第十二章「一応の解決」(日尾木一郎の記録)
「わかりました!」
その日。
私は叫びながら、駐在所に駆け込んだ。
「どうしたのです、そんなに興奮して……。それに、何ですか、その姿は? また沼にでも落ちましたか?」
もともと服装に無頓着な私だが、この日は確かに、いつも以上に汚れていたのだろう。
「違いますよ。
この村に来て以来、私は毎日のように駐在所を
緋蒼村に
「また何か、頓珍漢な推理でも思いついたのですかな。それなら、私も一つ、考えましたよ」
木田巡査の言葉で、ハッと我に返る。もしかすると、彼は真相に気づいたのでは……?
「実はね、きいちろうさん。少し前に、
陽子は、一義と結婚するはずだった女性だ。葬儀の後、あの縁側で私と話をした時も、復讐心を垣間見せていた。彼女が事件について熟考していたとしても、何も不思議ではない。
「……いざ話し始めると、すぐに口ごもってしまいましてね。結局、肝心の内容については口を閉ざしたまま、帰ってしまいました。どうやら、よほど言いにくいことだったらしい。でも、その時の彼女の態度から、私には想像できたのです。陽子さんは真犯人を目撃したのではないか、と」
「真犯人を目撃した……?」
驚いた私は、思わず彼の言葉を繰り返してしまった。
「ええ。あの日、きいちろうさんたちが屋敷に戻って、村長や
殺された時、あの部屋で一義は、一人で私を待っていた。他に誰も入らないよう村長が見張っていたわけだし、途中からは、珠美も一緒だった。私が屋敷に戻った後は、
「きいちろうさんたちが入り口で話している間に、犯人は東棟あるいは西棟から来て、こっそり部屋に出入りしていたのです」
「いやいや、それならば私たちの誰かが気づいていたはず……」
「そこが心理的な盲点なのです」
木田巡査は、自信たっぷりに言い切った。
「一見、人が増えれば、それだけ監視の目も多くなるように思えるでしょう。でも、だからこそ、気が緩むのです。自分以外が見ているはずだから、という無意識の心の緩みが生じるのです。……おそらく皆、会話に夢中になってしまい、見張りがおろそかになっていたのでしょうね」
可能性としては、限りなく低いが、全く考えられない話でもないだろう。それに『心理的な盲点』とか『無意識の心の緩み』とかいった言葉を使われると、なんだか言いくるめられてしまいそうだ。
木田巡査は、そんな私の表情を見て、さらに自説への確信を強めたようだった。
「しかし、誰もはっきりとは目撃しなかったとしても、チラッと人影を目にした人くらい、きちんといたのです。『犯人を見た』という意識ではなく、『何か見たかもしれない』という程度の、無意識の目撃者……。それが陽子さんだったのです」
断定的な口調だが、完全に木田巡査の想像に過ぎない。それでも私は、表立って反対することもなく、
「なるほど。当時の状況を何度も思い返すうちに、今頃になって気づいたわけですね。自分が何か現場に似つかわしくないものを見た、ということに。それが犯人の姿だったのだ、という可能性に」
「そうです。話そうと思って、ここまで来ておいて、それでも話さずに帰ってしまったのは……。確実な目撃ではないからこそ、ためらったのでしょうな」
そう言って締めくくった木田巡査は、かなり得意げだった。こうなると、もはや私の説を披露する必要もないかもしれない。しかし、胸にしまい込もうとした私の考えを、あえて引っ張り出したのは木田巡査だった。
「ところで、きいちろうさん。あなたも、何か閃いたのでしょう? 一応、聞かせてもらいましょうか」
「まあ、聞きたいというのであれば……」
私は、いったん頭の中を整理してから、話し始める。
「以前に、一義さん自殺説を考えたことがありましたね。あれは『そもそも犯人の出入り云々を議論するのが間違っていたのでは』という疑念から始まった発想でした。今回は『私や村長たちが見ていた場所を犯人も通ったはず、という前提が間違っていたのでは』というところから、考えてみました」
「ですが、そこを通らなければ、あの部屋には辿り着かないでしょう?」
「それは、普通に廊下を通って、障子戸を開けて部屋に入る場合です。私が思うに、犯人は部屋の入り口を使ったわけではないのです」
「おやおや。では、どこから? 壁でも通り抜けて来たのでしょうか?」
木田巡査は、私の説を笑い飛ばした。私の言っている内容が馬鹿げているというより、自説に強い自信があるからこそ、こうした態度になるのだろう。
「いいえ、さすがに壁ではなく……。いや、お見せしましょう。私の想定通りならば、それこそ明確な物的証拠が残っているはずです」
私は木田巡査を駐在所から連れ出して、二人で緋蒼屋敷へと向かった。
「あまり時間がかかるようなら、降ってくるかもしれませんな」
木田巡査の言葉に、私は、ふと空を見上げた。珍しく天気は快晴ではなく、空一面、灰色がかった雲に覆われている。
とりあえず屋敷に着くまでの間、雨は一滴も落ちてこなかった。私たちは、一義の殺された部屋へ直行する。私が宿泊する部屋を移ったことで、今は誰にも使われていない部屋だ。ただし私も木田巡査も、調査目的で何度か訪れていた。
「この部屋は、もう調べ尽くしたはずなのに……。今さら、何があると言うのです?」
木田巡査は不満そうだ。自分の捜査に落ち度はない、と言いたいのだろう。私としても、別にケチをつけたいわけではない。そう聞こえないよう、慎重に言葉を選びながら説明する。
「ええ、何度も何度も調べましたね。今までの前提では調べ尽くしたでしょうから、今回は、別の見地に立って調べてみよう、というわけです」
この言い方ならば、大丈夫だろうか。
「先ほど話したように、犯人はこの障子を開けずに入ってきた、という見方で考えるのです。そうなると……」
私は、左右の壁を見渡した。
「どこかに、私たちの知らないような、秘密の出入り口があることになります」
「何を馬鹿なことを……。ここは、
「いや、私だって『壁の裏側の隠し通路』みたいな、仰々しい抜け穴なんて考えていません。もっと簡単な細工で、出入り口が作れるんじゃないかと……」
ここで視線を上に向けて、その姿勢のまま、言葉を続けた。
「現実ではなく、探偵小説の話で恐縮ですが……。天井裏を徘徊する、という物語を読んだことがありましてね。ただ歩き回るだけでなく、部屋の様子を覗いたり、時には秘密裏に部屋まで降りてきたり……」
どうやら木田巡査にも、私の言いたいことが伝わったらしい。視線を戻すと、明らかに表情が変わっていた。先ほどまでの、冗談を笑い飛ばす顔ではなく、真剣な警察官のものになっている。
「きいちろうさん、ちょっと、ここで待っていてください」
部屋から出ていった木田巡査は、まもなく、村長を連れて戻ってきた。村長には、脚立を持たせている。
「きいちろうさんの言う通り、もしも犯人が天井から出入りしたのであれば……。どこかの一角が簡単に外れて、屋根裏への扉になる、ということですな」
私と村長が支える脚立に、木田巡査が上がって、天井を調べ始めた。下からコツコツと叩いてみたり、思いっきり押し上げてみたり、あちらこちらで試している。もちろん、脚立を同じ場所に固定したままでは探れる範囲は限られてしまうので、脚立も頻繁に移動させなければならない。その度に木田巡査は登り降りするので、結構大変な作業となった。そうやって部屋中に脚立を動かして、見える範囲内の全ての天井を調べたつもりだが、結局、何の収穫もなかった。
「きいちろうさん。どうやら、あなたの推理はハズレだったようですね」
疲れた表情で語る木田巡査。別に私を責める口調ではないが、こちらとしては、少し罪悪感もある。
「そうですねえ。これだけ調べても、それらしき場所がないというなら……」
私は、視線を押入れに向けた。
「ああ、そうか。耳なし芳一じゃないですが、これは、とんだ見落としだ」
木田巡査は、よくわからない例え話を口にしながら、押入れに入っていく。中は二段になっているので、脚立など使わずに、簡単に天井に手が届いた。
「あった。きいちろうさん、ここの天井板が一枚、外れるようになっています!」
木田巡査に続いて、私も押入れの中へ入る。そして二人で、天井裏へ這い上がった。当然のように暗くて何も見えないが、蜘蛛の巣だらけということだけは察知できた。
「村長さん、ここを明るく出来るような物、頼みます」
すぐに、村長が懐中電灯を持ってきてくれた。それで屋根裏を照らしてみると、私たちのごく近くだけ、蜘蛛の巣は少ない。ここだけ何故特別なのか、その理由は明白だった。私は、それに懐中電灯の光を向けながら、木田巡査に告げる。
「ほら、埃の様子を見てください。思った通りだ」
「なるほど、人が通った跡のように見えますなあ。きいちろうさん、おめでとう。ようやく、密室殺人の謎が解けたことになりますね」
木田巡査は、一応は私を祝福してくれたが、
「でも、これでいいのでしょうか。こういう『秘密の抜け穴』って、あなたや一義さんが好むような探偵小説では、邪道という扱いなのでは……?」
「いや、作り話である小説と比較されても……」
以前に木田巡査は、探偵小説を『一義さんが勧めるので私も読んだ』と言っていたが……。
どうも、そうした書物に少し毒されているのではないだろうか。あるいは、先ほどの自分の説を捨てたくなくて、目の前の現実を認めたくないのだろうか。
「とりあえず……。ここに誰かが通った形跡がある以上、これがどこへ続くのか、調べてみませんか?」
私は、さらなる説得の意味で、そう提案したのだった。
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