台風の目のように

 才川を中心として新たに誕生した合気道集団、無銘会むめいかい

 その特徴を一言で表すなら、あたかも幕末の私塾と剣術道場を合わせたような、という例えが適切かもしれない。


 ・その思想と活動

 才川は右翼である。

 といっても特攻服を身にまとい大音量で軍歌を流しながら街宣車を走らす手合いとは断じて訳が違う。

 だが愛国者であり国士であり志士なのは間違いなく、弟子たちもそうであるように願っていた。

 そのせいだろうか。 

 軍人会と交流を持つこともあった。

 米軍基地で稽古をしたこともあった。

 

 ある時、尚志は兄弟子から本を渡された。

 才川の師匠に当たる思想家の著書だった。

 読み終わったら感想文を提出するように言われた。

「出来の良い感想文は無銘会の会報に載せるから頑張って読んでね」

 

 早速、読み進めた尚志だが兄弟子の言葉の意味がその時になってわかった。

 その本はとんでもなく難解であった。


 テーマが絞れていない上に、やや文語体。

 かなり分厚い本に難儀したが、苦労の末に読み終えた。

 内容は全く頭に入らなかったが、何とか感想文をでっち上げ、形にして提出した。

 その感想文が会報に載ることがなかったのは言うまでもない。


 京都本部の道場にて合宿をした際には某国のエリート官僚たちが見学に訪れていた。

 激しく凄まじい稽古を近くで見て、さらには神域に入ったと言ってもいい才川の合気技を目の当たりにして彼らは心底から驚いた様子だった。

「今回はとても貴重な稽古を見学できて光栄です。もし我が国民がこの道場の合気道を習得したのならあの大国に対しても卑屈にならずに誇りを守れるに違いありません」

 稽古の最終日に見学していたエリート官僚の一人がそう挨拶をした。

 社交辞令には見えなかった。


 後に才川はその某国から招かれた。

 弟子たちの中から選びに選び抜いた精鋭と共に海を渡った。

 親日で知られる元指導者の前で演武を行い、多数のお土産を頂いて帰国した。 

 

 さて尚志であるが、技量的に才川の御眼鏡に適わず日本で道場の留守を守った。


 ・兄弟子たちのレベル

 無銘会がある程度形になって軌道に乗りだしてから尚志は入門した。

 堀内が才川の手足となって動いたおかげもある。

 東京支部の弟子のほとんどは堀内が連れてきた。

 彼が通っていたヨガ道場から引っ張ってきたのだ。

 

 そのヨガ道場は元々は少林寺拳法の道場だった。

 ハードな鍛錬をしすぎて体を壊した道場主はヨガによって奇跡的に体調を持ち直す。

 かくして少林寺拳法の道場はヨガの道場となって生まれ変わった。

 少林寺時代の弟子たちも残ってそのままヨガを習うことに。

 その道場の古株だった堀内は彼らを無銘会に誘った。


 平均年齢が二十~三十、少林寺拳法の下地がある上にヨガの身体操作法を会得している彼らは才川の合気に心服して道場を掛け持ちするようになった。


 才川から教えを受けたのは尚志が早い。

 しかし兄弟子たちはその運動神経と体力に物を言わせ、すでに尚志よりも合気のレベルは上であった。

 

 ・稽古風景

 蒼天会時代の才川はそれでもまだ自分を抑えていた。

 しかしもう誰にも遠慮する必要はない。

 あの時の激しさや凄まじさをウルトラ濃縮して薄めることなくそのままご提供。

 また、兄弟子たちもそのウルトラ濃縮原液をガブ飲みできる猛者揃い。

 涼しい顔して稽古を普通にこなしていた。

 稽古に対する異常な集中力が道場に張り詰めた緊張感を常にもたらす。

 合気という訳の分からぬものに魅せられて脇目も振らない状態である。


 尚志は稽古についていけず、度々列を抜けて水分を補給したり休憩を取る有様だった。


 ・昇段審査

 才川は合気道の師範である。

 従って、彼一人で昇段審査を行える権利を持つ。

 兄弟子たちが次々と初段や弐段に昇段していくのを尚志は見ていた。


「南郷くん、秋になったら君も初段の審査の対象になる。今からその準備をしておくように」

 真夏のある日、尚志は才川からそう言い渡された。

 と言われても戸惑うばかりである。


 何故か?

 無銘会で初段を得るには規定が三つある。

 一、基本技の一教いっきょう二教にきょう三教さんきょう四教よんきょうの技を正確に掛けること。

 二、入身投いりみなげ、小手返こてがえし、四方投しほうなげを正確に掛けること。

 三、二人掛ふたりがけ。

 以上の三つをクリアする必要がある。


 ところが無銘会は型稽古に重きを置かない。

 むしろ稽古方法は大東流蒼天会のそれに近く、合気に重きを置いている。

 合気道でよくやる膝行しっこう(正座した状態からヒザを使って歩く。座り歩き)もほとんどやらない。

 一教・二教・三教・四教も一応は習う。

 入身投げ・小手返し・四方投げも一応は習う。

 だが申し訳程度だ。

 型を覚えるだけでは意味がない。

 合気があればすべての動きが技であり型になる、という考えが無銘会にはあった。


 しかし昇段審査には型がある。

 尚志は兄弟子たちに頼み込んで型の特訓をしてもらった。


 ――そして秋、とうとう昇段審査の日を迎えた。

 皆が見守る中、尚志は道場の中央に立つ。

 ぎこちないながらも一教から四教、他の技まで何とか掛け終えた。

 最後は二人掛けである。

 二人の受けが次々と連続で掛かってくるので、捕りの尚志は合気道の技を使って捌いていかなければならない。


 合図と共に兄弟子二人が襲ってきた。

 尚志は必死に捌いていたがリズムが合わなくなってきた。

 なので意拳のように相手の背後に立とうと努力をしたが二人だと通用しなかった。

 とうとう捌くことは出来なくなってしまった。


「南郷くんは動きすぎる。合気道は台風の目が理想。チョコマカと移動しない。自分が台風の目のようになり相手を自分の動きに巻き込むんだ。残念ながら不合格。また一ヶ月後に審査を行う」

 不合格ではあったが才川の言葉が有り難かった。

 こうして尚志は無銘会初の審査落ちという称号を見事に手にした。


 なお一ヶ月後、尚志は無事に昇段審査を通過した。


 ・解散の辞

「……えぇ、本日を持ちまして、我が無銘会は解散します。しかし、我々が才川師範のもとで稽古に励んだ日々は決して無駄になることはありません。合気を求めて汗を、あっ、汗をッ、ウゥーッ!」

 堀内の言葉は終いには声にならず、男泣きに泣いた。


 無銘会東京支部の最後の稽古が終わった。

 才川はこの場にはいない。

 今頃は京都本部で最後の稽古をつけているはずである。

 前回の稽古終わりに別れの挨拶は済ませていたので問題はない。


 意外にも尚志を含む弟子たちは堀内ほどは悲しんではいなかった。

 道場経営には常にお金がかかる。

 ただそれだけの話。


「こうやって再び才川先生の合気を学べるとは思いもしませんでした。僕は合気漬けの日々を送れて幸せでした。誰も恨んでいません。無銘会のレベルの高さにはついていくのがやっとでしたが素晴らしい兄弟子たちと知り合えました。もしもまた運命が許すならご一緒に稽古をお願いします。それと無銘会が形になったのは堀内さんの働きのおかげです。本当にありがとうございました」

 尚志は堀内に感謝の言葉を述べた。


「そうだな、色々あったけど幸せだった。ナミちゃんも元気で。絶対にまた会おう!」

 泣きはらした目で、しかし明るく力強く言うと堀内は尚志と握手をした。


 入門してから約五年、無銘会という団体が消えてしまった。

 結局、尚志は合気の何たるかを理解できなかった。

 それでも何かを成し遂げようと懸命に努力する人たちの気概は充分に理解した。 

 例えそれが失敗に終わっても、彼らの価値は誰にも貶められることはない。

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