第三章「緋蒼村の中へ」(日尾木一郎の記録)
彼女が来てから、
彼は黙ったまま、ずっと窓の外に視線を向けている。無表情であり、景色を楽しんでいるようには見えなかった。
仕方がないので、私は再び本を読み始めた。二度と後ろを向かなかったので、信子の様子はわからなかった。
私たち三人は、終点の駅まで、その列車に乗り続ける形になった。駅前まで迎えの車が来ており、運転手は、やせ気味の男だった。見た感じでは、信子と同じくらいの年齢だ。
彼は車から降りてきて、信子と一義に挨拶した後、私に対して不審げな視線を送った。そして私に対してではなく、二人に向かって尋ねる。
「こちらの人は……?」
「僕の客だ。まあ、探偵のようなものかな。
どうやら私は、村では『小説家』ではなく『探偵』として扱われるらしい。心の中で苦笑していると、
「何を言ってるのかしら。直次君は事故だし、良美ちゃんは、あなたが殺したようなものでしょう?」
「蒼川の御当主は、僕のせいで良美が自殺した、と言いたいのですかな。良美は確かに、僕の結婚には反対だった。あいつは頭が固いから『蒼川の人間を
車に乗ってからは、誰も一言も発しなかった。列車の中の再現だった。
いつまで続くのだろう、と思いながら、私は外を眺める。
穏やかな
「あれが緋蒼村だ」
何の変哲もない、ごく普通の農村のようだった。異常な連続殺人の舞台には、とても見えなかった。
「
緋山一義が、勝手に私の行動まで決めてしまう。彼の言葉を聞いて、この車を運転していたのが村長であることを、私は初めて知るのだった。
私を降ろすと、車は、すぐに走り去ってしまう。
そこは、小さな建物の前だった。いや『建物』というのも、少しおこがましいかもしれない。むしろ『小屋』という言葉の方が、相応しいように思える。
入り口の扉は開いていたので、近づくだけで、中の様子が見てとれた。五十歳くらいの男性と、四十近くに見える女性が、親しそうに話している。
にこやかな表情のせいだろうか、男の方は、温和な空気を漂わせていた。女の方は、やはり笑顔で、歳の割に可愛らしい感じがする。
邪魔をするのも悪いと思ったが、
「すいません」
声をかけながら、私は小屋へ入っていく。
「木田巡査……ですよね?」
緋山一義の紹介状を、私は男に手渡した。まあ紹介状といっても、私を降ろす直前の車の中で、サッと書かれたものに過ぎないのだ。大した内容ではあるまい。それでも木田巡査は丁寧に目を通し、その肩越しに、女もそれを覗き込んでいた。しかも、その女の方が、木田巡査よりも先に口を開く。
「へえ。一義さんのことだから、何かびっくりするような行動を起こすとは思ったけど……。まさか、探偵さんを連れてくるとはねえ」
仰々しい口ぶりだ。まるで一義が、都会から名探偵でも引っ張ってきたかのような言い草だった。
しかし私は、そんな立派な存在とは違う。一介の素人に過ぎないので、恐縮してしまった。
「まあ一義さんには『探偵として事件を』と言われましたが……。実のところ私は、
「やっぱり探偵さんなのね! しかも作家さん!」
どうやら『探偵作家』という表現が、かえって誤解を助長することになったようだ。『探偵小説を書く作家』ではなく『探偵である作家』と受け取られたらしい。例えば『素人作家』という言葉ならば、『素人小説を書く作家』でも『素人である作家』でも、同じような意味になるのに……。
しかも、今の私の発言は、新たな誤解まで生み出してしまった。おそらく、私の外見――髭や髪やサングラス――からの連想もあったのだろう。
「それにしても、変わったお名前ね。『ヒッピーきいちろう』ですって? でも探偵さんの世界では、普通なのかしら。それとも、作家としてのペンネーム? よくわからないけど、私がいたらお邪魔でしょうから、今日は帰りますわ。駐在さん、また明日」
それだけ言って、女性は駐在所から立ち去った。
私が呆気にとられていると、軽くポンと肩を叩かれる。振り向けば、木田巡査が失笑していた。
「ハハハ……。
どうやら先ほどの女性は『朝子』というらしい。緋山と蒼川の人間として一義が挙げた中には、含まれていなかった名前だ。ならば、事件に関わる人物ではなさそうだ。
「とにかく、彼女に『ヒッピーきいちろう』と命名された以上、他の者からも、そんな感じで呼ばれることでしょう。それに、彼女があなたを探偵とみなしたからには、あなたは立派に探偵役をこなすのでしょうね」
そこまでは笑顔だったが、突然、木田巡査の表情が暗くなる。
「ただし、あれが『事件』なのかどうか、私も半信半疑でして……。良美さんは自殺、直次さんは事故というのが、一般的な見方のはず。一義さんは、どちらも殺人事件だと言い張っていますが……。彼に雇われた探偵であるなら、まず最初の仕事は、それらが殺人であるという証拠を見つけることでしょうね。それも、蒼川の御当主を納得させるほどの証拠を」
別に私は、一義に雇われたわけではないが……。それでも、蒼川信子の頑固そうな視線を思い出して、少し憂鬱になった。
「迂闊なことは言えませんが、もし殺人であるというなら、怪しいのは蒼川の人間ですからね。基本的に、緋山家と蒼川家は仲が悪いですから……。しかも緋山家には往年の力もない以上、あやふやな証拠では、誰も説得できないでしょう。まあ両家の勢力という話に関しては、一義さんと
つまり、緋山家の客人である私の立場は、あまり良いものではないらしい。
「だから、きいちろうさん。村の駐在として、私も出来る限りの協力はしますが……。あまり期待しないでくださいよ」
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