山家の客人だったはず。こうして葬儀も終わってしまうと、村に残る口実もなくなってしまうかもしれない。一応『口実』としては、事件の謎を解くことを一義にも直樹にも朝子にも頼まれたはずだが、それは口実としては弱いようにも思えた。
「構わないわ。もうしばらく、村にいなさい」
信子が、意外なことを言い出した。
「緋山家も死に絶えてしまったわね。あれだけ朝子が『自分だ』と言い張って死んでいったというのに、緋山家滅亡の背後に蒼川家が絡んでいると考える者が、かなり村の中にいるようだわ」
いつのまにか信子は、怒りをにじませた口調になっていた。
「困った話ね、まったく。朝子も、自殺するならするで、きちんと事情を説明してから死ぬべきだったのに」
さすがに、この発言は傲慢だと思う。だが相手は『蒼川の御当主』だ。グッとこらえて、私は無言を貫いた。私の内心には気づかぬ様子で、信子は続ける。
「朝子は、死んでいく時、あなたを指名したそうね? あなたが不明な点を全て解き明かすから大丈夫、って」
信子は、私の胸に、指を突きつけた。
「だから、探偵屋さん。あなたが何とかしなさい。いいわね、これは『蒼川の御当主』直々の厳命よ」
それだけ告げると、私の返事も聞かずに、信子は宴席に戻っていった。「調査経過を毎日報告しろ」と言われなかっただけ、まだ運が良かったと思っておこう。とてもじゃないが、毎日あの女性と顔をあわせるのは御免だ。
それにしても、不思議なものだ。最初は、一義に頼まれた。そして直樹にも頼まれた。二人が死ぬと、死に際の朝子から頼まれ、今度は信子だ。次々と、私に探偵役が押し付けられていく。
「不思議なものだな」
まるで私の心理を読み取ったかのような声が、背後から聞こえてきた。
驚いて振り返ると、
それからしばらくは、誰も近寄ってこなかった。
私は一人、柱にもたれかかり、目を閉じて夜風にあたっていた。頬をなでる風が、涼しくて心地よい。
ふと人の気配を感じて目を開けると、右隣に
「何だか、他人のような気がしませんわ」
突然、おかしな言葉を珠美が口にする。むしろ言われた私の方が、動揺してしまった。
「え? それは、一体どういう意味で……」
「あら、ごめんなさいね。急に変なこと言って……。きいちろうさん、あなたを見ていると、亡くなった主人を思い出しますの」
亡くなった主人。
いつもは、この女性を見て「蒼川三姉妹の長女」と思ってしまう私だったが、こういう言葉を聞かされると、彼女が『蒼川珠美』ではなく『
珠美が、私から視線をそらして、外へ顔を向けた。今度は、私が彼女の横顔を見つめる形になる。最初に出会った時の印象のように、やはり私は、彼女の横顔を「美しい」と感じて、少しの間、見とれてしまった。
遠くを見つめたまま、彼女は話を続ける。
「主人が亡くなって一週間くらい、私は何も出来なくて、泣いてばかりいましたの。でも、その後は、涙が枯れるのに合わせて、思い出も消えてしまって……。あの人のことを思い出そうとしても、記憶の底から出て来なくなったの。もちろん、楽しいことがあったという事実は覚えているけれど、その『楽しかった』光景を思い浮かることが出来ない。『楽しかった』という実感も湧いてこない……」
話の内容にもかかわらず、そうやって語る彼女の姿は、高名な画家が描く絵のように神秘的だった。もしかしたら私は、月の光による魔法にかかっていたのかもしれない。
「最近では、もう、あの人の顔も思い出せないくらい。でもね、きいちろうさん」
彼女は再び、私に顔を向ける。
「あなたが村に来てから、時々、主人の顔を思い出すようになったの。以前は、主人のことを考えると心が苦しくなったけど、不思議なことに、今では、何の痛みも伴わずに思い出せるようになったわ」
「それは……。時間が癒してくれたのではないですか? しばらく思い出せなかったという、その空白の期間が」
私の言葉に対して、珠美は微笑みを見せてくれた。
「そうなのかしら? それにしても、不思議ね。どうして、きいちろうさんを見ていると、主人の顔が頭に浮かぶのでしょう? もちろん主人は、そんなに髪も髭も伸ばしていませんでした。でも、どことなく……。背格好とか、輪郭とか、似ているのかもしれませんね」
「私の背の高さは、平均的だと思います。顔立ちも、ごくごく普通で特徴がありません。似ている人間なら、それこそ、ごまんといるでしょう」
軽く笑いながら、私は答えた。
「そうかもしれないわね。それに、だいぶ性格は違うみたい。主人は、頼りがいのある人だけれど、頑固で強情で……。何でも一人で決めてしまう人でした」
ここで、急に我に返ったように、彼女は話を締めくくった。
「あら、ごめんなさい。私ったら、一方的に、じめじめとした話を……。それに、少しあなたに失礼なことまで言ってしまったみたい。お酒のせいかもしれないけれど、それを言い訳にできるほど、私も若くはないから……」
「そんなことないです。珠美さんは、十分若いですし、それに美しい……」
私の方こそ、お酒のせいかもしれない。今ここで『美しい』とまで言うつもりはなかったのに。
でも彼女は、私の言葉を大げさに受け取ることはなかった。
「あら、お上手。とにかく、この話は、もう終わりにしましょうね」
「いや、構いませんよ。珠美さんが、まだ話したいのであれば……。話を聞くだけしか出来ませんが、いくらでも私が、お相手しましょう」
むしろ私の方が、会話を終わらせるのは、後ろ髪を引かれる思いだったのだが、
「ありがとう。きいちろうさん、優しいのね。まだ話は続けたいけど、話題は変えましょう。それに……」
珠美は、室内の方へと目を向ける。見れば、私が出てきた時と比べて、騒々しさも収まった感じだ。人数自体も、少し減っているようだった。
「……きいちろうさん、場所を変えましょう。何か飲みながら、ゆっくり座って話しましょう。どうかしら?」
二つ返事で頷いた私は、珠美に連れられて、酒の席へと戻っていった。
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