晴れのち雨

「ああっ! 高島さまっ! お陰様で一次試験を突破することができました。ありがとうございます」

 八号館一階の学食で南郷尚志なみさとひさしのおどけた声が響いた。

 尚志の正面の席では高島が不機嫌そうにカレーを食べていた。


「うん? どうした? せっかくご馳走したカレーは不味かったかな。口直しにクリームソーダはどうだ? 奢るよ、ダハハハ」

 嫌な感じの哄笑が学食内に響き渡った。


「チッ、その食いっぷりを見てるとこっちまで胸焼けがしやがる。お前は『幸福の黄色いハンカチ』の高倉健か」

 尚志のトレーに乗っている醤油ラーメンとカツ丼を見て高島は言った。

「次の二次試験は簡単な体力測定と面接だからな。たくさん食って体力を付ける必要がある」

 カツ丼をかっ込みながら尚志は言った。

「ふん、確かに一次試験はマークシートだからマグレで受かることもあるけどよ。お前みたいな者でもな。だが二次は違うぞ。その体重で腕立てはできるのか? そのボテ腹で腹筋は? 俺が今ここでテストしてやろうか、ああん」

 イラつきながら高島が言った。

 

 高島が怒っているのには理由がある。

 大学で行われた採用試験説明会の約一ヶ月後。

 尚志と高島は同じ会場、同じ部屋で一次試験を受け、尚志は合格。高島は不合格。

 当然、高島は面白くない。

 加えて、尚志の言動はいちいち癪に障る。


「フフン、少し落ち着き給え。高島の仇は獲ってやる。二次試験は弔い合戦だ」

 尚志は武張ぶばった言い回しをした。

「クッ、あまり調子に乗ってると足元を掬われるぞ。せいぜい頑張れ」

 高島は吐き捨てると勢いよく席を立った。

 尚志は彼を見送ると、ラーメンとカツ丼を一気に平らげ大きなゲップをした。


 そして迎えた二次試験の日。

 尚志は大きなミスをした。

 体力測定は無難に乗り越えたが、面接で緊張してしまいハキハキと答えられなかったのだ。

 落ちることを覚悟したが数日後に合格のお知らせが届いた時、尚志は欣喜雀躍した。


 尚志は説明会の時に聞いた現役警察官リクルーターの言葉を思い返す。

「一次試験と二次試験をクリアしたら次は最終試験。つまり書類審査が行われる。ここまで来ればまず落ちることはないから大丈夫だ」

 また、こうも言っていた。

「警察学校を卒業してすぐに交番ハコ勤務をしていたら所轄の公園でバラバラ殺人事件が発生。毎晩張り込みをしていたらその月の給料が五十万円を超えていたんだ。警察はブラック企業じゃないから残業した分はキチッと出る。安心して月月火水木金金で働いて欲しい」

 会場内を大きくざわつかせたリクルーターのぶっちゃけトークを思い出し、尚志は一人でニヤニヤしていた。


 <これで母に親孝行ができる>

 <大学最後の一年に大逆転。ザマア見ろ、やってやったぞ>

 <願わくば出世したい。できれば刑事たちに逮捕術を教える教官がいい。武張っていて素敵じゃないか。それがだめなら鑑識、それも叶わなければマル暴もいいな>

 もはや坊主になる気持ちはとっくのとうに消え失せている。

 これまでの尚志は周りに感謝もせず不平不満ばっかりだった。

 だが今は進むべき目標ができた。

 なので自信と優越感に満ち溢れている。

 そのせいか何を食べても美味く感じる。


 気が付くと体重は百キロを少し超えていたが、尚志は平気の平左だった。


 夏休みが明けて後期が始まった。

 ほとんどの四年生はどこかしらに内定が決まっていた。

 誰がどこに就職したのか、という情報は凄まじい勢いで広まっていく。

 中でも、尚志に関する情報は皆、半信半疑であった。


 ――へぇ、あいつが警視庁ねぇ。

 ――あの太っちょが? 冗談でしょ。

 ――お坊さんになるなんて抜かしてたのに。

 ――私がスピード違反をしても見逃してくれるかな?


 自分に関するこのような噂話を耳にする度、尚志はますます天狗になっていった。

 得意の絶頂、増上慢、鼻高々。


 鼻歌を歌いながら機嫌よく帰宅すると警視庁からの郵便物が届いていた。

 最終試験の結果のお知らせに違いない。

 ベッドに座って封を開けると、『今回の採用は見送らせていただきます』という文が目に飛び込んできた。


 尚志は自分の置かれた状況を理解するまでにかなりの時間を要した。

 我に返って、トイレに駆け込み胃の中の物を全て吐き出した。

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