第一章「列車の中の出会い」(日尾木一郎の記録)

   

 はるか昔。

 村には、三つの名家が存在したという。

 緋山ひやま蒼川そうかわ黄海おうみの御三家だ。しかし、黄海の家は流行病はやりやまいで死に絶え、『御三家』は『二大名家』となった。

 この二つの名家に牛耳られる形で、いつしか村は、緋蒼村ひそうむらと呼ばれるようになったらしい。

 地図の上では、どう記されているのか。この際、それは問題ではない。ただ、口さがない村人の中には、『緋蒼村』ではなく『悲壮村』という字をあてる者もいるという……。


 現在、そんな緋蒼村――悲壮村――へ行くには、ローカル線の終点から、さらに自家用車で三時間の行程を必要とする。緋蒼村は、東西南北の四方を山に囲まれており、外の世界とは完全に独立した、いわば閉鎖された村となっていたのだ。


 自称探偵小説家の私が、緋山ひやま一義かずよしと出会ったのは、そのローカル線を走るオンボロ列車の中だった。

「ほう、これはこれは……。珍しい。こんなところで、こんなものを読む人がいるとは……」

 文庫本を読んでいた私が、ふと顔を上げると、一人の男が立っていた。私の手にした本に、視線を向けている。車内には他に誰もいないので、一応、私に声をかけたつもりなのだろう。

 目の前の男は、明るめの灰色の背広を着た、三十歳くらい――私より少し若いくらい――の青年だった。私が読んでいた本以上に、この男の服装の方が、この場にそぐわないように思えた。それくらい、きちっとした印象を与える格好だったのだ。

 この時、私が読んでいた本は、推理小説だった。通俗小説というより、謎解きを主体とした、本格推理ものだ。しかも、日本の小説家の手によるものではなく、外国の作品を翻訳したものだ。いわゆる密室殺人を得意とする作家の小説だった。ローカル線の古びた客車で読むものとしては、確かにミスマッチ感もあるかもしれない。しかし男の『こんなものを』という言葉には、ネガティブなニュアンスではなく、むしろ親しみが込められていた。そう、彼もこうした小説を好むのだ。

 自然と、私は笑顔になった。それに応じる形で、彼も微笑みながら、言葉を続ける。

「しかも、あなたみたいな格好の人がねえ」


 初対面の会話は、後々まで消えることのない第一印象に繋がるかもしれない。普通ならば「嫌な奴」と感じてもおかしくない言葉を、私は言われたのだろう。しかし私は、既にこの男に対して「同じ推理小説を好む、同好の士」というイメージを持ってしまっていた。もはや、悪印象を持つはずもない。好みの相通ずる者には、人は、心を許すものなのだ。

 それに加えて、格好のことをとやかく言われても仕方ない、という自覚もあった。昔は白かったジャンパーは、半分ボタンが取れかけており、黒いジーパンは、ところどころ擦り切れている。いや、こういう表現では、それほど酷く聞こえないかもしれないが、鏡の前に立つと、より酷さが際立つ。服装のセンスが良くないのだろうが、それをどう直したら良くなるのか、それすらわからない。わからないからこそ、具体的に酷さを文章で記せないのだろう。

 それでも、服装に関しては、まだマシだと思う。実際、目の前の男は、私の着ているものではなく、顔をじっと見ている。そう、顔の方が、服装以上に酷いのだ。いや、顔の造作が悪い、という意味ではなく。

「ああ、これですか……」

 少し説明の必要があるだろうな、と私は感じた。

 かつて知り合いから、まるで変装でもしているかのようだ、とさえ言われたことがある。だらしなくボサボサの髪に、ぼうぼうに伸びた髭、そして黒いサングラス。まあ、怪しい外見であることは間違いない。

「髭は、いくら剃っても、すぐに生えてくるもので……。もう無精髭ではなく『主義で伸ばしている』ということにしてしまいました。なるべく髭も髪も手を加えず、自然のままに……。ほら、そういう人たちもいるでしょう?」

 わかってくれたのか、くれないのか。男の視線は、とりあえず顔全体から、黒いサングラスへと移ったようだった。

「そうです。サングラスは、自然主義とは合致しませんね。でも、これは仕方がない。私は生まれつき、目が悪くて……。いや、視力の話じゃないですよ。明るい光に目を晒すことを、医者から禁じられているのです。失明するぞ、と脅されましてね。失明だけは嫌だ、本が読めなくなりますから」

 同じ推理小説好きならば、一般論として、本が読めなくなるという恐怖心は理解しやすいはず。

「そうそう。先ほど『こんなものを』と言っていましたが……」


 私は、手にした本を掲げてみせて、そこからしばらく、二人で推理小説談義に花を咲かせた。

 そんな中、お互いに自己紹介も交わす。

 男の名前は、緋山一義。神戸の貿易会社に勤めていたが、生まれ故郷の村で起こった事件のために、会社を辞めて帰郷するところなのだという。

 私の方は、日尾木ひびき一郎いちろうという名前を告げた後、他に「売れない小説家で」とか「行き先も泊まる場所のアテもない旅の途中で」とか言っておいた。

「まあ、気ままな旅ですよ。あわよくば、どこかで、小説のネタになるような話でも拾えないかと思いましてね。そうすれば、これも立派な取材旅行ということになりますから」

「小説のネタか……」

 緋山一義は、少し考え込んでから、

「それなら、どうだい。僕の村へ寄らないか?」

 まさに『渡りに船』な提案だった。

「ちょうどよかった! 今言ったように、今晩の宿も決まっていなかったので……。村には、旅館くらいあるのでしょう?」

「いや、僕のところに泊まったらいい。これでも僕は……」

 言いながら、彼は複雑な笑顔を浮かべた。苦笑、とも少し違う。むしろ自虐的な笑い、という言葉が近いかもしれない。陰りを帯びた笑みだった。

「……村一番の実力者と言っても、いいのだろうからね。屋敷も広いぞ。何日だって泊まりたまえ」

「それは凄い。その若さで……。さぞや、色々な苦労や努力を……」

「いや、違う」

 私の言葉を、彼は途中で遮った。ばっさり切って捨てる、という口調だった。

「努力でも才能でもない。ただの家柄さ。生まれた時から、決まっていたものだ」

 彼の顔には、今度は明らかな、悲しみの色が浮かんでいた。それを振り払うかのように、軽く首を左右に振ってから、彼は言葉を続けた。

「これは運命なんだ。だが、受け入れるだけでは駄目だ。立ち向かうべき運命だ。だいたい、これのせいで、弟と妹は殺されたくらいだからね」

 彼の『殺された』という言葉に、私が何も言えないでいると、

「二人を殺した犯人は、まだ捕縛されていないが……。余人はともかく、僕には、犯人の見当は既についているのだよ」

   

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