第九章「急転直下の告白」(日尾木一郎の記録)

   

 緋山ひやま一義かずよし自殺説。

 直樹なおきの部屋で私の頭に浮かんだ考えは、これだった。だが木田きだ巡査は、これを聞いて、急速に興味が冷めてしまったらしい。

「ようやく探偵らしい推理を始めたかと思えば……。そんな突拍子もない内容ですか。では、聞きますがね。一義さんは何のために、自ら命を絶つような真似をしたのです?」

 そこまで考えていなかった。

「それは……。陽子ようこさんとの結婚に関して、何か問題が起こったとか……? いや、直次なおつぐさんや良美よしみさんの事件がらみかな? 彼らの死が事故や自殺ではないと示すために、殺されたとしか思えない死が必要だった、とか……」

 我ながら、苦しい理論展開だ。動機に関して追求されると、この説は脆くなる。私の渋い顔を見て、木田巡査は苦笑していた。

「一義さんと陽子さんの仲は順調でした。問題といえば、彼らの結婚に蒼川そうかわの御当主が反対していますが、それだって、何も今に始まった話ではないですしね。良美さんや直次さんの事件が関わるとしても、自殺まですることはない。第一、一義さんは正義感の強い人でしたから、そのようなインチキは好まないでしょう」

 正義感云々の前に「既に起こったしまった事件が事故や自殺ではないと示すために、自分が自殺する」というのは、そもそも本末転倒だろう。

 だが、こうして話をしているうちに、私は新たな可能性を思いついた。早速それを口に出してみる。

「一義さんが部屋に入ったのは、村長だけでなく、規輝のりてるさんも見ていましたね。でも、それから珠美たまみさんが来るまでの間、部屋を見張っていたのは、村長一人。もしも村長が犯人であるなら……」

 私が最後まで言い切る前に、木田巡査は首を横に振って、力強く否定する。

「その可能性ならば、とっくに検討済みです。規輝さんが行ってしまった後で、一義さんを殺して、何食わぬ顔で座っていたところに、珠美さんが来た……。確かに、そう考えれば、不可能犯罪ではなくなるでしょう。だからこそ、花上はなうえ先生に来てもらったのです」

 先ほどまで花上医師がいたのは、別に世間話のためでもなければ、あの血文字について検討するためでもなかったらしい。

「一義さんが殺された時刻について、詳しく問いただしたのですが……。発見された直前だ、と断言されてしまいましたよ。ならば、村長が一人でいた頃、つまり珠美さんが来る前は、まだ一義さんは生きていたことになります」

 やはり木田巡査は色々と考えている。だが、これで、ますます難しくなった。今これ以上、この謎について話し合っても、解決策は浮かびそうもない。木田巡査も同じことを考えたとみえて、話題を変えてきた。

「そんなことより……。例の封筒には、何が入っていました?」


「ああ、それについては、私も相談したいと思っていました」

 持参してきた二枚の写真を、木田巡査に見せる。ついでに、既に浜中はまなか朝子あさこが写真を見た、ということも述べると、

「確かに朝子さんの言う通り、これは生まれたばかりの規輝さんですね。それまでが女の子ばかりだったせいか、彼が生まれた時、蒼川の御当主は――当時はまだ御当主ではなく『信子のぶこ様』でしたが――、たいそう喜びましてね。この写真を、常に持ち歩いていたくらいです」

 だが、もう一枚の写真に関しては、木田巡査は何も知らなかった。

「こんなことなら、花上先生が帰る前に、封筒の話をするべきでしたねえ。先生は、この村のほとんどの出産に立ち会っていますし、何かあった時に診察をするのも先生だけです。だから先生なら、この写真が誰なのか、見ればわかったでしょうに」

 それならば、花上医師に見てもらえば、写真の主については解決しそうだ。

「しかし、一義さんの残したものが、これだけだとすると……」

 木田巡査は、また何か考え始めたようだ。

「彼は、規輝さんを怪しんでいたのでしょうね。確かに、一連の事件が始まったのは、規輝さんが村に戻った後だ。それに、動機も十分にある。緋山家が全滅した場合に遺産を相続するのは、規輝さんですからね」

 木田巡査の言葉を聞いて、列車の中での会話が、私の頭に自然に浮かんできた。確かに一義は「どちらかの家が死に絶えた場合、残った家の最年少者が財産を受け取る」と言っていた……。

 あの時の一義の様子を私が思い出している間に、木田巡査は、さらに話を進めていた。

「でも、違いますね。規輝さんは、一義さんを殺すことは出来なかった。絶対に……」

「……え? どういう意味です?」

 状況的には不可能犯罪なのだから、その意味では、誰であっても一義を殺すことは不可能と言えるだろう。しかし木田巡査の言い方は、そういうニュアンスではなさそうだ。特に規輝にだけ『不可能』となる強い理由がある感じだった。

 私が難しく考えるまでもなく、私の質問に対して、すぐに木田巡査は答えてくれた。それも、決定的な答えを。

「規輝さんは、一義さんが殺された頃、私と一緒に、この駐在所にいたのです」


 前夜の惨劇が嘘のように、空は晴れ渡っていた。雲ひとつない青空の下、少し午後の日差しが暑い中を、私と木田巡査は歩く。彼は一義殺害現場をもう一度調査したいということで、私たちは緋蒼屋敷へ向かっていた。歩きながらも、駐在所での会話は続いている。

「規輝さんが私のところに来ていたのは、自説を披露するためでした」

 規輝が木田巡査に話して聞かせたのは、緋山直次生存説だった。

 発見された死体は、顔が判別不能だったのだから、別人のものだとしても不思議ではない。直次は死んだように見せかけて、実は生きているのではないか……。

「こんな考えを規輝さんが持ち始めたのは、例の幽霊騒ぎがきっかけだったようですね。ぼんやりと白っぽい、人影のようなものが動くのを、二人で目撃して、珠美さんが幽霊だと言い出した。でも後になって規輝さんは、隠れ潜んでいた人間だったのではないか、と思い始めたらしいです。そしてコソコソ隠れている者なら、死んだはずの人間に違いない、という考えに行き着いた」

「その想像通りなら、大規模な捜索が必要でしょうねえ。幽霊騒動の時は屋敷に来ていたとしても、普段は山にでも隠れ住んでいるのでしょうか?」

 しかし木田巡査は、私の問いかけを吹き飛ばすかのように、大きく首を横に振った。

「いやいや。直次さんが生きているなんて、馬鹿げた発想ですよ。まあ私も、その場で否定するような、大人げない真似はしませんでしたけどね。だいたい、何のために死んだふりなんてする必要があるのです? それに死体の判別は、顔だけで行うわけじゃない。専門家や家族が見れば、少しくらい顔がわからずとも、誰の死体なのか一目瞭然です。医者の花上先生だって、直次さんの知り合いでしたからね」

 規輝の駐在所訪問に関しては、以上で話も終わりだった。しばしの沈黙の後、良い機会だから、私は聞いてみることにした。

「規輝さん以外は……。他の人々は、一義さんが殺された頃、どこにいたのでしょう?」

「きいちろうさん、あなたと一緒だった人に関しては、今さら語る必要はありませんね。あとは御当主たちですね。まず……」

 そう、村長である浜中はまなか大介だいすけと、蒼川の三姉妹――珠美・華江はなえ・陽子――は、あの場にいたから聞くまでもない。蒼川規輝についても今聞いたので、残りの関係者は、緋山ひやま直樹なおき、蒼川信子、浜中朝子の三人ということになる。

「……蒼川の御当主は、自分の部屋にいたそうです。朝子さんと長話をしていたと言っていましたが、これについては朝子さんも証言しているから、間違いありません。緋山の御当主は、いつものように部屋で一人で寝ていたようです。特に誰も確かめたわけではありませんが、あの通り、動ける体ではないですからねえ。疑うまでもないでしょう」

 つまり、関係者全員にアリバイがあることになる……。


 ここまで話す間に、私たち二人は、かなり緋蒼屋敷に近づいていた。ふと屋敷の方を見れば、こちらに向かって誰か走ってくる。

 浜中朝子だ。

 彼女は昨日、駐在所から立ち去る時「駐在さん、また明日」と言っていたから、木田巡査に会おうとしているところなのかもしれない。それならば、駐在所まで行く手間が省けただろう。

 私は最初そう思ったのだが、どうも様子がおかしい。彼女は、全速力で走っていた。私たちのことも、目に入っていないらしい。

「やあ、朝子さん。いったい……」

 木田巡査が声をかけても無視して、朝子は私たちの横を駆け抜けていく。

「尋常ではない様子でしたね。今のは何でしょう?」

「きいちろうさん、私にもわかりません。あんな朝子さんを見るのは初めてだ。これは、予定を変更して……」

 私たちが朝子を追うつもりできびすを返そうとした時、屋敷の方から――つまり朝子が来た方角から――、叫び声が聞こえてきた。

「彼女をつかまえて!」

 陽子が、朝子を追いかけるように走ってきたのだった。

 よく見れば、陽子一人ではない。かなり距離はあるが、華江も珠美も続いている。さらにその後ろから、村には似合わぬ都会的な服装の、若い男も追いかけている。この男が、先ほど話題にしていた規輝だった。

 全員、口々に何か叫んでいるが、私と木田巡査が聞き取れたのは、先頭を走る陽子の言葉だけだった。

「朝子さんが! 緋山の御当主を殺したの!」

 まるで彼女の言葉が徒競走の合図であったかのように、私は朝子を追って走り出した。

「そんな馬鹿な……」

 後ろで木田巡査が呟いている。彼は一瞬その場に立ちすくんだが、すぐに私に続いて走り出したようだ。

 朝子は、驚くほど速かった。後で知ったことだが、若い頃の彼女は村一番の俊足と言われていたらしい。その脚力は四十を過ぎた今でも健在だった。逃げる朝子と、それを追う私たち六人との追いかけっこは、結局、永瀬沼ながせぬままで続いた。


 永瀬沼のほとりで、朝子は立ち止まった。以前に私が釣りを試みた場所ではなく、崖になっている部分だ。

 華江と陽子から聞いたので、私も知っている。ここは、緋山良美の死体が発見されたという崖だ。一本の大木が生えている。遠くからでは感じなかったが、近くで見ると、どことなく不気味な印象のある木だった。死体がぶら下がっていたという話を聞いてしまったせいだろうか。あるいは、枝の曲がり具合が人の体を連想させる形だからだろうか。

 朝子は、その木にもたれかかった。さすがに疲れたようで、肩で息をしている。それでも彼女の声は、彼女を取り囲む私たちまで、はっきりと届いていた。

「近寄らないで。一人でも近寄ったら、飛び込むわ」

 その言葉で、私たちは動けなくなった。いや、六人とも走り疲れて、これ以上は動きたくないという気持ちもあったかもしれない。

 私たちが静止したのを確認するかのように、朝子は六人の顔を見回す。最後に私を見据えてから、彼女は、ゆっくりと目を閉じた。そして、

「ごめんなさい」

 ささやくような声で一言だけ告げると、沼に身を投げた。

 彼女の『一人でも近寄ったら』は嘘であり、最初から、そうやって周りの動きを止めた上で、飛び込むつもりだったのだろう。

 この瞬間、私は、陽子の昨日の言葉を思い出していた。『本当の底なし沼になっているの』『あそこに落ちたら助からない』『死体すら上がってこないでしょうね』という三つの言葉が、渦をなすかのように、私の頭の中でぐるぐると回っていた。

 そう、朝子は底なし沼に飛び込んだのだった。私たちが何も出来ない内に、彼女の体は、どんどん沈んでいく。目を閉じたまま、朝子は口を開いた。

「すべて私がやりました。良美さんも、直次さんも、一義さんも、そして御当主も……。みんな私が殺しました」

 木田巡査が駆け寄る。崖から身を乗り出して、朝子に手を伸ばすが、とても届かない。それでも手を引っ込めることなく、そのまま声をかけた。

「朝子さん、なぜ……」

 木田巡査の声は震えていた。涙こそ見せていないが、彼は泣いていると私は感じた。

 彼の言葉を受けて、朝子が目を開く。

「世の中って、信じられないことも起こるものだわ。駐在さん、今まで色々とありがとう。それが、こんな結末になって……。ごめんなさい」

 問いかけの答えになっていなかったが、声に出してそれを非難する者は、誰もいなかった。代わりに聞こえてきたのは、女性のすすり泣きだった。誰かが泣き出したのだろう。

 だが、その場の雰囲気に飲まれている場合ではなかった。私には確認すべきことが残っていた。木田巡査のように崖際まで駆け寄り、私も朝子に質問する。

「教えてください、朝子さん。どうやって一義さんを殺したのですか?」

 朝子は、目だけを私に向ける。すでに彼女は、首まで沼に浸かっていた。

「ごめんなさい。もう説明している時間もないようです。でも、きいちろうさん。あなたならば、きっと解き明かせるでしょう。後のことは、よろしくお願いします」

 これが、彼女の最後の言葉となった。まもなく彼女の姿は、完全に見えなくなってしまった。

 浜中朝子の最期だった。

   

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