エピローグ「そして俺は行く」(転生者『俺』の独白)
おとなしく、
彼女は、じっと俺を見つめていた。真剣でありながら、どこか優しさも感じさせる視線だった。
そして、わずかに微笑んでから、口を開く。
「きいちろうさんは、どうしたいのですか?」
質問に質問で返されるとは思わなかった。俺が返事に困っていると、珠美さんは、少し具体的に言い直す。
「死刑だの無期懲役だのを考えるのであれば……。村を出て、外の世界の警察まで行って、自首しますか? そのつもりで、まず私に話しに来たのですか?」
少し考えてから、ようやく俺は答えを返す。
「……わかりません」
考えた結果がこれというのは、何とも間抜けな話だ。しかし、正直な気持ちだった。
そもそも。
俺が告白したのは、俺が犯した殺人ではない。元々の
それでも、その彼の体に今は俺の魂が入っている以上、罰を受けるのは俺ということになる。理不尽な話ではないか、と思ってしまう。
小説にしろ漫画にしろ、フィクションの転生物語は、読者の「新しくやり直したい」という願望にアピールする作品なのだろう。全てをリセットして、明るい未来が待ち受けているかのような状態から始まる……。そんなパターンが一般的だった気がする。
正直、俺の現実も、最初はそんな感じだった。
目の前には、少々トウが立っているものの、それでも魅力的なヒロインがいた。救うべきヒロインがいた。ヒロインの巻き込まれている事件があった。よし、俺が事件を解決しよう!
だからウキウキした気分で、事件の詳細を検討。そして、真相を理解すると……。
自分こそが、その事件の犯人の一人だった。まあ、少なくとも「ヒロインを救いたい」という気持ちだけは嘘ではなかったので、それは不幸中の幸いだった。
それでも。
最初の心ウキウキは、とっくに吹っ飛んでしまった。
そして、冷静になって考えてみた。
俺は、どうするべきなのか?
まずは「冤罪だ!」と泣き喚くのも一つの手だろう、と思った。「犯人は日尾木一郎だ! 俺ではない!」と声高に主張する、というのも考えた。しかし……。
転生なんて話、誰が受け入れてくれるのだろうか。平成の世でも信じてもらえる可能性は低いだろうに、ここは昭和の田舎の世界だ。もっと確率は下がるはずだ。
ならば、このまま逃げ切るというのは、どうだろう。まだ日尾木一郎の犯行とは露見していないのだから……。しかし、これも駄目だと思った。最後に珠美さんを救う側に回った時点で、状況は詰んでいる。ノコノコ東京に戻ったところで、もう『日尾木一郎』の戸籍すらないのだ。だからといって、悪徳金融業者の言いなりになって、珠美さん殺害プランに移行するつもりなど日尾木一郎にはなかったし、もちろん俺も嫌だった。
俺の転生先は、「情に流されて、それまでの計画を投げ捨てて、どうしようもなくなった」という人間だったのだ。
結局「どうしようもないなら、もう、なるようにしかならない」という結論に至った。俺が日尾木一郎として生きていくためには、本来の日尾木一郎が
しかし、その『清算』の具体案が、俺には思い浮かばなかった。安直に考えるのであれば、警察に出頭するべきだろうが、どうも少し違うような気がする。
結果、俺は珠美さんに答えを丸投げするような形で、ここに来たのだった。
そして、今。
俺の正直な「わかりません」に対して、
「きいちろうさんが、この部屋に来て『お話ししたいことがあります』と口にした時……」
珠美さんは、微笑みを見せながら言葉を紡ぐ。
「私は、すぐに理解しました。よほど重要なことを告白しに来たのだろう、と」
あの場での珠美さんの態度を思い出して、俺は納得する。確かに、世間話を聞こうという雰囲気ではなかった。
「ただ、それが、どちらの告白なのか……。そこまでは、わかりませんでした。そこには、とても興味がありました」
すると珠美さんは、あの時点で、ある程度は具体的に想像していたことになる。しかし「どちらの告白なのか」というのは、何と何を想定していたのだろうか?
そんな俺の疑問は、顔に出てしまったらしい。珠美さんは、クスッと笑いながら言う。
「あらあら……。きいちろうさん、あなたが三日間も眠り続けている間、その世話をしていたのは私なのですよ? 当然、きいちろうさんの部屋には入り浸っていましたし、机の上の記録にも気づきました」
そういえば。
転生してきたばかりの俺に、日尾木一郎の手記の存在を教えてくれたのは、他ならぬ珠美さんだった(プロローグ参照)。俺が目覚めた時も、珠美さんは黙って俺を見つめていたわけだし、おそらく珠美さんは、三日間の『世話』の間に「何もせずに、ただ見守っていた」という時間もあったはず。昏睡状態の入院患者の見舞いのようなものだと考えれば、病室で暇つぶしになるようなものを見つけて……。
そう。
珠美さんは、あの事件記録があることを知っていただけではなく、あの記録を読んでいたに違いない!
「そうです。私も、きいちろうさんの事件記録には、目を通しました。最初は、勝手に読むのは悪いかとも思いましたが……。私的な日記とは違うようでしたし、駐在さんも少し読んだと言っていましたから、私も構わないかと思って」
確かに日尾木一郎は、一度だけ、記録を
ああ、俺は誤解していた。珠美さんは事件記録など読んでいないと考えていたからこそ、該当箇所を随時彼女に示すために、わざわざここへ持参したのだが……。先ほど「珠美さんは、話を聞きながら記録を目で追うだけで、完全に内容を理解している!」と称賛したのも、少し過大評価だったようだ(第二十一章参照)。
「ですから……。実は、きいちろうさんが私をどう思っているのか、知ってしまいましたし……」
これを口にする時だけ、彼女はまるで十代の乙女のように、恥ずかしそうな表情を見せた。だが、すぐに元の態度に戻って、話を続ける。
「記録を読んで、改めて俯瞰的に事件を見直すことで、私にも、だいたいの真相は推察できました。もちろん、動機となる背景や細かい手がかりなど、今こうして、きいちろうさんから教えてもらうまで、わからない点も多々ありましたけれど」
では、珠美さんは、既に知っていたのだ。
「こうして全ての話を聞いた上で……。一つ、私から提案したいことがあります」
そう言って、いったん彼女は口を結ぶ。彼女の口元には、今まで以上に真摯な空気が漂っていた。
「もしも、きいちろうさんが罪の告白ではなく、愛の告白なぞを口にするつもりで来たのであれば、どうしようかと思いましたが……」
再び口を開いた珠美さんの言葉は、少し柔らかい感じに戻っていた。
「きちんと罪の告白を優先する人で、安心しました。きいちろうさん、三日間も眠って頭の中が一新されたことで、以前より良い人間に生まれ変わったのかもしれませんね」
クスッと笑う珠美さん。もちろん「生まれ変わった」発言は冗談のつもりだろうが、あながち間違っていないところが怖い。事実は小説よりも奇なり、ということだろうか。
「だから……。今のきいちろうさんに対してならば、この提案をしても構わないと思います」
よほど重大な内容なのだろう。珠美さんは、改めて姿勢を正した。釣られるかのように、俺も背筋をピンと伸ばす。
「きいちろうさん。自殺かもしれない
そう、珠美さんは、最初の二人も事件の犠牲者としてカウントしていた。目覚めたばかりの俺を見て「十一人目の犠牲者になってしまうのではないか、と心配していた」と言ったくらいだ(プロローグ参照)。
「もしも自首して、きいちろうさんが死刑になったとしても、あるいは、無期懲役になったとしても……。それで、亡くなった十人が戻ってくるわけではありません」
当然だ。
人は死んだらそれっきりなのだ。
転生した俺が言うのは、変かもしれないが。
「だから私は、自首は推奨しません。どうしても自首したいのであれば、まず罪を償ってからにしてください」
さあ、そこが問題だ。警察に出頭する以外に、罪の償い方があるのだろうか?
「ああ、きいちろうさん。疑問が顔に出ていますね。それこそが、私の提案です。……きいちろうさん、あなたは今から巡礼の旅に出るのです」
巡礼の旅。
確かに、巡礼には、宗教的な側面だけではなく、死者を弔うという意味合いもあるが……。
「その旅の途中で連続殺人事件を見つけ出し、事件を途中で止めることで、十人以上の命を救わなければなりません」
彼女の提案する『巡礼の旅』は、俺の想定するものとは完全に別物だった。十人が亡くなった代わりに十人を救う、という理屈は、まあ理解できるような気もする。しかし、人助けならば、連続殺人をストップなんて話に限定する必要もないだろうに……。
「殺人者の気持ちを一番理解できるのは、同じ殺人者でしょう。殺人者の立場で物事を考えるには、殺人者が一番でしょう。その意味で、きいちろうさんには、誰よりも素晴らしい名探偵になる資格があるはずです。だからこそ、きいちろうさんの場合、殺人事件を未然に防ぐことが、最適の人助けになると思うのです」
彼女なりに考えた結論なのだろう。完全に納得できる理屈ではなかったが、どうしても受け入れられない、というほどでもない。それに、拒絶できる立場でもなかった。
実際には、殺人者なのは本来の日尾木一郎であって、ごく普通の一般人だった俺自身には殺人の経験など皆無。その意味では、俺の『名探偵になる資格』は疑問であり、今の珠美さんのセリフは、日尾木一郎にこそ聞かせてやりたい言葉だった。おそらく日尾木一郎だったら、一も二もなく快諾していたに違いないが……。
しかし「日尾木一郎だったら」を考えるのであれば、今や日尾木一郎となった俺が、代わりに引き受けるしかあるまい。だから俺は「わかりました」と言おうとしたのだが、ちょうどそのタイミングで、彼女は言葉を続けた。
「きいちろうさん。今回、亡くなった人々に対しては……。最後まで真相に気づかず、事件を途中で止められなかった私にも、責任はあると思っています。
「……えっ?」
彼女が話を続けた時点で、俺は途中で口を挟むことはしないつもりだったのに……。これには驚いて、言葉を発してしまった。
珠美さんも旅に同行する、だと……?
「あなたの監視役だと思ってくださって結構です。ほら、ちょうどあなたは、本来の戸籍を捨てて、書類の上では私の夫ということになっているのでしょう? ならば、二人で旅をするには、都合がいいじゃありませんか」
完全に予想もしない展開となったが……。
「……以上が、この村で最後に残った『御当主』としての、私の判断です。判決、と言ってもいいかもしれませんね。きいちろうさん、異議を申し立てますか? それとも……」
そして。
翌日の早朝。
「では、一郎さん。行きましょうか」
「はい、珠美さん」
彼女の亡夫の名前――現在の俺の戸籍上の名前――でもなく、『きいちろうさん』でもなく。
俺のことを『一郎さん』と呼ぶようになった彼女と共に、俺は、緋蒼村から旅立つ。
まだ空は暗く、もしかしたら『早朝』ではなく『夜明け前』と言うべきなのかもしれない。
これから巡礼の旅に出ようという心境の俺には、相応しい空の色だった。
この空は、いつ明るくなるのだろう。
そんなことを思いながら。
珠美さんと二人で、俺は歩き始めた。
(「緋蒼村連続殺人」完)
緋蒼村連続殺人 ――転生したら殺人事件の真っ只中―― 烏川 ハル @haru_karasugawa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
カクヨムを使い始めて思うこと ――六年目の手習い――/烏川 ハル
★212 エッセイ・ノンフィクション 連載中 300話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます