第三章「緋蒼村の中へ」(日尾木一郎の記録)

   

 蒼川そうかわ信子のぶこは、私たちから少し離れた座席に腰を下ろした。私から見て、斜め後ろの方向だ。

 彼女が来てから、緋山ひやま一義かずよしは、口を閉ざしてしまった。関係者がいる前では、事件の話も出来ないのだろう。続きは、村へ着いてからになりそうだ。

 彼は黙ったまま、ずっと窓の外に視線を向けている。無表情であり、景色を楽しんでいるようには見えなかった。

 仕方がないので、私は再び本を読み始めた。二度と後ろを向かなかったので、信子の様子はわからなかった。


 私たち三人は、終点の駅まで、その列車に乗り続ける形になった。駅前まで迎えの車が来ており、運転手は、やせ気味の男だった。見た感じでは、信子と同じくらいの年齢だ。

 彼は車から降りてきて、信子と一義に挨拶した後、私に対して不審げな視線を送った。そして私に対してではなく、二人に向かって尋ねる。

「こちらの人は……?」

「僕の客だ。まあ、探偵のようなものかな。直次なおつぐ良美よしみを殺した犯人を突き止めてくれるのだから、大事な客人だよ」

 どうやら私は、村では『小説家』ではなく『探偵』として扱われるらしい。心の中で苦笑していると、

「何を言ってるのかしら。直次君は事故だし、良美ちゃんは、あなたが殺したようなものでしょう?」

「蒼川の御当主は、僕のせいで良美が自殺した、と言いたいのですかな。良美は確かに、僕の結婚には反対だった。あいつは頭が固いから『蒼川の人間を義姉あねと呼ぶくらいなら死んだ方がマシ』とまで言っていたそうだが……。そんなの口だけだ。あいつは自殺なんて出来る女じゃない。殺されたに決まっている。直次と同じく」


 車に乗ってからは、誰も一言も発しなかった。列車の中の再現だった。

 いつまで続くのだろう、と思いながら、私は外を眺める。

 穏やかな山間やまあいの風景だった。それから、いくつかの山を越え、いくつかの村を過ぎていく。集落が見える度に、私は「これが緋蒼村か?」と思ったものだが、車は立ち寄る気配すら見せずに、通り過ぎるだけだった。しかし大きな山々の背後に、何度目かの村が見えてきた時、ようやく一義が口を開いた。

「あれが緋蒼村だ」

 何の変哲もない、ごく普通の農村のようだった。異常な連続殺人の舞台には、とても見えなかった。

一郎いちろう君は、木田きだ巡査から詳しい話を聞くために、駐在所で降りることになっている。ああ、荷物は、僕が屋敷まで運んでおこう。村長、いったん駐在所で車を止めて、彼を降ろしてくれ」

 緋山一義が、勝手に私の行動まで決めてしまう。彼の言葉を聞いて、この車を運転していたのが村長であることを、私は初めて知るのだった。


 私を降ろすと、車は、すぐに走り去ってしまう。

 そこは、小さな建物の前だった。いや『建物』というのも、少しおこがましいかもしれない。むしろ『小屋』という言葉の方が、相応しいように思える。

 入り口の扉は開いていたので、近づくだけで、中の様子が見てとれた。五十歳くらいの男性と、四十近くに見える女性が、親しそうに話している。

 にこやかな表情のせいだろうか、男の方は、温和な空気を漂わせていた。女の方は、やはり笑顔で、歳の割に可愛らしい感じがする。

 邪魔をするのも悪いと思ったが、

「すいません」

 声をかけながら、私は小屋へ入っていく。

「木田巡査……ですよね?」

 緋山一義の紹介状を、私は男に手渡した。まあ紹介状といっても、私を降ろす直前の車の中で、サッと書かれたものに過ぎないのだ。大した内容ではあるまい。それでも木田巡査は丁寧に目を通し、その肩越しに、女もそれを覗き込んでいた。しかも、その女の方が、木田巡査よりも先に口を開く。

「へえ。一義さんのことだから、何かびっくりするような行動を起こすとは思ったけど……。まさか、探偵さんを連れてくるとはねえ」

 仰々しい口ぶりだ。まるで一義が、都会から名探偵でも引っ張ってきたかのような言い草だった。

 しかし私は、そんな立派な存在とは違う。一介の素人に過ぎないので、恐縮してしまった。

「まあ一義さんには『探偵として事件を』と言われましたが……。実のところ私は、日尾木ひびき一郎いちろうという名の、しがない探偵作家に過ぎないわけでして……」

「やっぱり探偵さんなのね! しかも作家さん!」

 どうやら『探偵作家』という表現が、かえって誤解を助長することになったようだ。『探偵小説を書く作家』ではなく『探偵である作家』と受け取られたらしい。例えば『素人作家』という言葉ならば、『素人小説を書く作家』でも『素人である作家』でも、同じような意味になるのに……。

 しかも、今の私の発言は、新たな誤解まで生み出してしまった。おそらく、私の外見――髭や髪やサングラス――からの連想もあったのだろう。

「それにしても、変わったお名前ね。『ヒッピーきいちろう』ですって? でも探偵さんの世界では、普通なのかしら。それとも、作家としてのペンネーム? よくわからないけど、私がいたらお邪魔でしょうから、今日は帰りますわ。駐在さん、また明日」

 それだけ言って、女性は駐在所から立ち去った。


 私が呆気にとられていると、軽くポンと肩を叩かれる。振り向けば、木田巡査が失笑していた。

「ハハハ……。朝子あさこさんは、一度こうと思い込んだら、もう間違っていることにすら気づかなくなる女性ひとです。まあ、あまり困らないんですけどね。なにしろ直感で真実を見抜く人ですから、彼女が間違っているのではなく、実は周りが違っていた、なんてことも頻繁に……」

 どうやら先ほどの女性は『朝子』というらしい。緋山と蒼川の人間として一義が挙げた中には、含まれていなかった名前だ。ならば、事件に関わる人物ではなさそうだ。

「とにかく、彼女に『ヒッピーきいちろう』と命名された以上、他の者からも、そんな感じで呼ばれることでしょう。それに、彼女があなたを探偵とみなしたからには、あなたは立派に探偵役をこなすのでしょうね」

 そこまでは笑顔だったが、突然、木田巡査の表情が暗くなる。

「ただし、あれが『事件』なのかどうか、私も半信半疑でして……。良美さんは自殺、直次さんは事故というのが、一般的な見方のはず。一義さんは、どちらも殺人事件だと言い張っていますが……。彼に雇われた探偵であるなら、まず最初の仕事は、それらが殺人であるという証拠を見つけることでしょうね。それも、蒼川の御当主を納得させるほどの証拠を」

 別に私は、一義に雇われたわけではないが……。それでも、蒼川信子の頑固そうな視線を思い出して、少し憂鬱になった。

「迂闊なことは言えませんが、もし殺人であるというなら、怪しいのは蒼川の人間ですからね。基本的に、緋山家と蒼川家は仲が悪いですから……。しかも緋山家には往年の力もない以上、あやふやな証拠では、誰も説得できないでしょう。まあ両家の勢力という話に関しては、一義さんと陽子ようこさんの婚儀が上手くいけば、状況も少しは変わりそうですが……」

 つまり、緋山家の客人である私の立場は、あまり良いものではないらしい。

「だから、きいちろうさん。村の駐在として、私も出来る限りの協力はしますが……。あまり期待しないでくださいよ」

   

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