第二十三章「大仕事を手伝うために」(転生者『俺』による解決編)
「きいちろうさん。あなたは先ほど、他人の目線で記録を読んだと言いましたが……。他人事の立場で読んで突き止めた犯人が、自分自身だったのですか?」
俺の告白に対して、
不思議と、俺の顔に冷や汗は滲んでこない。でも握った両手は、ジトッと汗ばんでいた。
「そうです。犯人は私に違いない、というところまでは、第三者目線でもわかりました。そして、それを理解したところで、色々と思い出してきたのです。事件の背景や、私が死んだはずの人間であることなど……」
嘘ではなかった。
俺は
日尾木一郎は、生活能力に欠けた人間だった。小説を
稼げないならば借金するしかなかったが、返すあてもない以上、まともなところからは貸してもらえなかった。悪徳金融業者から借りることになり、法外な利息も含めて、借金は見る見るうちに膨れ上がった。
どうにもならなくなるのは、目に見えていた。しかし日尾木一郎は、それでも構わないと思っていた。「死んでしまえばいい」とか「まともに生きていく力がないなら、むしろ死んでしまう方が正しいのだ」とか考えていたようだ。
ここで自己破産について全く考えず、調べようともしなかったのは、昭和の情報弱者ゆえなのか、あるいは彼の厭世観ゆえなのか。ともかく、日尾木一郎には多額の保険金がかけられて、とうとう「死んで清算するしかない」という段階に至ったのだが……。
いざ死ぬとなったら、日尾木一郎は怖くなった。頭では「死んでしまうべき」と考えても、体の奥底から「死にたくない」と感じてしまう。生き物の生存本能の強さを、彼は初めて思い知った。
そんな頃、問題の金融業者の社員の一人が、交通事故で亡くなった。日尾木一郎と同じくらいの年齢で、背格好も顔立ちもよく似た男だった。その男の家族は妻が一人いるだけで、遺された妻は悲しみのあまり、何も出来なくなってしまったそうだ。
葬式の手配からその後の手続きまで一切合切、問題の金融業者が彼女の代わりに取り仕切る状態だった。彼女は葬式が終わり次第、遠くの故郷へと帰っていき、二度と東京には戻ってこなかった。
だから、彼女は知らなかった。彼女の夫の死亡届が、役所には提出されていないことを……。
代わりに日尾木一郎の死亡届が提出されて、日尾木一郎は書類の上では、交通事故で死んだことになった。保険金が日尾木一郎の借金返済に充てられたが、それでも完済できない、と金融業者からは告げられた。
この後、臓器を売って金を工面するとか、どこかに売り飛ばされるとか、そうした未来を日尾木一郎は想像した。しかし、そんな目には遭わなかった。実際には、一人の若者を紹介されたのだった。
金融業者の説明によると、その若者は、日尾木一郎とは桁違いなほど、多額の借金を抱えているという。だが全額返済できるだけの算段があり、そのためには困難な大仕事をしなければならない。その若者の『大仕事』を手伝えば、日尾木一郎の借金も帳消しにしてくれる、という話だった。
そして若者は、その『大仕事』を実行するために、生まれ故郷へと帰っていった。日尾木一郎が若者の協力者であることは秘密のため、同時ではなく少し遅れて、日尾木一郎は村を訪れたのだった……。
「では
俺の事情説明を聞いて、珠美さんは、悲しそうに呟いた。
「そうです。状況は詳しく聞いていましたから、その『大仕事』が連続殺人であることはわかっていました。人を殺すこと……。それは恐ろしい行為だと頭では理解していたはずですが、不思議と『それは出来ない!』という抵抗感はありませんでした」
俺は頭の中の記憶を探って、正直に、日尾木一郎の気持ちを代弁する。
どうも日尾木一郎には、命を尊く敬う気持ちとか、人並みの道徳心とか、そういったものが欠如していたらしい。そもそも、自分の命すら軽視していたくらいだ。
加えて、どうせ実際に手を汚すわけではない、という甘い考えもあった。実行犯として殺しを行うのは規輝であり、あくまでも日尾木一郎はサポート役。規輝と比べれば、大きな罪悪感を感じることもない、と自分を納得させていたようだ。
さすがに、俺から見ても、これは詭弁に思える。珠美さんにも、告げない方がいいだろう。
「東京を発つ前に、規輝から手紙をもらいました。『殺すべき四人のうち、既に二人は殺した』という内容でした。これを読んで『ついに始まった、もう引き返せない』と感じました……」
「そうですか。では、
物悲しい表情を浮かべる珠美さんに対して、俺は素直に肯定することは出来なかった。日尾木一郎の記憶を探っても、この点は微妙なのだ。
「その時は私も、そう考えました。でも後になって、だんだん疑わしく思えてきました。この村に着いてから気づいたのですが、どうも規輝の態度には胡散臭い感じがあって、ハッタリのように見える部分も多かった。本当は事故や自殺であったのに、それを利用して『俺がやった!』と言い張っていたのかもしれない。まんまと私は、その言葉に乗せられたのかもしれない……。今では、そう考えています」
「ああ、あの子なら、確かに……。そうかもしれないわ。でも、そうなると、その二つの事件に関しては、もう真相は闇の中ね。ここで議論しても意味はなさそう。きいちろうさん、話を続けて」
珠美さんに促されて、俺は告白の代弁を続ける。
「直次さんの死体の顔が判別不能なことも、それを利用することも、規輝の手紙には書いてありました。『直次は生きていると思わせて、直次を連続殺人の犯人に仕立て上げる』とも書かれていました。そのサポートとして、ちょっとした機材を持参の上で、私は緋蒼村に来たのです」
規輝の手紙には漠然と書かれていただけなので、彼の計画がどれほど稚拙なものなのか、日尾木一郎は知らなかった。実際には、直次生存説など、あっさり
「実は、金融業者の方からは『場合によっては、規輝も殺してしまえ』と言われていました」
珠美さん以外は皆殺しにして、その罪を全て規輝に被せた上で、規輝も抹殺。そうして、珠美さんが全財産を相続したのを見届けてから、珠美さんも殺す。親類縁者の全員が消えたところで、直後に『
規輝には内緒で、そういうプランも立てられていたのだった。
「そういう二段構えの計画だったために、規輝の協力者として、私が選ばれたのでした。先ほど語ったように、日尾木一郎は書類上は死んだことになっており、戸籍の上では、私は珠美さんの夫になっていたのですから」
珠美さんは冷静に聞いているようだが、さすがに、自分も殺されるという計画を聞かされては、心中穏やかではないだろう。それでも、そんな素振りは態度に表さず、代わりに、こんな言葉を口に出した。
「では、きいちろうさんを見て、私が亡くなった主人を思い出すのは……。偶然ではなかったのですね」
ああ、
「すいません。外見的に、ある程度は似た人間でないといけなくて……」
この計画に従った場合、日尾木一郎は、いったん緋蒼村を去った後、今度は金融業者お抱えの弁護士を連れて、もう一度来村することになっていた。二度目の来訪では、実務は弁護士に任せきりで、日尾木一郎の仕事は「実は珠美さんの夫は生きていた」と示すこと。あくまでも、村人たちに軽く顔を見せるだけだった。村の中に、珠美さんの夫と面識ある者はおらず、せいぜい写真を見たことがあるかないか、という程度。だから、はっきりと顔を晒す必要もないはずだった。
「もちろん、その珠美さんの夫と、連続殺人の時期に村に来ていた日尾木一郎が、同一人物だと思われては計画が破綻します。でも二度目の来訪では、軽く顔見せするだけなので、服装や髪型を変えれば大丈夫だと言われていました。しかし私としては、顔を隠したいくらいです。もちろん、顔見せに来て顔を隠すわけにもいきませんから……。そこで私が思いついたのが『ならば最初の来村で顔を隠し続けよう』というアイデアでした」
髪をボサボサに伸ばしていたのも、髭を全く剃らなかったのも、サングラスを決して外さなかったのも、そのためだった。記録の冒頭で『かつて知り合いから、まるで変装でもしているかのようだ、とさえ言われたことがある』と書かれていたが(第一章参照)、それは出発の少し前に言われた言葉であり、本当に変装のつもりだったのだ。
まだ俺が日尾木一郎の記憶を思い出す前、他人事の気分で記録を読んでいた時。
探偵役にしては、日尾木一郎の活動がアクティブではない、と感じてしまった。もっと事件の関係者と積極的に関わればいいのに、あまり自分からは捜査も情報収集もしようとしない。せいぜい、駐在所に出向いて木田巡査から話を聞くだけだ。
もしかして、推理小説に出てくる安楽椅子探偵と呼ばれるタイプ――現場へ出向くことなく読者と同じ情報だけから推理する探偵――を気取っているのか、とも思ったが……。
日尾木一郎の記憶が蘇ると、合点がいった。日尾木一郎としては、後々別人として村を訪れる可能性があったから、あまり村の人たちと深く関わることは出来なかったのだ。いくら変装しているとはいえ、個人的に親しくなってしまえば、身振りや癖など、隠しきれない部分が誰かの印象に残るかもしれない。だから、人々との交流が少ない事件記録となったようだ。
俺に言わせれば、ならば最後まで生き残ることが確定している木田巡査と親交を深めるべきではなく、どうせ殺されてしまう――二度目の来村時には存在していない――緋山や
しかし、そんな失敗を犯した彼であったが、細かい部分では、色々と気にしながら手記をしたためていたらしい。
もちろん殺人事件に加担する以上、彼の発言内容には、嘘も多かった。しかし『小説家』の
だから、真相を知る前と知った後では、意味がガラリと変わってくる文章も多い。
例えば、冒頭の列車の中での記述(第一章参照)。『既にこの男に対して「同じ推理小説を好む、同好の士」というイメージを持ってしまっていた』というのは、一見、その瞬間までの――列車内での――発言からの印象のように思われる。しかし日尾木一郎の本当の来村意図を考えれば、事前情報があるのは当然であり、あらかじめ緋山一義の趣味嗜好も知っていたはず。つまり出会う前から、もう好印象を抱いていたのだろう。
その直後の場面では、日尾木一郎は一義から「村へ寄らないか」と誘われて『渡りに船』と記している(第一章参照)。「今晩の宿も決まっていなかったので」と発言しているが、地の文とは違って、発言そのものは嘘だ。本当は、なんとかして緋蒼村に潜り込む必要があったからこそ、一義の誘いが『渡りに船』だったのだ。
さらに、その少し後。一義の「弟と妹は殺された」や「犯人の見当は既についている」という発言に対しては、『彼の言葉が脳内に浸透するまで、数秒の時間を要した』と書かれている(第二章参照)。普通、いきなり「家族が殺された」と聞けば、びっくりしてフリーズするのも当然だ。一見、そう思ってしまう。だが当の事件の共犯者にしてみれば、むしろ「犯人の見当はついている」と言われたことの方が、衝撃的だったのだ。
また、日尾木一郎は、村では『小説家』ではなく『探偵』として扱われることに『心の中で苦笑』と書いていた(第三章参照)。これも何気なく読むならば「探偵ではなく、小説家なのに」というだけだが、真実を知って読めば「共犯者が探偵役として指名される皮肉に」という意味になるだろう。
木田巡査から駐在所で事件の概要を聞く場面でも、最初に『私が正直に、緋山一義から聞いた内容を全て告げると』となっている(第四章参照)。「知っている内容を告げる」ではなく、あくまでも「緋山一義から聞いた内容を告げる」なのだ。事件の共犯者である日尾木一郎は、当然、一義から聞いた以上に多くの情報を握っていたのだから。
概要をまとめた直後の『私が緋蒼村に来て会ったのは、緋山一義、蒼川信子、浜中大介、浜中朝子の四人だけ』という記述も、同様だろう(第四章参照)。「私が今までに会ったのは」ではなく、あくまでも「私が緋蒼村に来て会ったのは」なのだ。蒼川規輝という「緋蒼村に来てからは顔を合わせていないが、それより前には会っている」という人物がいたのだから。
駐在所から緋蒼屋敷へ向かう途中でも、わざわざ「別に私は、探偵をしに来たわけではない。小説のネタが拾えるだけで構わないのだ」と、自分に言い聞かせように、口に出している(第四章参照)。台詞ではなく地の文にすると、虚偽の記述になるからだろう。しかも『自分に言い聞かせた』ではなく『自分に言い聞かせるように』という少し比喩的なニュアンスだ。気が進まない共犯者だっただけに、そう自分に言い聞かせたい気持ちと、本当に言い聞かせることは出来ないという葛藤が、両方とも心の中に存在していたのだろう。
こうやって、まだ緋蒼屋敷に到着する以前の段階で、かなりの例がある。これ以上は列挙してもキリがないので止めておくが、まだまだあるに違いない。
なんとなく、そんな枝葉末節を頭の中で考えていたが……。珠美さんの次の質問で、現実に引き戻されることになった。
「そこまで計画した上で村に来たのであれば……。きいちろうさん、あの規輝の死も、事故ではなかったのでしょうか? 金融業者の計画に従って、意図的に殺したのでしょうか?」
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