意拳VS太極拳

 ――風薫る五月。

 新しい専門学校にはまだ馴染めていない尚志だが、ジャパン意拳クラブにはすっかり馴染んでいた。

 毎週日曜日の午前は多目的複合施設の一室の中で稽古。

 部屋を正午までしか借りられないので、外に出て軽くランチを取りながら他愛のないお喋り。

 昼食後は近くの公園で再び稽古。

 日が沈む頃に解散。

 次の日の月曜から土曜まではバイトに励み、夕方になると専門学校に通う。

 忙しくも充実した毎日を送っていた。


 ゴールデンウィーク中の日曜日は平和そのもの。

 いつものように午前の稽古を終え、昼飯を食べに公園の中を歩いて行く。

 メンバーもいつものように山形と尚志の二人だけ。

 土屋先生は本業が忙しく正午になると帰ってしまう。

 葛西はまだ本調子ではないのか、あれから一回しか稽古に出ていない。

 おかげで山形からの濃密な指導をマンツーマンで受けることができた。


 駅の近くの店でランチを食べながらマンガやアニメやゲームの話をする。

 山形は意外にもそっちの事にも精通していた。

 尚志もお気に入りの武張った小説やマンガを話題にすると大いに盛り上がった。


 少し年上の良き兄貴分。

 尚志による山形評である。


 腹ごなしも兼ね、公園の中をゆっくり散歩するとついつい立ち止まってしまう。

 大道芸のパフォーマーたちが見事なジャグリングを見せ、わざと玉乗りに失敗し大げさに滑稽に痛がり、口から火を吐いている。

 素晴らしい見世物に多くの人たちが投げ銭と惜しみない拍手を送っていた。


 歩道を少し進むと今度は全身カンフー着の集団が中国風の音楽に合わせて優美に舞っていた。

 ただし片手に剣を持って。

「全員の動きがそろっていてキレイですね」

 尚志は感心した。

「あれは大極剣だ。じゃなくて。この公園では名物だし見学する人も多い」

 山形も解説しながら楽しそうに見ていた。


 さらに歩道を少し進むと剣術の道着姿で稽古をしている二人組が目に入った。

 片方は特大サイズの籠手こてをはめている。

 向かい合う両者が呼吸を合わせお互いに木刀を振り下ろし、一方の木刀の軌道はずらされ一方の木刀は頭上すれすれで寸止め。

「マンガや小説や武道雑誌で見たことがあります。あれはおそらく小野派一刀流おのはいっとうりゅう切落きりおとしという技では」

「多分そうだと思う。確かこの近くに道場があったはず」

 山形は尚志に答えた。


 再びブラブラと道を歩くとランニングをしている男性と何回もすれ違っているのに気が付いた。

「この公園はランニングコースにもなっているんですね」

「ああ。ちなみに今すれ違った人は役者さんだ。ほら、あの有名刑事ドラマのレギュラーだったサンミャク役だった人」

「うわ、やっぱり見えないところで鍛えているんですね」

 精悍な役者なのでさもありなん、と尚志は思った。


 公園の中ほどまで来た。

 胸ほどの高さがある鉄棒に片足を乗せ上半身を屈曲させている男がいた。

「やあ、こんにちは。今日はいい天気ですね」

 ストレッチをしている彼が山形に話しかけてきた。

「まったく。昨日の夜中に少しパラつきましたが今日は絶好の稽古日和。やっぱりゴールデンウィークの日曜日は晴れてないと。では」

 軽く会釈して山形と尚志はその場を去った。

 ふと振り向くと、ストレッチの彼は鉄棒から足を下ろし站樁たんとうの姿勢を取った。

 ただ、意拳のそれよりはヒザが直角に曲がり腰もずいぶんと落としてある。

 きつそうな姿なのに涼しい顔でこなしている。


「今の方はお知り合いですか? どうも雰囲気からして南拳なんけんっぽい感じですが。站樁も意拳よりハードな姿勢だし」

「前に話を聞いたら洪家拳こうかけんを中心に色々やっているようだ。流派は違えど同じ公園で同じ中国武術を練習しているのだからお互いに興味は持つとも。あと站樁にも種類がいろいろあって、あれを特に馬歩站樁まほたんとうという」

 さすがに山形は中国拳法に関して詳しい。


「南拳はキチンとストレッチを丁寧にやるんですね」

「本当は我が意拳もあれくらいストレッチをやらなきゃいけない。ただ意拳では蹴り技がほとんど無いからやってないだけなんだ。さあ、腹ごなしもすんだしそろそろ稽古をやろうか」

 尚志と山形は向き合った。

 両腕を絡ませ内向きに回しながら前後左右と移動し相手のバランスを崩す鍛錬。

 すなわち推手である。


 無心で推手をやっていると山形が突然バランスを崩し転びそうになった。

 もちろん尚志の実力ではなく、前日の雨によって地面がすこしぬかるんでいたせいである。

「クソッ! もう一度だ。次は尚志を転ばす。絶対に」

「いや、今のはぬかるみが悪いんですよ。そんなムキにならなくても……」

 尚志はなだめたが山形の興奮はおさまりそうもない。


 その時、

「あ~、もしもし。お取り込み中にすみません。その、もし、よろしかったら私と推手をお願いできますかな」

 と、声をかけられた。

 声の主は六十歳くらいの大柄な男。

 ジャージ姿でこちらを見てニコニコと笑っている。


 尚志と山形はポカンとしてお互いに顔を見合わせた。

 この老人、一体何者?


「そりゃ構いませんが、あなた推手すいしゅの経験はおアリですか? 実力がわからないと加減のしようもないし、怪我をさせてもつまらない」

 山形は面倒くさそうに答えた。


「太極拳を十年ほど。私が怪我をしても文句は言わない。実力は今からお見せする」

 老人はそう言うとその場で太極拳の動きをしてみせた。

 優美で力強い動きは老人の実力が半端ではないことを示している。


「どうだろうか。これでもまだ実力不足と?」

 老人の余裕の笑みは自信の表れだろうか。


「あの、僕がお相手していいですか? まだ入門して一ヶ月ですけど。僕は逆に自分の体重と体格が十年選手にどこまで通じるか試してみたい。僕が負けても恥にはならないし、勉強になるだけです」

 実のところ尚志はワクワクしていた。

 推手の相手はいつも山形か土屋先生。

 自分の力を試してみたい。

 こんな機会は滅多に無い。


「いや、ダメだ。たとえ一ヶ月の在籍でも立派なジャパン意拳クラブの一員。負けは恥。だから勇気ある挑戦者さん、俺が相手になりましょう。いいですね」

 尚志を制した山形はすでに透き通った殺気を纏っている。


「一応、名乗りを。俺はジャパン意拳クラブ代表、山形」

「そんないちいち大袈裟な。私は名乗るほどの者ではないです」

 山形の名乗りに対し、老人は笑って相手にしなかった。

「わかりました。無理に名乗らなくても結構です。じゃあサッサとやりますか」

 山形も笑顔で返した。



 山形と太極拳使いの老人との推手が始まった。

 両者ともお互いの力を見極めているのか慎重な動きである。

 やがて少しずつ動きが激しくなってきた。

 腕の回転、足の運び、息遣い。

 勝負のつく瞬間を見逃すまい、と尚志は目を見張っている。


「ブッ!」

 間抜けな声を出したのは太極拳使いの老人。

 山形の右の手のひらが老人の胸を痛打したようだ。

 続いて、

「ゲブッ!」

 カエルがつぶれたような悲鳴を上げたのは太極拳使いの老人。

 山形の左の手のひらが老人のアゴを強打したようだ。


 たまらず老人はうずくまった。

「推手の最中に胸を叩くのはまだわかる。しかし顔面を狙うのは卑怯ではないかな。それともウッカリしてアゴに入れてしまったのかな」

 老人は怒った口調で山形をなじった。

「いえ、意拳じゃスキあれば普通に狙います。中国拳法をやっていれば常識レベルの知識です。大体あなた、功夫ゴンフーが足りてないですよ。特に腕の六面力ろくめんりょくがなっちゃいません。俺を責める前に己の未熟さを恥じてください。どうです、まだ続けますか?」

 山形は冷たく答えた。

 謝罪をする気はまったくなく、やられたお前が悪いと主張している。


「バカらしい。君らとならいい推手ができるかと思ったのに。未熟者は力のコントロールもできないそっちだ」

 捨て台詞を吐いて老人は去って行った。


「お年寄り相手に少し大人気がなかったのでは? ただ単に僕たちと交流したかっただけだったかもしれないのに」

 尚志は言った。

 明らかにやり過ぎだと感じた。


「他流派に絡むのはケンカを売るのと同義なんだ。当然、受けて立つ俺も覚悟を決めてケンカを買った。あそこで手加減して引き分けにしたら『ジャパン意拳クラブは大したことがない』と吹聴される。一度舐められたら終わりなんだ。仲良しこよしで終わるものか。尚志も気をつけてくれ」

 澄み切った殺気を纏ったまま山形は言った。

 

「まずいな、なかなかたかぶりが治まらない。今日はもう稽古はやめてコーヒーでも飲みに行こう。おごるよ。話しておかなきゃならない事もあるし。最近、駅前に洒落たカフェを見つけたんだ。さあ、行こうか」

 山形はズンズンと先を行く。

 慌てて尚志も後を追った。


 これから話す内容も気になるが、それよりも今までは山形に相当手加減されていたことに尚志はやっと気付いた。

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