第七章「惨劇の後で」(日尾木一郎の記録)

   

 私は真っ青な顔をして、四人――村長と蒼川そうかわ三姉妹――のところへ戻った。尋常ではない私の様子を見て、四人の会話が止まる。

 静寂の中で、私は事情を説明した。

 悲鳴をあげて、その場に崩れ落ちる陽子ようこ。だが彼女は、そのまま這ってでも現場へ行こうとする。

 それを二人がかりで止める、珠美たまみ華江はなえ

 村長は、木田きだ巡査を呼びに向かった。


 私は部屋に戻って、木田巡査の到着を待った。

 私の荷物は勝手に開けられて、本が数冊、ゆかに散らばっていた。しかし、そんな乱雑さは気にならなかった。異様な雰囲気が、部屋の隅から漂っていたからだ。そこには、胸から血を流した姿で、緋山ひやま一義かずよしが倒れていた。彼の命を奪ったナイフが、横に置かれている。

 まもなく、一人の初老の男を伴って、木田巡査がやってきた。後で知ったが、この同伴者は、花上はなうえという名前の医者だった。

 この時点で、まだ私は手足が震えていたらしい。木田巡査は、穏やかな声で、私に話しかける。

「人が殺されている現場を見たのは、初めてですかな? 最初の時は私も、そんな反応でしたよ」

 その間に、花上医師は、死体の様子を調べ始めていた。

「うむ。死んだばかりのようじゃな」

 触れただけでそう言ってから、さらに詳しく調べているようだ。その様子を眺めながら、私は木田巡査に説明する。

「帰ってきたら、この有様でした。見つけた時のまま、何も手をつけていない……つもりです。もしかしたら、気が動転して、どこか無意識のうちに触れてしまったかもしれませんが」

 木田巡査は「うんうん」と頷きながら、メモを取っている。

「荷物が荒らされているようですな」

「はい。あのナイフも、私の物です。ペーパーナイフの代わりとして、持ち歩いていたのですが……」

 日本の文庫本は丁寧に作られているが、今でも洋書のペーパーバックなどは、たまにページとページがつながっている場合もある。私は海外の探偵小説を好むので、時々どうしても読みたいのに翻訳されていない小説があって、仕方なく原書を購入することにしていた。

「ほう。犯人に無断使用されたのは、そのナイフだけですかな?」

 木田巡査の見ている前で、鞄の中身を確認する。

「……他には、くなっているものはありません」

 私は木田巡査に、そう答えた。

 そうやっているうちに、一通りの見聞を終わらせたようで、花上医師が言った。

「傷があるのは、胸のところだけだ。心臓を一突き、これが致命傷じゃな。即死、いや、ほぼ即死と言うべきか。あんなものを残せたわけだから」

 彼が指し示す先には、壁に描かれた文字のようなものがあった。一義が、自身の血で書き残したものらしい。血文字とでも呼ぶべきなのだろうが、それが何かの記号なのか、あるいは文字の一部なのか……。誰にもわからないようで、この場の三人は何も言わなかった。


 翌日、私は駐在所に呼ばれていた。

 緋蒼屋敷では、昨夜は遅くまで大変で、私は満足に食事も出来ないくらいだった。それでも、朝は普通にやってくる。一夜明けると、人々の動揺も少しは収まったらしい。朝食後すぐに、私は屋敷から出かけた。

 駐在所では、木田巡査が一人で考え込んでいた。私を見た途端、彼は口を開く。

「きいちろうさん。あなたや一義さんが好む本、一義さんが勧めるので、私も読んだことはありますが……」

 一義が木田巡査に探偵小説のたぐいを読ませたのは、単純に同好の士を増やしたかったのだろうか。あるいは、直次なおつぐ良美よしみの事件を調べる上で、木田巡査にも探偵小説的な思考を学んで欲しかったのだろうか。

「……そうした中に、ありましたね。閉ざされた部屋とか、ありえない状況で起こる事件の話が」

 彼が何を言いたいのか、私にもよくわかる。

「ああ、密室もののことですね。不可能犯罪なんて呼び方もありますが」

「そう、それそれ。そんなもの、あくまでも物語の中の話と思っていたのですが……」

 木田巡査は、大きく顔をしかめて、

「どうやら、それが現実に発生したようですな。なにしろ……」

 彼は要点をまとめ始めたが、わざわざ言われなくても、十分理解している話だった。


 一義と村長が部屋に来た時、そこには蒼川そうかわ規輝のりてるがいたが、すぐに帰っていった。その時点では当然、まだ一義は生きていたし、それは村長が確認している。以降、部屋には一義が一人だけ。そして村長が、部屋に誰も入らないように見張っていた。

 もちろん部屋のすぐ外で待機していたわけではないが、村長の場所から廊下を少し進んで、突き当たりを右に曲がれば私の部屋しかない。逆に左に曲がれば、東棟の他の部屋や西棟にも通じていたが、そちらから人は来ていないはず。もしも誰かが来れば、はっきりと村長の位置から見える『突き当たり』を通ることになり、目撃されてしまうのだから。しかも、途中からは村長だけでなく、珠美も一緒に見張る形になっていた……。


「そうした状況の中、きいちろうさんが帰ってきて、死体を発見したわけです。ならば犯人は、いつ、どうやって部屋に入ったのでしょうか?」

「そんなこと、私に聞かれても……」

 探偵役としては、この上なく頼りない返答だった。むしろ木田巡査の方が、色々と考えていた。

「もしかしたら、一義さんは一人で待っていたつもりで、実は一人じゃなかったのかもしれない。既に犯人は部屋の中にいたのかもしれない。例えば、押し入れかどこかに潜む形でね」

 言われてみれば、確かに、あの部屋には押入れもあった。それまで検討していなかった可能性を私が思い浮かべている間に、木田巡査は話を進めていた。

「でもね、仮にそうだとしても、今度は犯人は脱出できないわけです。一義さんは、ほぼ即死だったのですから、殺されたのは、きいちろうさんが屋敷に帰ってきた頃、あるいはその直前だったはず」

 ここで木田巡査は、また想定を二つに場合分けして、

「あなたが屋敷に帰る前に犯行を済ませて、犯人が部屋から抜け出したと仮定しましょう。その場合、村長と珠美さんに目撃される。でも、あなたが戻った後では、なおさら無理だ。村長と珠美さんに加えて、華江さんと陽子さんもいる。では脱出の機会がないなら、ずっと部屋に残っていたのかといえば、それこそありえない。すぐに事件が発覚して、私たちも部屋の内外を丹念に調べたのですから。そこで誰も発見できなかった以上、やはり犯人は、もう部屋から逃げ出していたはず」

 木田巡査は、ここで頭を左右に振った。まるで、せっかくまとめた考えを、自分で捨て去りたいかのように。

「そうなると、同じところに行き着いてしまう。犯人は、いつ、どうやって部屋に出入りしたのでしょう?」

 私には、何も答えられなかった。そのまま無言でいる私の前で、彼は机から、茶色い封筒を取り出した。

「一義さんから預かっていたものです。『万一の場合には、調査を引き継ぐ者に渡すように』と厳命されていました。あなたこそ一義さんの連れてきた探偵なのだから、これは、あなたが受け取るべきでしょう。おそらく、一義さん自身が調査した結果とか手がかりとか、色々と入っているはず……。きいちろうさん、あなたが後を託されたのですよ。あなたが頑張らないと、一義さんも浮かばれないでしょう」

 木田巡査は、その封筒を私に手渡しながら、最後に付け加えた。

「一義さんだけではありません。朝子あさこさんも、あなたを探偵だと言ったのですからね。朝子さんの直感を裏切るような真似は、やめてくださいよ」

   

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