第十三章「幽霊騒動の土蔵で」(日尾木一郎の記録)
翌日。
緋蒼屋敷の敷地内を歩いている時に、私は
「やあ、きいちろうさん。何をしているのです?」
「ただの散歩です。私も少しは屋敷内に詳しくなりたい、そう思って、歩き回っていただけです」
「珍しいですな。きいちろうさんは、自分の足で調べて歩くことは嫌がる人かと思っていました」
「え?」
「だって、そうでしょう。実際に皆から話を聞いて回ったり、現場を詳しく調べたりするのは、いつも私だ。きいちろうさんは、私の捜査結果を聞いて、そこから考えるだけです。そういうの、探偵小説では『安楽椅子探偵』って言うのでしたっけ?」
いや、小説の中の『安楽椅子探偵』という形式は、完全に話を聞くだけだ。それと比べれば、まだ私は行動的だと思う。
「しかも、きいちろうさんの場合……。そうして導き出された大部分は、見当違いな迷推理なことが多い」
私は苦笑するしかなかったが、
「それでも、昨日だけは、お手柄でしたけどね」
あの後、木田巡査は、天井裏の埃――人が通った痕跡――をかなり詳しく調べていた。跡を辿っていけば、犯人がどこから屋根裏に上がったのか判明するはず、と思ったのだろう。しかし残念ながら、反対側の出入り口は特定できなかったらしい。埃の乱れた跡も、はっきりとしたものではなく、ぼやけた部分が多かったため、途中までしか追えなかったようだ。
「ああ、そうだ。せっかく、ここに来たのです。今度は、幽霊騒動を解決してみてください。ほら、あなたが来た日に、幽霊が出たという話があったでしょう? あれ、ちょうど、この辺りなのです。あの土蔵の白壁に、幽霊のような影が映っていたのです」
言われて私が後ろを振り返ると、木田巡査の視線の先に、土蔵があった。土蔵といっても、三畳半くらいの小さなものだし、古ぼけていて『白壁』もそれほど白くない。その周囲には何もなく、ポツンと孤立して建てられているのが、独特の雰囲気を醸し出していた。
「そして、幽霊を見た時、
木田巡査は、私の右側にある、こんもりとした茂みを指し示した。
その茂みに、私が目を向けた瞬間。
「きゃああああああああ」
「悲鳴だ!」
木田巡査の叫びに続いて、
「あそこです!」
私が指差したのは、たった今、話題に上がっていた土蔵だ。
「幽霊が出たという土蔵で、今度は何が起こったのか……」
私たちは、土蔵からは少しだけ離れた距離に立っていたのだが、すぐに駆け寄った。しかし、中には入れなかった。頑丈そうな錠前が、扉に設置されているからだ。洗練された都会の既製品ではなく、むしろ時代劇に出てくるような感じだ。無駄に大きな、古いタイプの錠前だった。
「鍵がかかっている……。ここの鍵を持っているのは、確か規輝さんだけのはず」
「私が探して、連れてきます」
その場を離れた私だったが、よくよく考えてみれば、規輝の居場所は知らない。仕方なく、うろうろ探していたら、村長の
「規輝さんがどこにいるか、知りませんか?」
「珠美さんの部屋で、二人で話をしています」
こういう場合は、ぶっきらぼうな村長の話し方も、かえって助かるというものだ。内容も簡潔で、余計なことを聞き返したりもしない。ところが、この日に限っては、少し状況が異なっていた。村長の方から、さらに私に話しかけてきたのだ。
「きいちろうさん、私だって馬鹿ではありません。一連の事件について、色々と考えてきました。そうすると、おぼろげながら浮かび上がってきた事実があるのです……」
「詳しく聞きたいですが……。すいません、今は急いでいますので!」
その場に村長を残したまま、私は珠美の部屋へ向かう。
村長の言葉通り、珠美と規輝は話をしていた。いつものように珠美は大人しい服装であり、一方、規輝は都会の若者が着るようなジャンパーを羽織っている。
「すいません、ちょっと来てください!」
私の様子から、尋常ではない事態が起こったのを、二人とも察したらしい。規輝は少し文句を言いたそうな顔をしながら、それでも私に従う態度を見せた。
規輝が立ち上がるのと同時に、珠美が心配そうに、表情を曇らせる。
「もしかして、また何か、良くないことが……?」
「幽霊が出たという土蔵から、悲鳴が聞こえたのです」
私が一言で事情を説明すると、
「まあ! ……では、私も行きましょう。お手伝い出来ること、何かあるかもしれませんから」
二人を連れた私が土蔵まで戻った時、木田巡査は、扉をガンガン叩いていた。
「中からは、何の返事もない」
彼は、軽く説明してから、
「さあ、規輝さん。鍵を貸してください」
「……鍵?」
規輝が、不思議そうに尋ね返す。今度は、木田巡査が同じ表情になって、私に目を向ける。
「ああ、すいません。手短に話をして、呼んできたのですが……。土蔵に鍵がかかっていて入れない、という状況は、説明し忘れました」
私が木田巡査に謝る横で、規輝は、あちこちのポケットに手を突っ込んで、鍵を探していた。結局すぐに、ジャンパーのポケットから、それらしき鍵が出てきた。ひったくるようにして木田巡査が受け取り、解錠し、ようやく扉を開ける。
「きゃっ!」
思わず悲鳴を上げたのは、珠美だった。
まあ、無理もないだろう。
私たち四人の目に入ってきたのは……。
「今度は、
木田巡査が、小声で呟いた通りだった。
そこには、
彼女の胸には、果物ナイフが深々と突き刺さっていた。その
噴きこぼれる血に対して蓋の役割を果たしているのか、陽子の体から流れ出る血は、わずか一筋しか見えない。
そして、それだけだった。他には誰もいなかった。何も残っていなかった。本当に、ただ死体だけが存在していた。
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