第十一章「宴席の翌日」(日尾木一郎の記録)

   

 朝の日の光が眩しい。いや、太陽は既にかなり高い位置まで登っているから、もはや朝日と言ってはいけないのかもしれない。

 葬儀の翌朝、私の起床は遅かった。少し頭が痛いのは、二日酔いだろうか。どうやら緋蒼村の酒は、私が思っていた以上に強いものだったらしい。屋敷の他の者たちは、いつも通りに起きたようで、遅い時間に朝食をとったのは私だけだった。彼らは村の酒に慣れているから、二日酔いに悩まされることもないに違いない。

 ズキズキする頭を抱えて、私は駐在所に向かった。

 良い天気だ。私が村に来てからは毎日、晴天が続いていた。そんな中を歩くうちに、頭痛も少しは治まってきた気がする。


「やあ、きいちろうさん。昨晩は、ご機嫌でしたなあ」

 駐在所に着いた途端、木田きだ巡査に笑われてしまった。花上はなうえ医師も来ていたが、彼も私を見て笑みを浮かべている。私としては、笑い返すしかなかった。

「ははは……。緋蒼村の酒が、あんなに強いとは知らなかったもので……」

「村の酒が強いじゃと? 何を言うとる。単に、飲み過ぎただけではないか」

 花上医師には一蹴されてしまう。

「そう言われると、いやはや……。実は自分でも、昨晩何をしていたのか、あまり記憶がないのです」

 正直な告白だった。もちろん、縁側で何人かと話をしたのは、はっきりと覚えている。問題は、葉村はむら珠美たまみと二人で、部屋に戻った後の出来事だ。

 部屋の隅に並んで、二人で飲み始めた。そこまでは、まだ記憶がある。しかし、その先は曖昧だった。「あら、きいちろうさん。かなり、お強いのね」という彼女の言葉は、何となく頭の片隅に残っているが、それが夢や幻ではなく現実だとしたら、私は相当なペースで飲んでいたことになる。

「そんなことでは駄目ですなあ。私はね、いずれ犯人がボロを出すんじゃないかと思って、昨日の葬式でも皆の様子を必死に観察していたのですが……。目立っていたのは、あなたと規輝のりてるさんくらいでした」

 木田巡査の言葉を聞いて、少し心配になった。私は一体、どんな大失態をやらかしたのだろうか。そんな不安が顔に出たらしく、木田巡査は、私を慰めてくれる。

「いやいや、心配することもないですよ。きいちろうさんは、泥酔状態が際立っていただけですから。もしかしたら、あれは実は演技であって、本当は油断させた上で人々を観察しているのかも……。そうも私は考えたのですが、完全に期待外れだったわけですな」

 勝手に期待されても困る。

「無害な酔っ払いだったから、安心せい。ただ、歌い出したのには、辟易したがな」

 と言う花上医師に続いて、木田巡査が、その詳細を述べる。

「そうそう。『俺は声の魔術師だ』とか叫びだして……。あれが都会で流行はやっている歌ですか? でも酷い音痴でしたなあ。まあ歌声そのものは、確かに美しい響きでしたが、あれでは……」

「美声と音痴と、あまりにも極端じゃったな。何よりも、その落差に、わしは驚かされたぞ。もしかすると、そうやって驚かすのが『魔術』かの?」

 花上医師がニッと笑うと、釣られたように、木田巡査も白い歯を見せる。

 まあ、それくらいの醜態なら、良しとしよう。とりあえず、私は安心した。

 さて、冷静になって頭を使い始めると、木田巡査が発言した中に、少し気になる部分が出てくる。

「今『規輝さんが目立っていた』と言いましたね? どういう意味です?」

 木田巡査が答えるより早く、花上医師が応じた。

「きいちろうさん、あんたは覚えてないだろうがな。あの場で、緋山家の遺産額が公表されてのう。わしらには目が回るほどの大金なのに、どうやら規輝君の想定していた額には届かなかったらしい。それまで笑顔だったのが急に暗くなって、浴びるように酒を飲み始めた。どう見ても、自棄ヤケ酒じゃな」

 なるほど、私の記憶が欠落している間に、そんな出来事があったのか。

「では、それはいいとして、もう一つ。『いずれ犯人がボロを出す』とは? 犯人の朝子あさこさんは、もう死んでしまったのに……」

 私の『朝子さん』という言葉に、木田巡査の表情が険しくなる。

「きいちろうさん、それは違う。朝子さんが犯人だなんて、私には、とても信じられない。真犯人は、別にいるのです」

 それだけ言うと、彼は黙り込んでしまった。そんな木田巡査を見て、花上医師が言葉を続ける。

「ずっとそんな説を聞かされるうちに、わしも、そんな気がしてきたぞ」

 私が来るまで、二人は「朝子は犯人ではない」という議論を続けていたらしい。


 しかし、少なくとも緋山ひやま直樹なおきの殺害現場には、複数の目撃者がいたのだ。

 直樹に呼ばれて、部屋に来ていた蒼川そうかわ陽子ようこ。呼ばれもしないのに、陽子についてきた蒼川そうかわ華江はなえ。そこへ、お茶を運んできた朝子が、お盆の下に隠し持っていた包丁を突然、直樹の胸に突き立てたのだった。

「もちろん、緋山の御当主が殺された状況は、わしも聞いておる。だからあの事件に限っては、彼女の仕業に間違いない。だがその件にしても、他の三人の事件にしても、まるで動機がわからない。気が変になっていたんじゃないか、という声もあるようじゃが、それは違う。医師として断言できるが、彼女は、頭はおかしくなかった」

 聞き流しそうになったが、花上医師の言い方には、少し気になるところがあった。引っかかるのは、最後の部分だ。まるで強調するかのように、わずかに『頭は』という言葉を力強く発言したような感じがあったのだ。

「待ってください。今の『頭はおかしくなかった』という言葉……。何か含みがあるような言い方でしたが、どういう意味です?」

 私の指摘に対して、花上医師が「しまった!」という顔になった。では強調してみせたのではなく、無意識のうちにアクセントがついただけだったのか。どちらにせよ、何か事情があるようだ。

 花上医師の態度を見て、木田巡査も顔を上げて、もの問いたげな視線を向ける。ため息をついてから、花上医師は話し始めた。

「頭は正常だったが、体は違っていたのじゃ。やまいに蝕まれていてのう。おそらく、余命半年……。本人には告げていなかったが、気づいておったと思うぞ。あの通り、カンの鋭い女性だったからの」

「そんな……」

 木田巡査は絶句し、それを見た花上医師は、声もかけずに立ち去ろうとするが……。

 私は、花上医師に用があったことを思い出す。

「ちょっと待ってください。この写真を見てください」

 取り出したのは、緋山ひやま一義かずよしが残した写真だ。例の正体不明の赤ん坊が写っているものだった。

「わからんな。おや、そちらの手に持っているもう一枚は、規輝君じゃな」

「そうです。おそらく同じ頃に生まれた赤ん坊だと思うのですが」

「ふむ。ならば、わしは力になれん。規輝君が生まれたのは、わしが珍しく大病をして、何ヶ月も寝込んでいた時期だったからのう。おかげで出産にも立ち会えず、蒼川の御当主から、かなり怒られたもんじゃ。わざわざ隣村から産婆を呼んできて、大変だったとか」

 花上医師から聞き出せた話は、これだけだった。彼が帰っていった後も、木田巡査は何か考え込んでいる様子だった。

 私も退散した方が良さそうだ。一応、帰る前に一言だけ告げておこう。

「死に際に嘘は言わないでしょうから、朝子さんが犯人だという証言は信じてあげましょうよ。一義さん殺害の方法など、確かに、いくつか未解決の謎が残りましたが……。これについては、朝子さんに頼まれた通り、私が解き明かしてみせます」

   

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