第二十章「頭痛」(日尾木一郎の記録)

   

「二人とも、命に別条がなくて良かったですね」

 翌日、私の部屋を訪れた木田きだ巡査の開口一番が、これだった。

「そうですね。珠美たまみさんが目を閉じた時には、そのまま死んでしまうのかと、私は心配しましたが……」

 安心して気が緩んだのか、血を流しすぎたのか、あるいは、その相乗効果だったのか。彼女は一時的に気を失ったが、それだけだった。今日は一日静養するように言われているらしい。ついさっき見舞いに行ってきたが、顔色も良いようだった。

 私も無事ではなかったが、切られた傷は、ほんのかすり傷だ。それよりも、壁に打ちつけられた後頭部の方が、酷かったと思う。今日になっても、まだ痛い。だから今日は、なるべく部屋で休んでいるつもりだった。

 そこへ、花上はなうえ医師がやってきた。おそらく、珠美さんの傷の具合を診察に来たついでだろう。一応、私の方も診てくれるらしい。

「おいおい。またもや死者が出た以上『良かったですね』なんて言うべきではないぞ」

 花上医師は、木田巡査をたしなめるように言う。

 これを聞いて、木田巡査よりも、むしろ私が暗い気持ちになってしまった。蒼川そうかわ規輝のりてるの死に責任を感じている様子の私を見て、木田巡査が、慰めの言葉をかけてくれた。

「規輝さんが死んだのは、まあ事故のようなものです。自業自得とも言えるから、きいちろうさんが気にすることはないですよ」

 さらに、彼は、こう加える。

「それに、蒼川の御当主の方は、どう急いでも間に合わなかったでしょう」

 そう。

 昨日の夜に死んだのは、規輝一人ではなかった。珠美さんが襲われる前に、私が最初に聞いた物音や悲鳴は、蒼川そうかわ信子のぶこが殺される時のものだったのだ。昨夜の規輝は、まず信子の部屋へ行って彼女を殺し、それから珠美さんも殺そうとしたのだ。

 信子は、華江はなえが殺されて以来、娘二人を立て続けに失くした心労で、体調を崩して寝込んでいた。そのため、規輝の襲撃を防ぐことは、完全に不可能だったようだ。

 一方、珠美さんは、信子の叫び声で、目が覚めていたらしい。だから刃物を振りかざしながら規輝が部屋に入ってきても、彼女は冷静に対処できた。布団くらいしか身を守るものはなかったし、それすら切り破られた後は、両腕で防御するしかなかったため、腕には傷を負ってしまった。それでも、致命傷を受けることだけは免れたのだった。


「まだ痛むか?」

 昨日の事件を私が回想する間にも、花上医師は、私の後頭部を診察してくれている。正直、診察のためにれられるとかえって痛みが増すのだが、それは言わない方がいいのだろう。花上医師は、私を困らせるためではなく、治そうと思って、診てくれているのだから。

「はい。ズキズキします。酒も飲んでないのに、酷い二日酔いみたいで……」

「ふむ。二日酔いを引き合いに出せるくらいなら、たいしたこともないのかもしれん。まあ、それでも、頭だから心配じゃな」

 花上医師は、何か痛み止めっぽい薬を塗ってくれたが、治療はそれだけだった。私としては、本当に痛いのは表面ではなく頭の中のようだと感じており、少しくらい薬を塗られても気休め程度にしかならないのだが。

「それにしても……」

 診察道具を鞄にしまいながら、花上医師は、

緋山ひやま家の事件に続いて、蒼川家の事件も、犯人の死をもって終幕……。そういう結果になったわけじゃな」

 そう言い残して、帰っていった。


「どうなんでしょうねえ……」

 しばらくして、木田巡査が重そうに口を開く。花上医師の言葉に、色々と考えさせられたらしい。

「緋山家の一連の事件が終わった時、私には、朝子あさこさんが犯人だとは思えなかった。この気持ちは、今も変わっていません。それに対して今回は、規輝さんが蒼川家の人々を殺したのだ、と言われても納得してしまう」

 まあ、それはそうだろう。木田巡査は、昨夜の事件よりも前から、規輝犯人説を提唱していたのだから。

 それでも木田巡査は、苦笑しながら、こんなことを言い出した。

「でも、納得できる気がするものの、腑に落ちない点は、まだ残っているんですけどねえ……」

 特に、蒼川そうかわ陽子ようこ殺害事件における、不可能犯罪と呼ぶべき状況。あれは、未だに説明できていない。木田巡査が気にしているのも、おそらくそれだろう。

 また、緋山家の事件でも、一義かずよし殺しに関しては、関係者全員にアリバイがあるという問題が残っていた。それについては、木田巡査は『謎の共犯者』なるものを想定していたが……。一義の事件については、他にも「本当に犯人は天井裏から部屋に出入りしたのか」とか「現場に残された血文字は何を意味していたのか」とか、まだまだ議論すべき点があると言えるかもしれない。

「確かに、緋山家の事件にしても、蒼川家の事件にしても、不可解な点は残っています。ただ、もうこれで事件が終わったのだとしたら、これ以上は詮索しない方がいいのかもしれませんね」

 私は事態を穏便に収めようと思って、敢えて言ってみたのだが、これを木田巡査は笑い飛ばした。

「きいちろうさん、それは駄目です。あなたが、この事件を解決するべき探偵なのですから。朝子さんに指名されたのを、もう忘れたのですか?」

「いや、覚えていますが……。朝子さん以外にも、私に探偵役を頼んだ人たちはいましたが、もうみんな死んでしまいました。これ以上の調査を続けても、もしかすると、死者を鞭打つような事実をほじくり返すだけかもしれません。そう考えてしまうと、探偵役を続けるべきかどうか、少し悩んでしまいます」

「でも、きいちろうさん。あなただって、もうしばらく緋蒼村にとどまるつもりなのでしょう?」

 蒼川信子が生きている間は、私は彼女に頼まれて、蒼川家の客人として、緋蒼屋敷に泊まっていた。では信子が死んだ今、これまで通りに私が屋敷にとどまるのは、どうなのだろうか?

 ふと疑問に思って、木田巡査に尋ねてみると、

「もちろん、いいに決まっています。きいちろうさん、あなたは、新しい『御当主』の命の恩人なのですから」

 新しい『御当主』。

 薄々予想していたことではあったが、はっきりと聞かされると、少し不思議な感じもする。

 珠美さんは『蒼川珠美』ではなく『葉村はむら珠美』だから御当主になる資格はない、と言われていたが……。

 緋山家が死に絶えただけでなく、もはや蒼川の血を継ぐ者も、珠美さん一人になってしまった。そのため、一度は蒼川の姓を捨てた身ではあるものの、結局は珠美さんが新たな御当主になったのだという。

「きいちろうさん。もしも、いくつかの不可解な問題が解決されたら、緋山家の事件の真犯人が浮かび上がってくるのではないか。朝子さんの汚名も、そそがれるのではないか。……私は、そう期待しているのです」

 木田巡査は立ち上がり、部屋から出ていこうとするが、机の上の書類を見て、その足を止めた。

「これは……。もしかして、この事件の記録ですか?」

「ええ。探偵としては素人だとしても、これでも私は、小説家の端くれですからね。せめて書き残すくらいは……」

 木田巡査が目にしたのは、この私が長々と記してきた、まさにこの手記だった。彼は、手に取ってパラパラと読み始める。

 一応、私としては、他人に読まれても困らないように記してきたつもりだ。一部、珠美さんに対する想いを吐露した箇所もあった気がするが、それだって曖昧な書き方にしておいたし、この手記のかなり最後の部分だ。今この場で、木田巡査がそこまで目を通すことはないだろう。

 実際、彼は半分くらいで読むのをめて、机の上に戻した。

「素晴らしい。かなり細かく書いてありますねえ。きいちろうさん、これ、しばらく借りることは出来ますか?」

「いや、それは困ります。現在進行形で書いているものですから、今日も続きを記すでしょうし……。それに私自身、これを何度も読み返すことで、事件について推理しているわけですからね」

「そうですか……。では後日、またここに来た時にでも、読ませてもらいます」

 そう言って、今度こそ木田巡査は部屋から去っていった。


 そのまま特筆すべき事態も起こらないまま、夕方になった。

 後頭部の痛みは、さらに酷くなってきた気がする。具合が悪い時は、しっかり休むのが一番だろう。

 もう、この屋敷に残っているのは、私と珠美さんだけだ。この状況ならば、昨日のような事件もないはずだから、今晩は早く寝よう……。

   

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