どん底

「そうか、事情はわかった。毎年ね、君みたいなのが泣きついてくるんだよ。就活に失敗してね」

 製造物責任法ゼミの教授が面倒くさそうに言った。


「いえ、泣きついてなどいません。ただ報告したまでです」

 南郷尚志なみさとひさしは直ちに抗議した。

 就職に失敗して誰かを頼るなんて明らかに武張ぶばっていないじゃないか。

 

「今からでも推薦できるのは商工ローンくらいしかない。いや待て、消費者金融にもう一つ枠があったはず。君のような大きな体格ならスーツ姿はさぞかし迫力が出ることだろう。債務者は相当震え上がるんじゃないかな」

「せっかくの推薦ですが借金取りにはなりたくありません。辞退します。申し訳ございません」

 深くお辞儀をすると尚志は研究室から出ていった。


 皆の内定先が大体決まった頃、尚志が警視庁に落ちたニュースはすぐに知れ渡った。

 

 ――やっぱな。そんな甘いもんじゃねぇな。

 ――警察向きじゃないよ、どう考えたって。

 ――かなり調子に乗っていたし、いい気味。

 ――あいつ、これからどうすんだろうな?

 

 後ろ指を指され笑われても尚志は耐えるしかなかった。

 有頂天になっていた頃を思い出すと何も言えなくなってしまう。

 逃げ出したくなる気持ちを抑えながら教室を出ると突然後ろから肩を叩かれた。

「よお、相変わらずシケた面してやがるな。ランチでも奢るぜ」

 振り返ると高島が笑っていた。


「それで、どうすんだ?」

 八号館一階の学食で高島が訊いた。

「さあな、就職浪人をしようかな。焦って自分を安売りしたくはない。次の採用試験を頑張るよ。ところで高島はどこへ就職するんだっけ?」

 Bランチのチキンカツ定食を食べながら、今度は尚志が訊いた。

「俺は地元の静岡県警に奉職だ。実は警視庁以外にも試験を受けていたのさ。魚は美味いし気候は温暖。こっちの願書が出来たら郵送してやるよ。警察官になりたくて就職浪人する奴も珍しくはないぜ。あきらめんなよ」

 Aランチの竜田揚げ定食を食べながら高島が答えた。

「そうだったのか。それはおめでとう。そしてありがとう」

 心から祝福し、心から感謝を伝えた。


 それからしばらくは二人とも無言で飯を食っていた。

 やがて、高島がカバンの中から手提げ袋を出してテーブルの上に置いた。

「このマンガ、昔のだけどべらぼうに面白かったぜ。貸してやるよ。お前が警察官になったら静岡まで返しに来てくれ。待ってるぜ。じゃあな」

 そう言い残すと高島は席を立って去っていった。

 手提げ袋の中には『ボギー THE SPECIAL』と『スピッツ刑事』の二作品が全巻入っていた。

「両方とも刑事モノ……か。あいつらしいや」

 やや鼻声で尚志はつぶやいた。


 * * * * *


 大学を卒業してからの南郷尚志については特に記すこともない。

 警視庁も静岡県警も一次試験で落ちてしまった。

 身過ぎ世過ぎの為のバイトも長続きはしなかった。

 パン工場はベルトコンベアのあまりの速さについていけず三日でクビ。

 某省庁の警備員になったものの先輩社員とケンカしてクビ。

 その後、病院を清掃するバイトでなんとか食いつないでいたが、果たしてこれもいつまで持つかわからない有様。

 正しくどん底の真っ只中である。


 それでも尚志はくじけなかった。

 警察官になる、という夢のため。

 友人の高島の応援に応えるため。

 いつか南郷尚志という人間を認めてもらうため。

 全てにおいて空回りしているが、おかしい程に必死にあがいていた。


 だが、転機は突然訪れる。

 ある日のバイト帰り。

 ブラリと立ち寄った本屋で武張った本を探していると平積みになった格闘技の雑誌が尚志の目に留まった。

 表紙には穏やかそうな老人の写真に”大東流合気柔術蒼天会宗師だいとうりゅうあいきじゅうじゅつそうてんかいそうし大岩鉄之進おおいわてつのしんインタビュー”の文字があった。


 金欠病だったが気になって買ってみた。

 この雑誌こそが尚志の人生を変えるキッカケになるとは夢にも思わずに。

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