第十六章「連鎖する事件」(日尾木一郎の記録)
駐在所を飛び出して、私と
途中までは
「胸に刺さっていたのは、陽子の事件と同じ模様のナイフじゃった」
つまり、蒼川家の客間にあったナイフセットのうちの一本だ。陽子が殺された後で調べた時には、三本セットのはずが二本になっていたが……。ならば、今確認したらさらに減って、残り一本という状態なのだろうか。
「まったく……。こんなことが続いたら、こっちの気まで変になってしまうわい」
今まで花上医師は、あまり暗い顔など見せる人ではないというイメージだった。しかし今は、はっきりと悲壮感に溢れた表情を示している。
「殺されたのは、午後二時前後。死体の発見が早かったので、まず間違いないじゃろう」
花上医師は、いつもよりも口数が多かった。まるで、黙っていたら心の中に嫌な気持ちが充満するから、と言っているかのように。
「屋敷でバタバタしているうちに、
花上医師の言葉に頷いてから、木田巡査が尋ねる。
「
「知らん。屋敷におったかもしれんが、わしは会っておらん」
花上医師の話は、そこまでだった。村はずれで急患が待っている、ということで彼は去っていった。その村人の名前も告げていたが、私には聞き覚えもなく、記憶にも残らなかった。この事件において、花上医師は警察医のような役割に見えていたが、実際は一介の村医者に過ぎないのだということを、今さらながらに思い知らされた。
「あとは規輝さんだけですね」
「……え?」
花上医師のことを考えていたせいか、木田巡査の言葉に対して一瞬、私は間抜けな対応をしてしまった。
「きいちろうさん、しっかりしてください。蒼川の御当主も珠美さんも部屋で一人きり、村長も一人で働いていたならば、この三人にはアリバイはないと判明。華江さん殺しに関して、アリバイが不明なのは規輝さんだけでしょう」
その言葉の意味を、もう一度よく考えてから、私は発言する。
「ちょっと待ってください。村長が一人で働いていたというのは、花上医師の推測ですよね?」
「もちろん、後で確認します。でもね、私だって何度も――特に最近は頻繁に――緋蒼屋敷を訪れています。だから昼間、村長が忙しいのは知っています。あれだけ広い屋敷で、全ての世話をしているのが彼ですからな。今では、かつての
木田巡査が『朝子さん』と口にした時、少し苦々しい口調だったように聞こえたのは、私の気のせいだろうか。
「そういうことなら……」
私が話の続きをしようとしたタイミングで、緋蒼屋敷が見えてきた。
屋敷に着いた私たち二人は、まずは華江の部屋へ行き、殺害現場を調べた。しかし死体も花上医師が検分した後であり、特に重要な手がかりが出てくることもなかった。とりあえず入念な捜査は後日ということで、アリバイ不明の規輝を探すことになったが……。
ちょうど華江の部屋から出たところで、規輝が近くを通りかかった。探す手間が省けた形だ。そのまま殺害現場で話を聞くというわけにもいかないので、私たち三人は場所を移した。
私の部屋が、臨時の取調室となった。自分の寝泊まりする部屋が、こうした使い方をされるのは、少し落ち着かない気分だ。
そんな私の隣で、木田巡査は規輝に対して、じっと刺すような視線を向けていた。規輝は、テーブルを挟んだ対面で
駐在所で木田巡査の規輝犯人説を聞かされた後だけに、私には、木田巡査が証拠を欲しがっていることがよくわかった。どんな些細な失言も聞き逃さないぞ、とでも思っているのだろう。
規輝にも、木田巡査の様子がいつもと違うのは明白だったらしい。木田巡査を見たかと思えば、少し視線を外して、結果、木田巡査の横にいる私と目が合ってしまう。慌てて視線を戻すが、プレッシャーに耐えかねたのか、また視線を
この状態が、尋問の間、ずっと続いていた。目的のアリバイに関してだけでなく、今までの事件に関して既に聞いている話まで「あらためて確認の意味で」と言って、木田巡査は何度も質問していた。矛盾した発言が飛び出すのを期待したのだろうか。しかし結局、辻褄が合わない点は出てこなかった。
ただし、肝心の華江殺しのアリバイについては、木田巡査も大いに驚いたに違いない。問題の時間帯に、規輝は村長と一緒だったと述べたからだ。たまたま出会って、そのまま三十分くらい村長の仕事を手伝っていたという。
このちょっとした尋問は、一時間くらい続いたように思えた。ようやく木田巡査が規輝を解放して、彼が部屋から出ていった後で、私は口を開いた。
「どうやら規輝さんには、アリバイがあったようですね」
「ええ。確認しないといけないから、次は村長に話を聞きに行きましょうか。おそらく、この時間ならば……」
そう言いながらも、木田巡査は立ち上がろうとせず、私の部屋に座り込んだままだった。何か考え込んでいるらしく、じっと黙っている。別に、村長の居場所を考えているわけではないだろう。また頭脳をフル回転させて、何か推理を捻り出しているに違いない。
彼が口を開くまで、私も余計なことは言わずに、黙って待つことにした。自分が寝泊まりする部屋で、男二人、無言で並んで座っているのは、あまり面白いものではなかったが……。
この静寂は、長くは続かなかった。
突然、叫び声が聞こえてきたからだ。
「火事だ!」
その言葉を耳にして、木田巡査が、慌てて部屋を飛び出す。
一瞬だけ遅れて、私も彼の後を追った。
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